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VRはコンピューターの意味を変え、価値を飛躍的にあげるUIだ by 遠藤諭

2016年05月12日 20時30分更新

週刊アスキー電子版では、角川アスキー総合研究所・遠藤諭による「神は雲の中にあられる」が好評連載中です。この連載の中で、とくにウェブ読者の皆様にご覧いただきたい記事を不定期に転載いたします。

どんな仕事の人でも、VRを体験すべき!

 3月16日、ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation VR」を、4万4980円で10月に発売すると発表した。目下、デジタル業界でいちばん注目されているテクノロジーが「VR」(バーチャルリアリティ=仮想現実)である。そのなかでいちばん、一般人向けといえるゲーム機向けのPlayStation VRの発売が見えたことで、いよいよその動向が注目されている。

PlayStation 4用に今秋に発売されるVRシステム「PlayStation VR」。ヘッドセットは頭の上に乗せて留める感じでディスプレーがぶら下がる。「VRの最大のネック」とも言われてきた他人がベッタリと使ったゴーグルを使いたくないという問題を解決している(左)。ヘッドセットを付けたひとりと付けていない仲間が同時にプレイする「THE PLAYROOM VR」(右)

 ところで、ソニーがゲーム機用のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を発売するのは、今回がはじめてではない。2002年に、ソニー(ソニー・コンピュータエンタテインメントではなくソニー本体)が、PlayStation 2対応の「PUD-J5A」を発売している。PlayStation.com Japanのみの販売だったので、この分野にとくに興味のある人以外には馴染みがない商品だろう。しかし、これと今回のPlayStation VRとを比較してみると、この分野についての議論で見落とされがちなことが見えてくる。

 というのも、当時、私はPUD-J5Aを購入して「エナジーエアフォース」(タイトー)という空中戦ゲームをプレイしたのだが、そのときのあまりの衝撃はいまも覚えている。HMDをかけたことで、私は生まれてはじめてフライトシミュレーターをまともに飛ばせたのだ! 理由は、地平を見渡すなど3次元空間を自然に把握できたことにほかならなかった。

PUD-J5Aを堪能中の2002年頃の筆者。画質というだけならソニーは2011年から現行の「HMZ-T3W/T3」まで720pクラスのAV視聴用HMDを発売してきている

 実はバーチャルリアリティが、デジタル業界で騒がれはじめたのは、これよりも少し前の1990年代のことである。あるとき、私の古い友人の野々村文宏が訪ねてきて「俺は、バチャリアで5年食う」と言っていたのが思い出される。1992年のセガ「バーチャレーシング」、1993年の「バーチャファイター」に象徴されるように、3DCG技術が浸透して、ゲームに限らず“仮想空間”が、デジタルの世界の大きな到達点であるかのように思えた時期があったのだ。それは、1970年代のハッカーがネットワークの中にヒッピーカルチャー的な理想世界をイメージしたような感覚かもしれない。つまり、デジタル業界人にとっての「あこがれの地」がVR空間だったようなところがある。そのためのVRシステムは、ながらく企業や大学の研究室にしかなかったが、それが、お茶の間にやってきたというのもスゴかった。

 それでは、このPUD-J5Aという製品があったのに、今回のPlayStation VR、あるいは「Oculus Rift」や「Gear VR」、「HTC Vive」などのVRシステムが騒がれる理由はなんだろう? ひとつは、HMDの解像度やトラッキング性能の向上はもちろんある。単純に画素数を比べても、PUD-J5Aは約18万ピクセルだからVGAの半分くらいしかない(PlayStation VRは1920×1080ドット)。このふたつは解像度的に“ファミコン”と“ハイビジョン”くらいの大きな隔たりがある。

 しかし、それよりも重要とさえ思えるのはVRをとりまく環境がひとつずつ整備されてきたのがある(図1を参照)。とくに3Dゲーム開発環境の定番「Unity」や「Unreal engine」、リコー「THETA」のような360度全天周カメラも弾みをつけている。SR(代替現実)、AR(拡張現実)などVRと地続きの利用技術、空間共有などVRをより使えるものにする関連領域がこなれてきたこともある。

