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価値観が揺らぎ、世界が大きく動くときだから響く、井深大氏のことば

2022年08月30日 09時45分更新

お前たちなら、きっとやれるさ

 だが、強気の井深氏のことである。こんな逸話も残している。

 1968年4月、銀座ソニービルでトリニトロンの発表が行われた。会見が無事に終わろうとしていたところで、井深氏は、ソニー関係者の誰もが予想しなかった発言をした。

トリニトロン方式によるカラーテレビ1号機「KV-1310」

「発売は10月中、年内に1万台の量産を行う」と宣言してしまったのだ。

 居並ぶ技術者たちは、わが耳を疑った。まだ、やっと10台程度の試作品ができたばかりであるのに、半年後に量産まで持っていくのは至難の業だ。

 「このオヤジめ!」。開発者の一人は、思い切り、井深氏の顔をにらみつけたという。

 だが、井深氏は、晴れ晴れとした顔をして澄ましていた。そして、その顔には、「お前たちなら、きっとやれるさ」という表情が感じられたという。

 「開発リーダーとして最初から最後まで立ち合う」という「最後」に、開発者たちを慌てさせてみせたところが、まさに井深氏らしいところである。

金色のモルモット

 ソニーは、モルモットと言われた時期があった。週刊朝日に掲載された大宅壮一氏の記事で、ソニーはトランジスタにいち早く乗り出したが、その後、大規模な生産投資をした東芝がソニーの2倍半の生産高を誇っていることを指摘し、「ソニーは東芝のモルモット的役割を果たしたことになる」としたのだ。

 試験台に使われるモルモットと比喩されたことに、当初は憤慨していた井深氏だが、後年、次のように語っていたという。

 「決まった仕事を決まったようにやるというのは時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業となりうるものが、いくらでも転がっている。これは商品化に対するモルモット精神をうまく生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ。トランジスタについても、欧米の企業が、消費者用のラジオなどに見向きもしなかったときに、ソニーを先頭に、日本の製造業全部がこのラジオの製造に乗り出した。これが、日本のラジオが世界に幅をきかせている一番大きな要因である。消費者に対して、種々の商品をこしらえるモルモット精神の勝利である。トランジスタの使い道は、生活者の周りにたくさん残っている。それをひとつひとつ開拓して商品にしていくのがモルモット精神だとすると、モルモット精神もまた良きかなと言わざるを得ない」

 モルモットと言われても、それによって日本の電子産業が発展し、消費者が利便性を享受できれば、それでいいというのが井深氏の考え方であった。

金色のモルモット像

 1960年に井深氏が藍綬褒章を受章した際には、社員からは、金色のモルモット像が贈られている。

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