『忘れ去られたCPU黒歴史』(大原雄介著、アスキー・メディアワークス刊)が、あっという間に売れてしまったそうな。すでに稀覯本の領域、1万円くらいのプレミアが付いて、神田神保町の明倫館(理工学書の古本屋さんですね=知らない人はモグリ)で探してもないという状況になるかと思ったら、さすがに増刷りされた。CPUやテクノロジーの名前、動作クロック周波数などの数字が、ホワイトノイズ的に頭に安らぎを与えると感じる人が、日本に推定100万人はいそうである。そこで、前回の「私は忘れない。《CPU黒歴史》本を読む」では触れなかったことを書き足しておきましょう。
それは、ズバリ、「PCの歴史はインテル呪縛の歴史ではないか」という仮説。
ご存知のとおり、世界最初のマイクロプロセッサは、1971年にインテルが発売した「4004」。これは、日本の電卓メーカー「ビジコン」が注文した電卓向けチップが元になっているというのは有名なお話(詳しくは拙著『新装版 計算機屋かく戦えり』を参照のこと)。翌1972年に登場する最初の8ビットCPUである8008は、日本の精工舎(セイコーエプソン)の最初期のパソコン(当時はその名前もなかった)に搭載されている。
↑世界最初のマイクロプロセッサであるインテル「4004」をiPhone 3Gの上にのせてみた。4004のセラミックパッケージ(後にプラスチックパッケージも発売される)のザラっとした感じとiPhoneの滑るようなタッチスクリーンの組み合わせがちょっと不思議な感じだ。
こんなふうに始まったマイクロプロセッサの歴史だが、1970年代に半製品のマイコンキットの時代が始まる。その代名詞「Altair 8800」の商業的成功にはインテルが大きく加担しているといわれる。通常価格360ドルもしたCPU(8080)を、その発売元には75ドルという冗談のような特別価格でおろしたのだ。その「Altair 8800」のためにBASICを開発して成功をおさめたのがビル・ゲイツであり、マイクロソフトだった。
マイコン革命のはじまりというわけだが、そんな中に、アップル(アップル・コンピュータ)もあった。ガレージでちまちまやっているジョブズとウォズニアックのようすを見つけて25万ドルを出資したのは、インテル出身のマイク・マークラだった。今後も、米国の株価総額の記録を塗り替え続けそうなアップルにも、インテルの匂いがついている。
1980年代に入るとIBM PCとMS-DOSの時代がやってくる。初期型の「The PC」はインテルの8088を搭載しており、以降、x86シリーズが使われていくことになるのは説明の必要もないだろう。「モトローラの68000のほうが命令の直交性がある」とか、「RISC型CPUのほうがコンパイラ時代にはすぐれた性能を発揮しうる」とか、どんなザレごとを言おうが、IBM PC(とその互換機)は売れ続け、インテル(とその互換CPU)は売れまくり続けた。
1990年代は「ウィンテル」の時代。メーカーはインテルCPUの新製品に合わせて新製品を投入してくる年中行事のような時代になってくる。そんな舞台装置があったからこそ、自作PCの「ミニ四駆的チューニングの楽しみ」や「ブン回して冷やす茶の湯にも似た奥深さ」も生まれ、そして、「CPU黒歴史」というものも花開いたのにほかならない。
2000年代は「ネット」全盛の時代。これは同時にPCサーバー全盛の時代でもある。グーグルもアマゾンも大量のインテルCPUを「蚕棚」のように何百万個もならべてサービスを提供している。ダメ押しは、非インテル系CPU(68000、PowerPC)をかついできたアップルまでもが、2006年にインテルCPUの軍門にくだる(この表現が適切がどうかは不明だが、インテルMacですな)。
2011年は、世界で3億5000万台のPCが売られたといわれるが、ほぼ100%がインテル系CPUだろう。インテルがCore2といえばCore2、AtomといえばAtomというふうに業界は動く。これを、「インテルの呪縛」と言わずしてどうするのだ。私は、同社の批判をするつもりは微塵もない。20世紀から21世紀にかけてのIT革命の最前線で、磨り減るほどに使われたアサルトライフルがインテルCPUなのだ。
さて、ここまで書くと「ARMはどうなの?」という質問が、私に対して寄せられることは見えている。3億5000万台のPCに対して、2011年に出荷された4億7000万台のスマートフォンのほぼすべてがARMだからだ。たしかにそうなのだ。もちろんスマートフォンだけではない。我々の身の回りのちょっとしたマシンの中はARMコアである。iPhone 5に入っているA6プロセッサだってARM系なのだ。
