アズママ(AsMama)代表取締役 甲田恵子CEO |
1時間500円で、信頼できる人に子供を預けられる。
ベビーシッターの料金が平均1時間2000~3000円という中、飛びぬけて安い料金で利用できるのがアズママ(AsMama)のサービス『子育てシェア』だ。
子育てシェアは利用者同士が顔と顔を合わせて知り合いになり、空いた時間にお互いを助け合うサービスだ。登録者は母親たちを中心に毎月1000人ペースで増え、累計で2万2000人を超えている。
基本的な仕組みはクラウドソーシングでありながら、利用者から手数料を取るビジネスモデルではない。子育て中の女性たちに向けた企業や自治体への広報・マーケティング・集客・顧客化支援を主な収益源としている。
年間売上高は2011年の500万円から2015万円、5300万円、7300万円と毎年順調に伸びてきた。今期は前期比で倍増させ、1億3000万円の大台に乗せる計画だ。
現在は地域交流イベントを鍵とした収益が全体の9割を占めているが、今後は不動産屋や自治体、行政相手にサービスを導入することで新たな売上の柱にしていきたいという。
甲田恵子代表が成長のスピードにかける思いは強い。
「細く長く続くサステナビリティじゃなく、常に拡張していかなければいけない。昭和初期に鉄道を広めたほどのスピードで(規模を)広げなければ。定款を変更するために理事会を開くような経営スピードではとても間に合わない」
ガス、水道、電気のようなインフラとして、世界中に子育てシェアの仕組みを普及させたいと展望を語る。
だが、甲田代表は一足飛びに成長への道を歩んできたわけではない。むしろ大企業のキャリアを捨てて起業家の道に飛び込んでからは、地獄の日々の連続だった。
ミクシィで大量のコメント「これはいける」
関西外語大卒業後、入社したのはIT企業ニフティだ。得意の英語を活かして海外事業部の立ち上げに携わり、ビジネスモデル特許も複数件取得。将来を嘱望されるキャリアウーマンとして活躍した。
娘を出産した後、ベンチャー投資企業に転職。「転職するたびに給料が何パーセント上がったかを価値指標にしていたこともあった」甲田代表だが、同社で大きなリストラがあったとき、次の道は会社勤めではないと考えた。
何かあったとき会社に頼りきっているのはリスクだ。子育てをしながらの転職活動は難しい。甲田代表が会社をやめ職業訓練校に通う中、気づかされたことがあった。
しっかりとした職歴がありながら出産を機に離職を余議なくされ、新たな職を求める人がいる。一方、家事に専念する中で社会に必要とされたいと思い、学校を訪れる主婦も多かった。両者の課題を一挙に解決する方法はないものか。
思いついたのは、アズママの原型となる助け合いのシステムだ。訓練校にも子育てに忙しく「助けを求めている人」「助けてあげたい人」はたくさんいるのに、両者をつなぐツールがない。ちょっとした助け合いだけでも価値があるはずだ。
「そんなことをブログに書いて、ミクシィに転送したら48件のコメントがあった。いつもは3件とか5件程度だったので、てっきり炎上したのかと思ったくらい」
当時から女性労働協会による『ファミリーサポート』という公共サービスはあったが、マッチングされる相手との相性は分からず、候補も1~2人ほどで少なかった。相手の顔が見えて、参加人数が多いコミュニティーはまだない。
潜在市場はある。人を集められればプラットホームとしてビジネスにできるはずだ。自分自身の経験も活かせる。いける。キャリアウーマンとしての自信も手伝い、自信を持って起業の道を歩み始めた。だが、その自信はこっぱみじんに打ち砕かれる。
企業が激怒、創業メンバーも激怒
甲田代表が最初に作ったのはアナログのコミュニティーだ。スマートフォンもまだそれほど普及していなかった当時、インターネットよりも実際に顔が見える場所を作る方が先だと考えた。
チラシを配ってファミリーレストランや公民館に人を集め、困っている人どうし情報交換の場所を作った。大阪・名古屋を中心に3ヵ月で100回ほど開催したが、周囲の反応は冷たかった。
「どうかしてる」「宗教か何か?」
聞こえてくる声に構うことなく、甲田代表は有志を募ってイベントを開きつづけた。創業メンバーはみな使命感に燃えて、これで世の中を変えるんだと意気込んでいた。
1年かけて収支はトントンになったが、参加人数は限界を迎えはじめた。交流会は最低でも参加費が数百円かかり、来られる人が限られてしまう。助けてもらいたい人からお金をもらうのはやはりおかしい。企業からの協賛イベントモデルに切り替えよう。
折しも、集まる人数によっては協賛していいという企業も現れているタイミングで、児童館で開いた親子向けのコンサートに協賛を入れた。親子世代のサンプルを集め、会場代は企業に持ってもらう。参加無料で、自分たちのコミュニティーもしっかり作れる。全員が嬉しいWIN-WINだ。自信満々でコンサートの幕を開けた。
だが、結果は最悪だった。
コンサートの前座にアズママの話をしたが、誰も興味を持ってくれない。「偶数列の人が奇数列の人と、お互いの生活について話をしてみてください」などと言っても、見向きもされず、かえってうとましそうな目を向けられた。
「アンケートは800人中13人しか返ってこず、ブースも5社が出していたが800サンプルの中で片手も集まらなかった」
無料コンサート目当ての客しか集められなかったのだ。助け合いを求めているはずの人びとは見つからなかった。企業から約束が違うと激昂され、平謝りした。この方向ではダメだ、イベント屋はやめよう──そう伝えると、今度は創業メンバーたちが激怒した。
