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銀座ソニービルが最後の1日、平井社長はサックス握って…

2017年04月05日 12時40分更新

最終日を迎えたソニービルは雨だった

 東京・銀座の数寄屋橋交差点にあるソニービルが、2017年3月31日、50年の歴史に幕を閉じた。

 1966年4月29日にオープンしたソニービルは、ソニー創業者の一人である盛田昭夫氏が、「東京・銀座の玄関として、ソニー本来のショールームの役割とともに、より有意義な建物を建設すべきである」と考え、総合ショールームとしてスタート。ソニー製品だけに留まらず、自動車メーカーやオートバイメーカー、楽器メーカーなどの製品も展示。かつてはマキシム・ド・パリが入居し、サバティーニ・ディ・フィレンツェが入居するなど、話題の高級レストランが入っていたことでも知られている。

ただのショールームではなかった

 オープン当時のソニーの文献を紐解くと、「ソニーのブランド発信基地としてだけでなく、よりすぐった一品を一堂に集めることで、すでに海外展開をはじめていたソニーが主導し、銀座を国際的なロケーションへと導くためのショールームビルとして、ソニービルは誕生した」と記している。

 東京オリンピック駒沢体育館や東京芸術劇場を設計したことでも知られる、建築家の芦原義信氏の手によるソニービルは、「花びら構造」と呼ばれる階段が続く螺旋状設計や、日本一速いエレベータの採用、外壁に2300個のブラウン管を埋め込んだデザインなどで話題を集める一方、角地の土地ならば、その多くを入口にすることが多い角部分を、オープンスペースとして開放。チャリティイベントの「愛の泉」や、沖縄の美ら海水族館と連携したソニーアクアリウムは、恒例イベントとして人気を博していた。

ソニービルの角地はオープンスペース。様々なイベントが行われた

 さらに、ソニービルでは、世界初のトリニトロン方式カラーテレビの発表が行われた場所でもあり、このときには、もうひとりのソニー創業者である井深大氏が参加した。1994年12月に発売したプレイステーションも、発売に先駆けてソニービルでお披露目イベントを行った。

ビルのなかでは多くの人からのメッセージが壁一面に書き込まれていた

8階のOPUSでは、最後のイベント「エレクトリカルアンサンブル」が開かれていた

 建築面積686.39平方メートル、延床面積8811.64平方メートル。地下5階、地上8階のソニービルは、まさに長年に渡り、銀座のシンボルであったといえよう。

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