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アドビ日本法人設立30周年 今だから話せる日本語DTPの夜明け

PostScript、デジタルフォント、InDesign 日本語DTPを当たり前にしたアドビの技術

2022年03月24日 10時00分更新

フォントも、パソコンも、プリンターもあったのに、DTPソフトがない

 1990年代初頭、欧米ではすでにDTP革命と呼ばれる印刷・出版業界のいわゆるDX化が浸透していた。北米では、新聞業界が受け入れ、雑誌業界がその流れに追従した。専用システムを用いていた新聞業界が採用するくらいの信頼性があれば、雑誌業界でも問題ないだろうという判断だ。

日本法人設立直後に秩父宮ラグビー場横のテピアで開催されたAdobe Fair 1992の広告

Adobe Fair 1992の様子 パートナーも数多く出展した

 一方で、日本でのDTPの普及は圧倒的に遅れていた。およそ200文字ほどの限られた数の文字だけで組版が可能な1バイト言語圏の欧米と異なり、2バイト言語の日本語は数多くの文字が必要。フォントのファイルサイズも大きかった。そのため、当時のパソコンでは処理能力や記憶容量の点で限界があったのだ。また、アナログの写植・活版印刷時代から培われてきた印刷・出版のクオリティの水準が高かったという事情もあったという。

「1980年代には、写真製版のレタッチ一つとっても、職人技によって驚異的なクオリティを実現していました。そして1990年代には日本の製版・印刷技術は世界をリードするものとなっており、平均的な品質レベルでは欧米を凌駕していました。そんな市場だったので、日本語組版が不十分なツールを持ってきても、なかなか受け入れられなかったのでしょう」(山本氏)

 1987年、アドビがフォントメーカーのモリサワと提携したことで、日本語PostScriptフォントの開発が可能となり、1989年には最初の日本語PostScriptプリンターがリリース。それ以後PostScript言語に対応した日本語プリンターやイメージセッターが数多く登場した。歴史的とも言える最初の日本語PostScriptフォントは、モリサワの明朝体の「リュウミンL-KL」とゴシック体の「中ゴシックBBB」だった。これを機に、他のフォントメーカーも日本語PostScriptフォントを市場に投入し、DTPで利用できる書体の選択肢も増えていった。

 処理能力の高いパソコンも、プリンターも、利用可能なフォントも出てきた。コスト面でも、ワークフローの柔軟性という観点でもDTPは大きなメリットだったのに、導入にはなお障壁があった。商用印刷で利用可能な日本語対応のDTPソフトがなかったのだ。

 1994年、アドビはDTPソフトの始祖とも言えるアルダスを買収し、「Adobe PageMaker」として市場に展開していた。日本語版も投入されていたが、日本語組版の本質やルールを理解して作られたものではなく、あくまで米国のソフトウェア会社がローカライズした製品に過ぎなかった。

「このままだと高品質な出版物で必要な日本語組版がいつまで経ってもできるようにならないのではないかという危機感がありました。それでは、日本語のPostScriptフォントも、アドビのソフトウェアの利用もある程度で、頭打ちになります。日本語組版の品質が向上しなければ、DTPの本来のメリットである幅広い選択の自由を提供できなくなってしまい、本来の意味での日本語DTPが実現したことにはならないのです」(山本氏)

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