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落合陽一氏「“人間”というのも作られた概念だからね」小学生たちに伝えたメッセージ

2022年07月11日 09時00分更新

山口県山口市において3日間のサマースクールを開催したメディアアーティストの落合陽一氏

 「僕が1番伝えたいと思っているのは『人間観を破壊していかなければいけない』という話です」

 メディアアーティストなどの活動で知られる落合陽一氏は、子どもたちに向けてそう語った。

 クールジャパントラベルは4月29日~5月1日の3日間、山口県山口市のKDDI維新ホールにおいて、小学生を対象に落合氏による特別カリキュラムを受講できる「Table Unstable – 落合陽一サマースクール2022(山口編)」を開催した。

 Table Unstableは未来の技術適用について議論する国際ワークショップで、今回のサマースクールはクールジャパントラベルがWILLERと連携して実施したもの。主催は落合氏、シビラ、森ビル都市企画(KDDI維新ホール指定管理者)、角川アスキー総合研究所、電通グループ。共催は山口市。そのほか、ソニー、ソニー・インタラクティブエンタテインメントが協力している。

 この記事では、子どもたちのみならず、大人たちにも「面白かった」「本当に良かった」と好評だった、落合氏による哲学の講義と、子どもたちに送ったメッセージを紹介する。

落合陽一氏「人類は早く“人間”になりたかった」

落合氏が「自然と言えば何を思い浮かべますか?」「哲学と言えば何を思い浮かべますか?」と質問すると、子どもたちは積極的に手を挙げて、思い思いの考えを口にした

 同サマースクールは、子どもたちがロボット工作にチャレンジするという内容にもかかわらず、意外なことに落合氏による哲学の講義で幕を開けた。

 落合氏によると、哲学の講義から始めたのはTable Unstableの立役者であり、株式会社電通グループの電通イノベーションイニシアティブ プロデューサーの鈴⽊淳⼀⽒の要望を受けたもの。2016年に同サマースクールの起源となる「WIRED Lab. サマースクール」で哲学の講義から始めた名残という。

 講義では落合氏が「僕は科学者であり、情報学者でもあるものの、哲学者ではありません。ただそうやって哲学について考えてみることはどの分野でも重要です」と前置きし、“自然と科学/哲学/デジタル/人間”といった概念に疑問を投げかけていった。

 落合氏は子どもたちに「自然と言えば何を思い浮かべますか?」と問いかけ、「世の中ではだいたい“自然と科学”と言う場合、ここで言う自然は人間が触っていない、手つかずの自然のことを指します。主に20世紀ぐらいまでの人類は『人間は科学を使って自然を明らかにしていくもの』だと考えていました。『デカルト的自然観』です」と話す。

 哲学と言えば「ガリレオ・ガリレイ」を思い浮かべるという意見に対して、落合氏は「おおむね正しいです。ルネサンス期まで哲学と自然科学はあまり分かれておらず、科学として物事を考えることと、哲学として物事を考えることはだいたい同じでした。つまり、聖書について考えることも、科学について考えることも、自然について考えることも同じような構成をしていました」と説明した。

 現在の“自然や科学”を対象としない哲学の世界においては、どのようなことを考えているのかと思うかと質問した後、落合⽒は子供の頃に哲学的だと感じたものとして、テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』のオープニングテーマ『アンパンマンのマーチ』を紹介している。

 落合氏は『アンパンマンのマーチ』の歌詞に触れてから、「世の中には自然を探求すること――たとえば、ブラックホールを見つけたり、電気を流したりすること――と『われわれは何のために生まれ、何をしているのだろう?』と真面目に考えている人がいます」と話した。

落合氏は講義を始める前に記念として「良い笑顔だね」「りりしいね!」と声をかけながら、子どもたちの写真を撮影した

 落合氏は“デジタル”という概念については、1980年にナムジュンパイクが言及した定在する遊牧民という言葉に触れ、デジタルヒューマンが発達すると、自動車や飛行機などでの移動が不要になり、エネルギー消費や炭素排出が抑えられる可能性があると言及。スウェーデンの若き環境活動家であるグレタ・トゥーンベリ氏による国際連合での演説に触れてから、子どもたちにこう語りかけた。

 「地球環境のことを考えながら情報技術を発達させることは、君たちが地球に対してどう思うか、どうやって生きるのかを考えることで、単純にプログラミングができることより重要だと思います。われわれが“デジタル”になっていくのは、1つは環境のためかもしれないし、1つは利便性のためかもしれません。『“デジタル”とは何だろう?』とずっと考えてほしいと思います」

