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次世代MSXインタビュー(前編):

西和彦氏が「MSX0」を作る理由はIoTを“プラグ&プレイ”にするためだった

2023年03月06日 09時00分更新

MSXの起動直後の画面。MSX Basicが起動している

 1月にクラウドファンディングサイトのCAMPFIREで大きな注目を集めるプロジェクトの募集が始まりました。「MSX0 Stack」と呼ばれる8ビットMSXパソコンを蘇らせ、IoT用のコンピュータとして利用できるようにするというものです。

 オリジナルのMSXが発表されたから40年が経過しています。なぜ、この規格の生みの親でもある西和彦氏は、今のタイミングでMSXを復活させようとしているのでしょうか。

西和彦氏

 西氏への取材を通じて伝わってきたのは、このMSX0は単純な過去のハードの懐古的な復活を目的しているのではなく、MSXという扱いやすいハードを通じてのIoTパソコンへと拡張していくことへの並々ならぬ意欲です。

 新型のMSXは、現在クラウドファンディングが実施されているMSX0のほかに、今後の発売が予定されている「MSX3」と「MSX turbo」が予定されています。今回の前編では、まずMSX0について紹介していきます。

CAMPFIREの募集ページに掲載されたMSX0。キーボードとゲームコントローラーを付け替えることができる

1983年に発売されたオリジナルのMSX

 記事執筆時点で、クラウドファンディングの達成率は目標金額6000万円の募集に対して86%。約5200万円と約1500名からの支援が集まっており、3月末の募集締切までに達成できる可能性が高まっています。CAMPFIREは目標金額に達成しなくても成立する方式のため、申し込んだ人は今年7月頃の出荷時に入手できます。人気の高いのは2万9999円の基本キットです。その後、Amazonなどのサイトを通じての販売もする予定があるとのことです。

 なぜ資金調達の手段としてクラウドファンディングを選んだのかという質問に対しては、「(製造元の香港メーカーが)3000個注文しないと作らないというわけ。お願いだから1000個でやってくれよと。追加の1000個は自分の金で払うからと言ったら、いいよということなったんです」と西氏。

 西氏は「いろんなハードがリメイクされたり、古いゲーム機のエミュレーターを乗せるものが出てきていますけど、MSX0はコンセプトが違っていますよね。過去のものを単純に戻すわけじゃないんです」と狙いを語ります。

 まずはオリジナルのMSXについておさらいをしていきましょう。

 MSXは、1983年にマイクロソフトとアスキーとが提唱した8ビットパソコンの共通規格です。西氏の自伝『反省記ービル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”で学んだこと』(ダイヤモンド社)に開発の経緯が詳しく紹介されています。

 1983年当時はまさにパソコンブームが到来していた時期でした。しかし、現在では当たり前である各メーカー間の互換性がなく、ユーザーにとって極めて不便な状況でした。しかし、当時各社から一般家庭用向けのホビーパソコンも登場するようになり、気は熟したと西和彦氏がビル・ゲイツ氏の合意をとって進めたプロジェクトでした。当時の各社の標準環境でもあった「マイクロソフトBASICを使った8ビット・マシンの集大成にしよう」という目標を立てて仕様を決めていきました。さらに、松下電器、ソニー、日立、東芝、富士通、三洋など、日本の主要な家電メーカーの多くが参画を決めるという画期的なプロジェクトでもありました。

 MSX本体のスロットにカートリッジを差し込めば、それだけでワープロとして使えて、別のカートリッジをつなげばゲームも遊べる。専用モニタだけでなく普通の家庭用テレビにもつなげることができる。「安くて、誰にでもすぐ使えるパソコンを作ること」が目指し、西さんは「一家に一台のパソコンができる」と期待を膨らましていたのだそうです。

 しかし、結果的にMSXは成功できませんでした。

 一つには、同じ年に任天堂がゲーム機のファミリーコンピュータ(ファミコン)を1万4800円で発売開始。MSXは常にゲーム機としてマスコミ報道の中で比較されることになりました。さらに、参画した一社のカシオが各社の販売価格の半額の2万9800円のMSXマシンを発売。急激にMSX陣営での値引き合戦が始まり、利益が出ない市場環境ができてしまったのです。それでも、年末商戦ではブームが起き、最終的に日本で300万台、海外で100万台の販売に成功します。

当時発売されていたCanonのMSX。カートリッジ部分に接続されているのはMSX0のカートリッジバージョンで、発売は検討中とのこと

 「当時1000ドルで販売されていた16ビットのIBMパソコンより安いパソコンがあってもいいだろうということで、MSXは最後の8ビットとして生まれたわけ。上はIBMで16ビット、下は8ビットのMSX1本でいくと。そこでぼくは大きな間違いをおかした。IBMパソコンは当時1000ドルくらいだったのですが、ものすごく値下がりしたんです。300ドルぐらいまで下がった。何を意識してなかったかと言うと中古のIBMパソコン。今だから言うけど、MSXが一番苦しんだ競争相手は中古のIBMパソコンだった」(西氏)

 その後、1985年に「MSX2」、1988年に「MSX2+」、1990年の16ビットの「MSXturboR」が登場しますが、規格として一定の支持を受けたものの、大きな成功には至りませんでした。

 「MSXとしては、さらに高機能をめざして、MSX3用に独自チップを作ろうとしたんだけどできなかったんです。開発に失敗したとは言わんけど、昔のMSXとの互換性を犠牲にしなければならなかったわけです。互換性を犠牲にするのは辛いということで、次世代MSXの開発をやめちゃったわけ。それが残念だった」

 そして『反省記』の中で、西氏は失敗理由の「本質の問題」として次のことを上げています。

 「コンピュータはコンピュータのままでは、一家に一台必要な機械にはなり得ないということだ。安くて使い勝手のいいコンピュータを作れば、コンピュータが一家に一台ずつ入り込むんじゃないかと思っていたが、そうではなかった」(P.174)

 西氏は、MSXに不足していたものを「ネットワーク」だと結論付けています。パソコンはただの箱に過ぎず、それが「ネットワークに繋がれて始めて、一家に一台の必需品になる」(同上)と。

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