ARMといえば、私には、ちょっとした思い出がある。1980年代後半、ロンドン旅行に出かけようとしたら、後に『ASCII DOS/V ISSUE』の編集長になるNくんに、「英国に行くならArchimedesというPCを買ってくるといいですよ」と言われた。まだ、ネット通販などない時代である。何も知らないまま、私は、ロンドンの電気街トッテナム・コートロードのほぼ全店舗を歩いてまわったのだが、「Archimedes? ないよ」という返事しかなかった。このArchimedesこそ、ARMを最初に搭載した画期的なRISCパーソナルコンピュータだった。
あんなご当地の電気街でもすぐに姿を消したようなマイナーなCPU(搭載のマシンですけど)が、いまや世界の人口以上に地球を埋め尽くして蠢いているなんて! これって壮大な歴史ロマンとでもいうべきお話のような気もしてくる。
ところで、ご存知のように「Windows 8」は、インテルCPUのための「無印 8」と「同 PRO」、それに、ARMのための「Windows RT」が用意されている。10月26日に、マイクロソフトが、ひさびさにインテル以外のCPUを想定したWindowsをリリースするわけだ。わざわざ「RT」を用意するのは、タブレットでは、ARMのほうが消費電力などの点で有利だからだ(つまり、これやらないとiPadやAndroidに完全には対抗できない)。
マイクロソフトは、今後、一気にARMとモダンスタイルの開発環境の1つとされるHTML5(+JavaScript)のほうに舵を切っていくつもりなのだろう。いまのコンピュータの誰の目で見ても明らかな潮目といえるARM+HTML5でいいと判断したとしてもおかしくない。台湾のAcerなどのPCメーカーがインテルCPU+Windows 8にこだわっているうちに、一方で、ARM+Windows RT(=HTML5 with Visual Studio)の世界を、アップルみたいにシンプルにやりたいと考えている(Acerも一方の手では、中国アリババのモバイルOS「Aliyun」を搭載するとしてグーグルとやりあっているが)。
インテルCPUがダース・ベイダーで、ARMがルーク・スカイウォーカーだとでもいうのか? Windows 8は、そんなインテルの呪縛 v.s. ARMの関係がどう動いていくのかという点でも注目できる、時代を画するバージョンになる可能性がある。しかし、現実は、物語りのようにはきれいにはいかないだろう。たとえば、私も、高速化・低消費電力化がすすんだ新Atom搭載のWindows 8 PROベースの10インチタブレットは買いではないかなどと思っている。
まさにインテルの呪縛。しかし、それが混沌の館で繰り広げられる夜通しのパーティーのようなもので、そこで次の何かが生まれる。
ことほどさように、CPUの話は、私のような非ハードウェア系の人間にも興味のつきない世界である。『忘れ去られたCPU黒歴史』は、自作好きなら読まなくても持っていたいお守りのような本といえる。なぜなら、夜通しのパーティーのいちばん最後まで残った何人かが悶絶のような議論を繰り返している。そこで初めて見える宇宙の法則のようなものだからだ。
なお、『忘れ去られたCPU黒歴史』の刷りとほぼ同時に、世界最初のCPUであるインテル4004の誕生の経緯を嶋正利氏に詳しくきいてもいる『新装版 計算機屋かく戦えり』(アスキー・メディアワークス刊、遠藤諭著)も、増刷りなったのでこちらも同時にご覧あれ。
↑神田神保町の三省堂書店5Fでは『忘れ去られたCPU黒歴史』を中心に、CPU関連本たちがズラリと並んでいてまさにこの世界に脳みそをやられてしまいそうになります。
【筆者近況】
遠藤諭(えんどう さとし)
アスキー総合研究所所長。同研究所の「メディア&コンテンツサーベイ」の2012年版の販売を開始。その調査結果をもとに書いた「戦後最大のメディアの椅子取りゲームが始まっている」が業界で話題になっている。2012年4月よりTOKYO MXの「チェックタイム」(朝7:00~8:00)で「東京ITニュース」のコメンテータをつとめている。
■関連サイト
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・Facebook:遠藤諭
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1,470円
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2,310円
(2012年9月24日22:50追記)記事初出時“初期型の「The PC」はインテルの8085を搭載しており~”という記載がありましたが、正しくは“8088”プロセッサーを搭載しておりました。お詫びして訂正いたします。
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