落合氏は「(保護者を困らせるために)おうちに帰ったら『デカルト的自然観って何?』って聞いてみよう(笑)」などと時折冗談を交えつつ、持論を展開した

 講義がクライマックスに達したのは、落合氏が同じく子どもたちにとって身近な曲である、テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』のオープニングテーマ『にんげんっていいな』を紹介してからだった。落合氏はついに“人間”という概念に疑問を投げかけていった。

 落合氏は『にんげんっていいな』の歌詞に読み上げてから、「『また明日(※)』というのは周期性のある労働、つまり農業をしない限り、なかなか出てこないフレーズだろうと考えられます。皆同じところに住んでいて、毎⽇同じ⽣活をするから『また明⽇』ができます。みんなが狩猟採集をして動いていたら『また明⽇』にはなりにくい。今日と明日は獲物が違うかもしれない。みんなが『また明⽇』し始めたのは最近です。たかだか数万年前かもしれません」と持論を展開した。

 「狩猟では⺟熊と⼩熊がいたときに、⼩熊を仕留めると、⺟熊は逃げることもしばしばある。⼩熊が死んでも次の年に⽣めば良いからです。『⼦どもの帰りを待ってる(※)』⼤⼈がいるという世界観は“⼈間”の獲得した社会的条件からなる性質だと思います」

 「昔、人類は“人間”ではなく、なかなか“人間”になれなかったはずです。これは重要な問題です。人類が“人間”ではないとき『また明日(※)』と言えないし、子どもはよく死んでいました。野良猫は大人になれる猫は10分の1ぐらいです。縄文時代は乳児死亡率が高いから、多く死んでしまっていました。子どもとの別れは辛いものです。そんなふうに考えると、⼈類は早く“⼈間”になりたかったのだろうなと思います」

(※山口あかり作詞・小林亜星作曲 1984年『にんげんっていいな』より引用)

 落合⽒は「僕らは今、コンピューターを使ってどんどん農耕(工業)ではない⽅向に向かっていると思います。『⼈類が“⼈間”を獲得するまでには結構な時間がかっているので、その構築のたゆまぬ努力に相当の敬意を払って“デジタル”で“⼈間”をぶっ壊していこうぜ』というのが、今⽇のメッセージです」と講義を締めくくった。

落合陽一氏「“人間”というのも作られた概念だからね」

子どもたちに最後のメッセージを送る落合氏

 落合⽒は最終⽇にメインホールにおいて、“⾃然と科学/哲学/デジタル/⼈間”といった抽象的な概念について次々と議論を展開した哲学講義を振り返りながらサマースクールの総評を語り、「最後に僕からみなさんにメッセージをお伝えしようと思います」と切り出した。

 「最初の日、哲学の話をしました。難しい話をしているように思われたかもしれませんが、みんなと話していたらだんだんわかってきた気がします。僕が1番伝えたいと思っているのは『人間観を破壊していかなければいけない』という話です。昨日、『どういう意味なのですか?』と質問に来た保護者の方がいました。僕は『“人間”というのも作られた概念だからね』という話をしました」

落合氏は3日間のうちに自分自身でも作品を作り、最終日に披露した

 落合氏は唐突にTwitterで見つけたという死ぬ前の猫についての投稿を紹介してから、こう続けた。

 「人類が狩猟農耕をしていた頃は、未来永劫同じ社会が続くようにしたいと思っていなかったはずです。われわれが常に健康で、常に同じような生活が毎日あると信じているのは、農業を始めて日々の仕事や⽇々の暮らしのなかで⽣きられるようになったからでしょう。それ以前の⼈類は容易に死んでしまったし、年を取ったら⾃然に死んでしまうこともよくある過酷な世界に⽣きていたのだと思います」

 「おそらく、動物が亡くなると悲しいと思い、ギリギリまで何かしてやろうと思うのは、われわれがこういう生活を始めてからです。そういったことを根源的に考えていていくことが大切です」

 落合氏は「つまり、何が言いたいかと言うと」と口にしてから、子どもたちに向けてこう語った。

 「君たちもやがてこれまで解決できず、⼤⼈も答えを知らないような問題を考えながら⽣きていかなければならないような状況に置かれることもあるでしょう。そういったことを考えるきっかけになるようなものを⽬の前で発⾒したり、じっくり考えたりするにつれ、良い作品を作ったり、良いものを作ったり、強いメッセージを届けたりできるようになります。君たちにはそういったことを考えながら、1⽇1⽇を⽣きていってもらえればと思っています」

 
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