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フィロソフィーがないと「5Gの先」は読めない?

謎の学術「プラットフォーム学」を始める京都大学、求む「世界でかませる人」

2021年03月26日 21時00分更新

博士とはフィロソフィーを持つ人のこと

 大学院を修了して得られる博士号はPh. D.と呼ばれます。これはDoctor of Philosophyの略です。だから修了する学生は、フィロソフィーを持たないといけません。博士論文審査の際に私はよくガミガミとこの点を言ってしまいがちなのですが、多くの学生がDoctor of Engineeringにとどまっているのです。でも、Ph. D.を名乗るからにはフィロソフィーがないといけません。よく質問するのは「あなたのフィロソフィーは何ですか? エンジニアリングとは違うのんですよ」と。エンジニアリングは突き詰めていけばできるけれど、フィロソフィー構築には各分野の広範な知識、経験、俯瞰的な視点が求められます。5Gの話もフィロソフィーに関わる領域です。フィロソフィーを語れる人材がいないので、ベンチャー会社を起業してもエンジニアリングに終始してしまいます。

 ゼロからイチを生み出すだけでなく、フィロソフィーを持った人を育てないと、何十年も続く分野は作れないと思っています。ここが通信業界に20数年いて思うところですね。

判断基準を持たない医師はいない、情報学も同じ

── ビジョンとフィロソフィーの違いはなんでしょうか?

 フィロソフィーはこだわりです。ビジョンは方向性です。フィロソフィーには頑固さが必要だと思います。卒業生によく言うのは「情報通信系のドクターもメディカルドクターと一緒です。お医者さんはあなたが風邪だと言ってもそれだけで診断を下さないでしょう。必ず自分の検査をして判断を下すでしょう」と。そこには広範な知識、経験、俯瞰的な視点に裏付けられた自分のこだわりがしっかりあって、それがフィロソフィーです。

 我々は情報通信系のお医者さんであって、センサーがつながらなければ自分なりの判断基準で見て、自分なりのサジェスチョンをすることがわれわれの仕事です。それができない人はドクターではないと私は思っています。ビジョン+経験に即したこだわり、適切な判断ができる。それがフィロソフィーであり、重要なのです。

 フィロソフィーは失敗と成功の経験を積み重ねた「一人称の経験」に基づいています。だからフィロソフィーをもつドクターであれば、以下のようにシンプルに説明することができます。

 「3Gはダウンリンクの高速化、4Gはアップリンクの高速化が目標でした。3Gは国際標準化ですべて同じ端末を使えるようにすることを目標に掲げていました。結果はオールIP化してネットワーク(基地局)を共通化しました。7年かかりましたがiPhoneとAndroidが登場して端末も共通化しました。そしてダウンリンクが高速化し、結果として動画配信のような新しいアプリケーションが出てきました。本質はこれだけです」

 来たる6Gの時代に何が起こるか見えないのは、いままでの総括ができていないからです。だから新しい大学院に来る学生さんには各種広範な情報をインプットして、様々な目線を自由に操り、フィロソフィーを持ってプラットフォームを構築できることができる人材を育ててみたいと思っています。

何かを形にするには「妄想力の強さ」がカギとなる

── プラットフォーム学を始めるにあたって何か参考にしたものはありますか?

 先例は見ていません。このプラットフォーム学卓越大学院の構想は、プラットフォームって何だろうなぁと漠然とした考えをまとめたものです。なにか文献を調べたものではありません。ただ、フィロソフィーを持って妄想を膨らませていきました。私自身、妄想の貯金だけは多いです。

 私の研究室ではある程度の研究の基礎が固まったら、過去の関連文献を読ませていません。情報を切って妄想に入ってもらっています。切ってどうするかというと、「本当に欲しいものを考えて」と言うのです。同じ文献を少しでも読むと同期が取れて、似たような考えになってしまいますが、そうでない2人が別々に妄想すれば、各人全く違う考えが導き出されるというのが私の考えです。

 この妄想の貯金“妄想力”が少なめの人はどこかでしんどくなってくる。いろいろなものを見て、妄想力を高めていく先にフィロソフィーがあるのかもしれません。フィロソフィーとは妄想の最終解脱の結果であり、Ph. D.は妄想の最終解脱者であるのかもしれません。

── 妄想する力を育むには?

 まずは基礎学術の習得、そして広範な知識、経験です。そして、現状を認識し、どこの引き出しに何があるかをきちっと知ったうえで妄想に入るべきです。

 どの引き出しに何があるかを知っているだけでもかなり違います。修士課程と博士課程の違いは、修士課程は研究に必要な各種情報がどこの引き出しに何があるのかをしっかり理解すること+自らの研究立案、実施です。研究において一つ研究テーマが永遠に続くわけではありません。しかし引き出しに関する知識はどこでも使えるので、この2つを必ず学んでいってくださいといっています。博士はその研究に独創性を入れること。この独創性が最後にフィロソフィーにつながります。

── 妄想がはじける人の特徴とは何でしょうか?

 物事をあらゆる方向から見ることができ、味わいつくすことができることができる人だと思います。これは良いことでも悪いことでもです。研究室でもすごい研究結果がでているのに、思考が凝り固まっているため、結果が悪くて研究が進んでいませんと報告してくる学生がいます。そのときは、全く違う角度から見た別の見方を示します。同じデータでも別の見方をすると、価値が全然違ってきます。

 頭の良し悪しは重要な要素でないと思っています。私自身、頭の良さでは学生さんにかなわないと思っています。PCと同様、若くて新しいほどいいプロセッサーが載っている。でも、いいPCでもゲームばっかりしていてはダメ。古いPCでも良いソフトを動かせばよいのです。広範な知識、経験から作られた良いソフトを動かせば良いのです。

 これを私はよくゴルフのたとえ話を使って説明します。「君たちは若いから一発でグリーンまで飛ばせる。でもグリーン上でカップに入るまで何打も打つ。私たちは年をとっているのでグリーンに届くまでに何回も飛ばさないといけないが、グリーンにのると一発でカップに入れられる。経験によって芝目が分かっているからです。その違いですよ」と。

 また、「君たちは頭がいい。私は賢くはないけど、経験と妄想力はあるので、興味深い研究ができているのかもしれない」と言うこともあります。世の中は経験がものを言うシーンが多いし、人間は必ず年老いるので、頭のいいことを自慢しすぎない方がいいよとも言っています。

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