 いまお台場の日本科学未来館で開催中の「GAME ON〜ゲームってなんでおもしろい?〜」では、PlayStation VRの体験ができる。やっている人を見ていると、HMDをかけたとたん声をあげる人もよく見かける。いまから100年ほど前に、映画が発明された頃のこと。リミュエール兄弟が撮影した駅に到着する機関車のフィルムを見て逃げ出す客がいたというエピソードを思いだす光景である。

「GAME ON 〜ゲームってなんでおもしろい?〜」でブルーに光るHMDがPlayStation VR

 VRは、360度ぐるぐると見まわすときではなく、ただ眺めただけでも意味があるわけなのだ。ということは、映画もテレビも、あらゆる画面がVRになりうる。そして、私がPUD-J5Aで学んだのは、VRは、どうしてもコンテンツを鑑賞する(受け入れる)部分が注目されがちだが、こちらから働きかける(UIとしての)能力もいままでのポインティングデバイスからは飛躍的に向上するということだ。これは映像のリアリティを前面に押し出したVRではやや見落とされがちな部分である(図2参照)。HTC ViveのルームスケールVRは、UIとしてのVRが「入り込んで」操作するところまでいける。PlayStation VRでもMOVEとの組み合わせで仮想空間の中で粘土細工のようなこともできそうだ。

 GAME ONに合わせて刊行した「ゲームってなんでおもしろい?」(角川アスキー総合研究所編、KADOKAWA発売)で、SIEワールドワイド・スタジオの吉田修平プレジデントにインタビューさせていただいた。DUAL SHOCK 4に不要に思えるLEDを付けておいたのは、まさにVRのそうした性格を生かすための布石だった。そして、ゲーム空間の中で何でもつくれてしまうサンドボックス型ゲーム「Dreams」はまさにVR向きである。

 ヒトとコンピューターは、いままで文字やポインティングデバイス、せいぜい会話でしかやりとりできなかった。それが、これからは対等の同じ空間にいることになる。BMI(ブレインマシンインターフェイス)のひとつ手前の状態といってもよい。それで思い出したのは、ヒトの「言葉」は、「叫び」とか「歌」とかではなくて、「右手」から生まれたという説があるという話だ。右手でなでたり、叩いたり、何かを示したりしていたものを、言葉で代替するようになったのだ。ヒトのパートナーとしてのコンピューターとのより根源的なつきあいがはじまる。

VRについてはすでに多く語られてきたが、いまのVRは表現力のために受け入れるVRが目だってしまう(A)。ゲームや多くのコンテンツ、教育、遠隔指導などがこれだ。それに対して、(B)のUIとしてのVRは、コンピューターの内部を操作するためのVRだ。VRの中で銃を撃つとか、メニューを操作するというレベルの話ではない。ユーザーは仮想空間の中で実空間でのように繊細な仕事を効率的にできる。これは、コンピューターと人の能力が向上することを意味する

■「GAME ON~ゲームってなんで面白い~」公式サイト

http://www.miraikan.jst.go.jp/spexhibition/gameon/

■GAME ONは5月までの会期中たくさんノイベントを実施

5月13日 ナイト「GAME ON」 第一夜「スペースインベーダーはいかにして生まれたか?」
5月14日 特別イベント「おしえて! PlayStation® VR 」
5月20日 特別フォーラム「ゲームをどう残すか ~技術と体験のアーカイブ」
5月20日 ナイト「GAME ON」 第二夜「セガハードの歴史を語り尽くす」
5月27日 ナイトGAMEトーク 第三夜「岩谷徹×遠藤雅伸/ゲームとゲームの未来を語る」
5月29日 特別イベント「ゲームってなんでプログラミング?」

詳しくは、公式ページをご確認ください。

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