悠木まどかは神かもしれない
著 竹内雄紀
新潮文庫
515円
東雲侑子は短編小説をあいしている
著 森橋ビンゴ
ファミ通文庫
630円
ナラタージュ
著 島本理生
角川文庫
620円
ラノベを読むのは、存在しなかった青春を味わうため。人生経験も詰み、酸いも苦いも呑み込んだ今でさえ欲しくなるのは、無かった青春を別の記憶で上書き保存するため。“なさそうで有り”と“地続きのリアル”のさじ加減が絶妙な三冊を選んだ。
一冊目は小学男子が主人公。勉強に最適化された生活を送る、まったくもって平凡な奴。進学塾に通っていたなら結構な親近感を抱くだろう。おバカなミステリに仕立ててはいるけれど、人生最初の恋に落ちる一瞬前の、貴重な猶予期間を上手く切り取っている。彼女をミステリアスにしているのは、彼の想いであることに気づくと、より甘酸っぱく読める。決して何者にもなれないレールが敷かれていたはずなのだが、“好き”は人生を変える。人生を変えるきっかけをもたらすのが神なのなら、悠木まどかは神かもしれない。
二冊目は高校男子。無気力で無関心な主人公は、まんま“わたし”で、いつも独り本を読んでる彼女は、好きだった“あの子”になる。照れ屋で臆病な二人の、不器用で未熟な恋に、思いのたけ自分を投影すべし。だが、肝心な彼女の心情は見せぬようにしている。その代わり、しぐさや顔色、息遣いから匂いまで、綿密に舐めるように描かれる(主人公が“見て”るからね)。すると彼女は、「あんまり見ないで……」とうつむく。ラノベの体裁でラノベらしからぬ現実性と、文芸の王道を行く技巧的な構成に撃たれろ。のめりこんで舌を巻いてキュンとなれ。
三冊目は女子大生。高校の先生との、ひたすら純粋で狂おしい恋を、現在進行形の“過去”として語る。“同情心は恋心”とは漱石先生に教わったが、ここでは男が絶対マネできないやりかたで証明されている。「子供だったから、愛してるってことに気付かなかったんだよ」という台詞は目にするたびに震えて滲むだろう。
読んで悶えろ、青くさい春で記憶を上書きすべし。
Dain
古今東西のすごい本を探すブログ『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』の中の人。
※本記事は週刊アスキー1/7・14合併号(12月24日発売)の記事を転載したものです。
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