週アスPLUS読者のみなさん、週アス本誌に4回にわたって連載された『スロット&スプライト』は読んでくれたかな? 「1ページじゃ物足りないよ!」と激おこぷんぷん丸なアナタも、「MSXって何それ?おいしいの?」というアナタも、これからちょっとコアでディープなMSXワールドに招待するのでしばらくおつきあいくださいませ。
↑週アス本誌連載に登場したMSXたち(の一部)。左上から時計回りにカセットデッキ内蔵のサンヨー『PHC-33』、2万9800円で発売された松下電器(当時の社名)のFS-A1、フロッピーディスクドライブ内蔵のソニー『HB-F1XV』、アンテナでテレビに表示できたカシオ『MX-101』。 |
■そもそもMSXってなんぞや?
MSXとは何かというと、簡単に言えばパソコンの規格なのであります。いまから30年前のパソコン業界というのは、メーカーごとに独自の規格のパソコンを作っていて、それぞれに専用のソフトウェアが必要だったのです。いまでこそ違いといえばWindowsとMac、スマホならiPhoneとAndroidくらいになっていますが、当時は半端じゃなくバラバラなカオスっぷりだったと想像してみてください。きっと、やってられないと思うはず。
そんな中、メーカーの枠を越えて同じ規格のパソコンを作れば、同じソフトも動作するのできっとみんな喜ぶに違いない…と考えたのが、当時のアスキーとマイクロソフトだったわけです。彼らは松下電器(現パナソニック)やソニーをはじめとする日本の家電メーカーやフィリップスなどの海外メーカーを次々と巻き込み、“MSX”というパソコンの世界統一規格を作り上げたのでした。
※ちなみにMSXの“MS”はマイクロソフトの略なのですが、一説には松下と(が?)ソニーを口説くために両者の頭文字をとった……という説もあったり。
MSXという言葉が初めて世に出たのは、1983年6月16日のこと。この記事は6月11日掲載ですから、ちょうど次の日曜が記念すべき30周年なのです。この日、東京で行なわれたMSX規格の発表記者会見は、マイクロソフトのビル・ゲイツとアスキーの西和彦に加えて、日本の家電メーカー14社が出席するという豪華なものでした。日本のモノづくりを支える企業たちが、当時まだ27歳の若者だったビルと西のもとに集結するという、なんとも歴史的な瞬間だったのです。
■実はMSX誕生に一枚噛んでいたあの人
しかし、ここで話はちょっと複雑な方向に。「日本発の統一規格なのに、なんでマイクロソフトというアメリカの会社が絡んでいるんだ!」と、それこそ激おこぷんぷん丸な人が現われたのです。それが当時まだ25歳だった、日本ソフトバンク(現ソフトバンク)の孫正義でありました。彼はMSX陣営に参加しなかった他の日本のメーカーを担ぎ出し、MSXに対抗する独自規格を作ると表明したのです。
これでは統一規格にはならず、当時ビデオデッキで巻き起こっていた、VHSとベータの仁義なき争いの繰り返しにもなりかねません。水面下でさまざまなやり取りが行なわれ、6月27日になってようやく両者は和解。MSXに一本化とあいなったのです。そのため「MSXの誕生日はいつか?」と聞かれた際には、この6月27日のほうを挙げる人もいます。まぁ、誕生日はいくつあってもめでたいものですね。
※この6月16日から27日(詳しくは26日の深夜)にかけての争いは、後に「天才・西と神童・孫の10日間戦争」と呼ばれたとかなんとか。
その後、10月6日にはアスキーから『MSXマガジン創刊0号』が発売。当時はまだMSXのパソコン本体がなかったため、「コンピュータのイメージは?」とか「パソコンで生活はどう変わるの?」といった未来を見通すような記事で誌面が埋められていました。そして、10月下旬に三菱電機から発売された初の本体『ML-8000』によって、ついにMSXの歴史が幕を開けたのです。第一号が三菱って意外でしょ?
これがMSXの発売第一号だ。三菱電機『ML-8000』。後ろのモニターはシャープの『X1』。 |
↑ML-8000は、オプションにテンキーが用意されていた。当時のMマガでは「家計簿に便利」とか解説されていたが、どうみてもマシン語入力用である。 |
■MSXを日陰に追いやったあのマシン
これだけ大々的に発表され、並み居るユニークなライバル8Bit機たちを震撼させたにもかかわらず、MSXの歴史はどうしても陰の存在として語られがちです。というのは、MSXの本体が発売される3か月前に、とんでもないマシンが世の中に登場していたからです。それは1983年7月15日に発売された『ファミリーコンピュータ』…いわゆるファミコンであります。“ゲームしかできない”ファミコンが、“ゲームだけじゃない”MSXを打ち負かした。それが歴史の現実です。「MSXはゲーム機じゃないからファミコンはライバルじゃない!」という声があるのはよく分かりますが、市場はそうは見てくれませんでした。週刊少年ジャンプなどでも“MSX VS ファミコン”を巻頭カラー特集したり対決ムードを煽っていました。
1983年という同じ年に生まれたいわば同期生が、こうやってまったく違う運命をたどるというのも皮肉と言うべきか。ファミコンがひまわりならば、MSXは月見草。でも、我々がそれでもMSXを愛してやまないのは、ひとえに“ゲームだけじゃない”MSXの持つ魅力にひかれたからではないでしょうか。MSXでモノづくりの原点を味わった少年たちの多くが、いまIT業界で数多く活躍しているのも、はっきり言って歴史の必然なのです。
※その後、ファミコンはだんだん評判が上がって生産が追いつかなくなり品薄がしばらく続いた。「親にファミコンをねだったらMSXを買ってきた」というエピソードが笑い話じゃなく現実に多く存在した遠因と言えなくもない。
それを象徴しているのが、この連載のタイトルにもなっている“スロット”と“スプライト”であります。スロットにはゲームのカートリッジだけでなく、さまざまな周辺機器を接続することができました。スプライトは画面上のキャラクターをスムーズに動かせる機能のことで、自分でプログラムを組んでいた当時のMSX少年たちには必須のものでした。
MSXはオープンでかつシンプルな規格であったがゆえに、ハードもソフトも自分で触れる楽しみが味わえたわけです。いまのコンピューターが複雑で広大な都市空間とたとえるならば、MSXはいわば自分で好きにいじれる小さな家庭菜園か盆栽のようなイメージでしょうか。しかし! 盆栽には宇宙があると言います……たぶん。“スロット&スプライト”というタイトルは単なる語呂合わせではなく、実はそんな深い思いも込められていたりするのです……たぶん。
↑これがまぼろしの『MSX magazine』創刊0号だ。MSXとは何か以前にパソコンの存在意義など根源的なところから解説している。 |
さて、今回はMSXの30年にわたる歴史の中でも、ごくごく最初の部分だけしか紹介できませんでした。この続きはまた来週といたしましょう。読者の皆さんも、たまには押し入れからMSXを取り出してみてはいかがでしょうか。きっとまだまだ動く本体がいっぱいあるはずです。それではまた次回!
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