大雨、号泣、それでも立ち上がった
「事業をなんだと思っているんだ、ふざけるな」
メンバー13人のうち11人が怒号を飛ばし、甲田代表の元を去っていった。止められなかった。なぜこんなにもうまくいかないのか。失意の中、NPO法人が開催している起業塾に選抜された。塾とはいえ虎の巻を伝授するわけではなく、事業の意義を問われつづける尋問の日々。だが1つの基本的な問いかけに揺さぶられた。
「実際に助けを求めている人を3人、助けたいと思っている人を3人挙げてみて」
そう尋ねられ、すぐに答えられない自分に甲田代表は茫然とした。コミュニティー作りを始めた頃から利用者層を漠然とは想像していたが、実際の姿は分からなかった。
フィールドリサーチにどれくらい必要かと聞かれ、「1000人くらいでしょうか……」と答えると、「じゃ、1000人探してみて」とあっさり返された。
翌日から、甲田代表は駅前で声かけを始めた。1000枚のチラシを用意し、初日だけで150人に声をかけた。1日100枚を集めれば10日で終わると思っていた。だが結果、集まったのは2枚だけ。そんなはずはない。2日目はあろうことかゼロ。途方に暮れた。
3日目は雨だった。どれだけ必死に笑顔を作って声をかけても、人々は目を伏せ、足早に去っていった。ふと見ると、紙袋の中でアンケート用紙が湿気を吸って、よれていた。自分は一体こんなところで何をやっているんだ。涙があふれてきた。
「キャリアを捨てて起業した。得意でもないイベントをやって失敗し、企業からも創業メンバーからも『詐欺じゃないか』と罵られた。アンケートを取ろうとしても逃げられる。自分のバカさ加減にわーっと涙が出てきた」(甲田代表)
だが、起業塾の担当者に電話をかけると、受話器の向こうから聞こえたのは「案外根性ないんですね」という声。悔しくて悔しくて仕方がなかった。意地でもやってやる、その日から3ヵ月かけて1000人の声を集めつくした。
次第に声を集める中で、実際に困っている人物像が見えてくる。保育園に閉園ギリギリの時間に駆け込んでくる人、スーパーの見切り品が出る時間にかならず現れる人、また本人たちと知り合うことでさらに理解が深まっていった。
「可能性が確信に変わった。グーグルやユニクロさえも超える可能性を見た瞬間だった」
創業から3年目、イベントばかりでネット対応は開発が進んでいなかったが、それでも3000人ほどの登録者が集まっていた。ようやく土台が整ってきたと思ったが、まだ最大の壁が待っていた。
「クレイジー」と言われた5000万円保険
事業を広げるにあたって、最大の課題は保険だ。
子供を預かる人々は知り合いといっても、基本的に無資格、事故が起きたときの責任は取れない。「頼った方がいいよと言いながら、子供が亡くなるような事故が起きるのは怖かった」
頼り合いに保険をつけてほしいと日本中の保険屋に行脚したが、相手にされなかった。黙殺され、バカにするなと一蹴された。
保険ができたとしても、目安は1人1万円程度。3000人に1万円ずつとなれば保険料は年間3000万円だ。いつ事故が起きるかも分からないのに、そのたび数千万円の保険が必要になる。リスクが高すぎて、引き受けるわけがないと言われた。
イギリスの全ての金融商品をつくる会社があると聞き、保険をつくってくれないかと直談判したこともあったが、「アーユークレイジー?」と鼻で笑われただけだった。
万策つきたと思ったとき、たまたま大手保険会社の知り合いが役員として赴任する話を聞きつけた。すぐ飛びついた。やってほしいことを説明したが、やはりあっさり断られた。「会議があるから」と知り合いが席を立とうとした途端、逃がすわけにはいかないと食らいついた。
「世の中を変えるための保険だ、どうにかしてでも作ってほしい」とまくしたてた。必死だった。保険を作ってくれるまで帰らないと粘った結果、折れたのは先方の方だった。「なんとかするから今日は帰って」と苦笑しながら言われた。
そしてついに、世界で初めて子育ての互助システムに大手の保険が適応されるようになった。ケガや食中毒などの事故が発生した場合、最高5000万円の損害賠償保険が入るようになった。満を持して『子育てシェア』をローンチしたのは2013年4月のこと。そこからは怒濤のような成長だった。
順調な成長の先、甲田代表のまなざしは既にはるか未来に向いている。
101回目の失敗を恐れてはならない
「中国だって経済発展が頭打ちと言われている。インドも同じ。かといって(福祉のために)数十パーセントの税金を北欧のように設けて福祉の充実を図るのは難しい。アズママの仕組みは国の財政に関係なく、どこの国にもインストールできる」
現在の目標としてはサポーターを1万人に増やすこと。売上や利益の拡大も狙うが、理由は資金規模が”共助インフラ”の拡大に必要だから。未来に見えているのは、世界中で子育てのインフラが当然のものとして使われている世界だ。
これまでも数えきれないほどの失敗と再挑戦を重ねてきた。大事なのは「101回目の失敗を恐れないことだ」と甲田代表は言う。
自分が失敗だと投げ出してしまえば、必要なはずのインフラが完成しなくなる。同じビジネスモデルを考えたと言われることは山ほどある。だが違いは、失敗してもやめなかったというその1点だ。
「わたしが死んだあとになるかもしれないが、『なんで助けてもらわないの?』と当たり前に言える世界を作りたい。交通事故にあったら救急車は来る。子育てに困ったら、誰か助けてくれる人がいる。世界に誇る共助インフラを完成させたい」
写真:編集部
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