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【第1回】アニメ『PLUTO』丸山正雄プロデューサー(スタジオM2)インタビュー

自身が送り出す最後の作品に――レジェンド丸山正雄が『PLUTO』に込めた想いを語る

「ぼくはとりあえず“なんとか間に合わせる人”なんです」

動画配信サービスが登場しなければ実現しなかったアニメ

―― Netflixが現われたことが大きかった。

丸山 「いかに仕上げるか」という問題のみに注力できるようになりましたね。

―― そしてNetflixは期限を設けずに待ってくれていた。

丸山 それが条件でしたから。むしろNetflixとしても看板作品として何年か後に配信できれば、というスタンスだったと思います。

 ぼくはとりあえず「なんとか間に合わせる人」なんです。見てくれている人には申し訳ないけれど、100%の完成を望んでいない。アニメーションってそこを追求し始めると完成しないんです。どこかを諦めないと。

 いつもスタッフに言っているのは、「未完成・やり残しがあっても、欠陥商品でも仕方がないんじゃないか」と。ぼくはアニメーションの完全バージョンって果たしてあるのだろうか、と疑問を持っています。監督やそのときのスタッフによって違うし、いろんなバージョンがあるし、みんなの意見がまとまった完成品なんてあり得ません。

 だからあくまでも我々は常に欠陥商品を作っています。ただし、魅力ある欠陥品でなければなりません。

 これまでぼくが作ってきた作品も、「魅力のある欠陥品」と「多少魅力に乏しい欠陥品」です。「これで完成だ、良かったね」となることはあまりないんです。10年かけて1本を完成させる監督もいますが、そうすると「出来すぎていてつまらない」ということもあり得るかなと。

原作『PLUTO』には削れる箇所がなかった

―― 片渕監督、今監督の作品作りをどうしてもイメージしてしまいます。丸山さんは両監督の作品もプロデュースされていますが……。

丸山 彼らのやりたいことをぼくは全部やらせてあげられていません。特に『この世界の片隅に』に関しては、おカネが集まらなくて5年くらい掛けて作っていたものが完成させられない、という事態が起こりました。

 そこで片渕さんを呼んで、「出資者は現われたのだけれど、半額だ。止めるか、ほかの仕事をやりつつ10年掛かって完成させるか決めてくれ、つきあうから」と。当時はあと10年くらい生きられそうではあったので。そして彼は半分の予算で作るほうを選びました。

 彼は取材のために私財をはたいて広島にずっと通っていました。取材した人たちが年齢的にも、なかには原爆症の方もおられて、10年も掛けていたら亡くなってしまう。せめて存命の方には見てもらいたいと。

 そこでぼくが、すでに出来上がっていた絵コンテを、赤ペンで削りました。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、その部分を復活させたものです。ぼくにはあれが完成品なのかはわかりませんが、少なくとも彼にとっては完成バージョン、満足するものではなかったはずです。

―― そんな丸山さんをもってしても、原作の『PLUTO』には削るところがなかった。

丸山 なかったですね。もちろん原作は連載されているものですから、若干の整理はしています。また、アニメにする上で映像としての演出を加えた箇所もあります。現在は時間が掛かっても原作をきちんと――現在選択可能な最高のスタッフと技術で――映像化するという前提で作業しています。

 浦沢さんのマンガは完成品だと思っているんですよ。だけどそのままは映像化できない。原作の凄みにどれだけ迫れるか。魅力は絶対にある、と断言できます。

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