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次世代MSXインタビュー(前編):

西和彦氏が「MSX0」を作る理由はIoTを“プラグ&プレイ”にするためだった

2023年03月06日 09時00分更新

東京大学のラボを通じて磨かれた設計

 西氏は、そこから様々な経緯を経て2001年にアスキーを退職しています。その際に、MSXに関する権利のすべて譲渡を受けたんですね。2008年にはビル・ゲイツ氏からもMSXに関するすべての権利の譲渡も受けています。

 今回、その貴重な譲渡契約書を見せていただきました。「これが見えないのかボケぇ、みたいな」(西氏)

権利譲渡契約書の押印とサインの部分。アスキーは当時の鈴木憲一氏が(上)、マイクロソフトはビルゲイツ氏の名前が確認できる(下)

 また、MSXに関連するすべての商標も維持し続けていたとも言います。「オレのおこづかいがみんな消えていく。ただ、なかったら怖くてできないよ」と笑いながら話します。ずっと、いつかはMSXの復活をという思いがあったのでしょう。

 西氏はアスキー退職後、東京工業大学、工学院大学、MITなど様々な大学での研究や教鞭をとる日々が続きました。そして、MSX0の開発へと直接的につながったのは、2017年の東京大学IoTメディアラボラトトリーを開設し、そのディレクターに就任したことでした。このラボは、IoTの技術開発に対する「夢」をもつ学生が、体系的な知識とスキルを習得するとともに、その「夢」を「形」にしていくことをサポートするということを目的としていたと言います。

 「当時、工学部3年生と4年生、大学院の1年生と2年生向けにIoT演習とプロジェクトベースで通年の研究プログラムで色々やっていました。当時は、日本で一番たくさん(中国のIoT製品の販売をしている)Seeed studioのセンサーを買ったんです。当時、Seeed studioの最大顧客は東大だったんです。すごいでしょう」

 また、中国のM5Stackの小型のマイコンモジュールM5Stackとそれらのセンサーを組み合わせて授業を実施していったのだそうです。

 「それを使っていっちょうMSX動かすか、と。M5Stack上で、MSXをエミュレーターとして動かしたら、結構ちゃんと動作するんじゃないかと。じゃあそれで設計していこうと。そんな感じでMSXの新しい形がまとまっていったワケですね」

 2022年に西氏は65歳になり、東京大学を定年退職を迎える年齢になる。それ一つの岐路に立つことになりました。このまま、IoTラボを直接指揮できないが間接的に支援し続ける立場になるか、それとも、MSXを事業として具体化する道を目指すかという選択です。

 「全員が続けてくれと。東大の中でも外でもいいから西さんに付いていきますと。だからわかったと。外に出ようということで独立したわけ」

 MSXの開発は、現在は、NPO法人IoTメディアラボラトリー引き継がれており、15名ほどのスタッフが開発にかかわっているといいます。そして、今回のクラウドファンディングに向けて1年余りで準備を進めてきたのです。一方で、開発を進める中で、何が大変だったのかという質問に対して、西氏は「ない」ときっぱり言います。

 「完成品のイメージトレーニングをしっかりしたからです。使い勝手を考えながらの商品企画。かなりの部分、M5Stickの商品としての成長の歴史に乗ってきた部分もあるのです。でも、東大での5年間、ぼくらはM5StackとSeeed studioと一緒に、実際のIoTの教育システムを考えてきたようなところがあるから、東大にいるときに商品としての完成度が上がっていったというのは事実ですね」(西氏)

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