1950年代、世界よりも周回遅れでスタートしたように見えた日本のコンピューターだが、1つだけ見るべき要素があった。当時、英国とドイツ以外の国々で作られたコンピューターは、40年代終わりに公開されたプリンストン高等研究所の「ISA計算機」の設計にならったものが目立つ。
だが、米国の占領下にあった日本だけは事情が違った。
日本の当時のコンピューター開発者は、GHQが日比谷に設置したCIE図書館などにあった限られた資料や、その後の米国留学者が持ちかえる情報が頼りだった。そうした中で、独創的なコンピューター開発を行う人物があられる。
月刊アスキーで1993年5月号〜1995年6月号まで連載した『新装版 計算機屋かく戦えり』は、そうした日本のエレクトロニクスの成功の立役者たち、当事者たちへのインタビュー集である。
今回、その電子書籍版を刊行するにあたり、26人のインタビューのうち次の4人のお話を掲載する。
- 第1回「FUJIC/日本最初のコンピュータを1人で創り上げた男……岡崎文次」
- 第2回「パラメトロン/日本独自のコンピュータ素子を生んだ男……後藤英一」
- 第3回「FACOM100/国産コンピュータを世界にアピールした池田敏雄……山本卓眞」
- 第4回「指揮装置/戦時下で開発された機械式アナログ計算機……更田正彦」
日本のコンピューターやエレクトロニクスは、どのような道を歩んできたのか? その中で企業の開発者たちはどのように取り組んみ、トップはそれをどう見守っていたのか? 3回として池田敏雄氏と富士通のコンピューターについて元富士通の山本卓眞氏へのインタビューである。なお、文中の企業・組織の名称、個人の所属などはすべて単行本収録時点のものである点、ご了承いただきたい。
※本文は、2005年刊行の『新装版 計算機屋かく戦えり』の時点のものである。週刊アスキーの最新情報を購読しよう
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