Twitter、Square社共同創設者 ジャック・ドーシー 写真:編集部 |
電子版週刊アスキーにて好評連載中の「仮想報道」よりバックナンバーをピックアップしてお届けします。Twitter暫定CEOへのカムバックが話題の起業家ジャック・ドーシー。今回は、彼を中心としたTwitter創業にまつわるエピソードです。※一部内容は連載当時のままです。
Vol.833 ツイッターは大丈夫?
(週刊アスキー2014/8/12号No.987より)
●暴露本の域に達している衝撃的なツイッター創業物語
このところ出た本を参考に、アップル、ヤフー・ジャパン、フェイスブック、アマゾンとIT企業について書いてきた。ブラッド・ストーンによるアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスについての本もそうとうに辛辣だったが、今回取りあげるニック・ビルトンの『ツイッター創業物語』は、ほとんど暴露本の域に達している。ツイッターが誰によって発明され、どのように運営されてきたかに関心がある人間には驚くべきことが書かれている。
ツイッターについては、私も2011年に何回かにわたって本欄でかなり詳しく取りあげた。そのときこう書いた。
「ツイッターを思いついたのは、ジャック・ドーシーというプログラマーだ。子どものときから都市を行き交う交通に興味を持ち、タクシーや救急車、郵便配達のクルマなどの配車の仕組みを考えるような少年で、趣味で配車のためのプログラムを作ったりもしていた。タクシーの運転手が配車係と無線でやりとりしているのを見て、ツイッターを思いついた。短いやりとりで情報を共有できる仕組みとしてツイッターは生まれたわけだ」
これは、2011年ころジャック・ドーシーを取りあげた米メディアの記事のなかでしばしば言及されていたツイッター誕生のエピソードだ。
このドーシーの発明物語を強く打ち出したのは、この年4月の「バニティフェア」の記事だった。ドーシーのことを大きく取りあげていて、私も本欄で書くときに参考にした。しかし、有名なこのツイッター誕生の逸話が『ツイッター創業物語』には書かれていない。ドーシーが自分の役割を過大にメディアにあつかわさせるための神話づくりの一環だと見ているようだ。
↑ニック・ビルトン著『ツイッター創業物語——金と権力、友情、そして裏切り』(日本経済新聞社)。この本は、参考文献がまったくない。ほとんどの内容は取材にもとづくということなのだろう。買収交渉の話などは機密性がきわめて高いはずなのに、よく聞き出したものだ。
●シリコンバレーでも起業はむずかしい……
ツイッターは創立者(ファウンダー)たちが激しくいがみあってきたにもかかわらず、急成長してきた不思議なサービスだ。
ツイッターは創立者が何人もいる。この原稿を書いている時点で、米ウィキペディアのツイッターの項目では、創立者として4人の名前が挙がっている。ジャック・ドーシー、ノア・グラス、エヴァン・ウィリアムズ、ビズ・ストーンの4人だ。ところが日本語版ではノア・グラスの名前が抜けて3人しかいない。ツイッターの名前を思いついたのはノア・グラスらしいが、ツイッターが誕生してまもなく会社から放り出されたため、長く名前が知られなかった。どちらが間違っているという以前に誰が関与したのかがそもそもわかりにくいのだ。
ツイッターのアイデアを思いついたのはやはりドーシーのようだ。彼はプログラマーで、アイデアを思いついただけではなくてプログラムを書きもした。だから、生みの親の資格がとりあえずあるだろう。前回取りあげたとき、ドーシーの物語としてツイッター誕生について書いたのも、まず何よりもアイデアを考えた人間に脚光をあてるべきだと思ったからだった。
ただ、そのときドーシーはオデオという会社の社員で、その会社の仕事としてツイッターを作った。オデオ社はCEOのエヴァン・ウィリアムズが資金の大半を出していた。彼は、ブログサービスの「ブロガー」を作って名をはせた人物だ。会社をグーグルに売却し、その資金をもとにオデオ社を立ち上げた。この会社はそもそもポッドキャスティングのサービスを提供するために作られ、そのサービスのアイデアを出したのはノア・グラスだった。彼もわずかながら資金を出していた。つまり彼の会社でもあったわけだ。そういう意味で、ウィリアムズやグラスもツイッターの誕生に貢献しているし、先の本によればアイデアもいろいろ出したようだ。
一緒に仕事を始めたときはみな仲がよかった。しかし、まもなく、グラスはウィリアムズやドーシーに嫌われ、ツイッター社の創立に加われなかった。だからグラスは、ツイッターの誕生にはかかわったが、ツイッター社の設立メンバーではないことになる。日本版と米国版のウィキペディアの記述が異なるのは、ツイッターというサービスの創立者なのか、ツイッター社の創立者なのかが曖昧なためもあるだろう(じつは米国版はグラスもツイッター社の創立者と書かれているのでそれは間違っていることになる)。
アイデアを考えた人とお金を出した人が異なることはよくあることだ。フェイスブックやグーグルのようにアイデアを思いついた人物が会社を作れば話はわかりやすいが、そうでないと揉めることになる。世界最大のSNSとして(わずかの期間ではあったが)一世を風靡したマイスペースなども、お金を出した人とアイデアを思いついた人が違っていて揉めていた。ツイッターもそのパターンなわけだ。
↑ジャック・ドーシー復権を象徴する「バニティフェア」2011年4月号の記事「ツイッターは第1章だった」。事実上ツイッターから追放されたドーシーは、モバイル端末につないで簡単にカード決済する「スクエア」という会社を立ち上げた。ツイッターは第1章でしかないというわけだった。
●鼻ピアスのCEOはIT企業でも「規格外」?
アイデアを考えたのはドーシーなので、彼のアイデアを資本家のウィリアムズがうまく搾取して自分の手柄のようにしたのではないかと思っていたのだが、『ツイッター創業物語』を読むと、むしろドーシーはかなり困った人のようだ。
彼はもともとオタクのプログラマーだったので、おもしろいアイデアを思いついたからといって経営者の仕事ができるわけではなかった。シャツをズボンの外に出し、鼻ピアスをした彼に経営の能力がないと投資家たちは思っていたようだ(さすがのアメリカのIT企業でも鼻ピアスはCEOとして「規格外」らしい)。
しかし、ウィリアムズはドーシーをCEOに育てるつもりだった。もっともドーシーは、鼻ピアスをとるぐらいならバンドエイドで隠したほうがましだと思うぐらいにこだわりがあったようだが、CEOになってさすがに鼻ピアスはとったという。けれども、鼻ピアスだけが問題ではなかった。
『ツイッター創業物語』によれば、致命的だったのは、頻繁に起こるツイッターのシステム・ダウンに対処する能力がなく、出費を抑えることにも無頓着だったことのようだ。取締役たちが厳しく求めたにもかかわらず、大統領選向けのサイトを作るなど、アクセスが急増してますますダウンするようなことをした。データのバックアップすらとっていなくて、ダウンすればすべて吹っ飛ぶことが明らかとなってついに引導を渡された。
クビを切ってライバルのフェイスブックに転がりこむことを恐れた投資家たちは、年20万ドルを払って発言権のない会長職につけ、「飼い殺し」にする選択をした。ドーシーは裏切られたと激怒し、阿修羅のごとき存在になっていったというのが『ツイッター創業物語』のストーリーだ。
こうしてわずか数年で創立者4人のうち2人がツイッターの経営陣から実質的にはじき出されたのだが、こうした裏切りと追放のドラマは以後も続いて、ツイッターのありようにも大きな影響を与えていたようだ。次回はそれについて。
Afterword
ツイッターの株式公開にぶつけて出版された上記の本で、現会長のジャック・ドーシーはそうとうの卑劣漢に書かれている。ここまで書かれて反駁しないのだろうか、という気がする。
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