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シャープが電卓50周年 お客さまと作る電卓キャンペーン by遠藤諭

2014年03月18日 12時30分更新

 世界中で“電卓”は1年間に1億3000万台も売られているそうだ(JBMIA=一般社団法人 ビジネス機械・情報システム産業協会のデータをもとにシャープが予測)。スマートフォンの影響で減少していると思いきや、リーマンショックの影響はあったもののその後は堅調とはいかないが横ばいに近い市場だ。しかも、中国製など大手メーカー品以外の市場規模は正確にはつかめていないようだ。

シャープが電卓50周年 お客さまと作る電卓キャンペーン

↑2005年にIEEE(米国電気電子学会)マイルストーン受賞した記念電卓『EL-BN691』と著者。

 その代表メーカーであるシャープの電卓が50周年を迎え、“お客と作る 50周年記念電卓”というキャンペーンを展開する。
 電卓といえば、エレクトロニクス機器における「小型・薄型化」、「低消費電力化」技術を推進する原動力となった。シャープにとっても同社の半導体事業や液晶、太陽光パネルといったその後の屋台骨を支える技術を育てることとなり、2005年にはIEEE(米国電気電子学会)マイルストーンに認定されている。ただの1製品の50年では片づけられないものがあるわけだ。

シャープが電卓50周年 お客さまとつくる電卓キャンペーン

 そうした背景については、『計算機屋かく戦えり』(拙著、アスキー刊)で、“電卓戦争の勝者”と題して浅田篤(元シャープ副社長)に、“エレクトロニクスをポケットに入れた立役者”として佐々木正氏(元シャープ副社長)にインタビューさせていただいたことがある(正確には『月刊アスキー』に連載して単行本化=それが20年も前になる)。

シャープが電卓50周年 お客さまとつくる電卓キャンペーン

 いま見て興味深いと思うのは、1960年頃の政府の産業政策によりコンピューター企業に対する指導が行われた。シャープは、オフコン(HAYAC)は販売したものの本格的なコンピューター開発は断念せざるを得なかった。これが逆に電卓という市場を見出す結果となる。国内チップメーカーが要望に応えないので佐々木氏は米国メーカーに足しげく通うことになったそうだ。当時、あまりにチップを景気よく買い付けるので、「日本人はチップを食べているのか?」とあるメーカーの米国人は言ったそうだ。

 やがて自社で省電力型のMOS-ICの開発に乗り出すことになっていくわけだが、お二方のインタビューで感じるのはいまの米国スタートアップにも通ずる気概である。

シャープが電卓50周年 お客さまとつくる電卓キャンペーン

 本格的なコンピューター開発を断念したと書いたが、電電公社に出入りの巨大企業しか手が出せないような“金食い虫”といわれるジャンルである(当時のシャープはまだ大企業ではなった)。これは、シリコンバレーで2人くらいで始めたばかりのネット企業が、“世界”をすべて自分たちが変えると身の程しらずな発言をするのと同じような感覚だと思う(先日、フェイスブックが買収したWhatsAppも“世界中の携帯電話に入れる”と言ってやってきた)。

 電卓の需要がいかに日本の半導体メーカーにとって大きな意味を持っていたかは、『計算機屋かく戦えり』の一部を改訂した『日本人がコンピュータを作った』(拙著、アスキー新書)の元NECの渡邊和也氏へのインタビューをご覧いただきたい。電電公社に交換機等をおさめている電電ファミリーの1社であるNECは、今度は、「必ず半導体の時代がくる」と固く信じてその生産に乗り出そうとするが、それを使おうとするメーカーのほうの意識がまだできていない。

 デジタル回路の教育からはじめて、トランジスタ、IC、マイコンの時代まで市場を喚起しながら販売をてがけていくことになるが、そうした時代に“電卓”が登場する。渡邊氏の口からは「もちろん電卓ですよ」という言葉が聞かれた。トランジスタとニキシー管の電卓の時代から、米国のコモドール(カシオ製)や機械式計算機の老舗中の老舗スェーデンのFACIT(シャープ製)など日本メーカーの例がたくさんある。

シャープが電卓50周年 お客さまとつくる電卓キャンペーン

 1970年代の終わり頃には、“軽薄短小”という言葉がもてはやされそれを代表する製品こそが電卓だった。それが、カメラでもエアコンでも電気炊飯器でもなんでもマイコンをブチ込まれていくことになり、日本のテレビはリモコンがあるから使いやすいとか、全自動洗濯機であるとか、産業機器にまで広がって世界市場を取ったのだ(まさに“電子立国”となりいまはその財産で食いつないでいるようなものかもしれない)。

 日本のエレクトロニクスは2重構造になって動いてきた。1つは、通産省や郵政省(当時)の指導のもと産業政策と一体となって動いてきた、NEC、富士通、日立、東芝などの大型コンピューターまで作った一団。もう1つが、シャープ、ソニー、カシオ、セイコー、キヤノン、ヤマハといった民生品にエレクトロニクスを活用しまくった一団である。かつて日本のエレクトロニクスの世界的な脅威はもっぱら産業政策によるものだと考えられたが、いまはその誤解もとかれている。

 実は、これと似たような図式はネットの時代にもあったと思う。高速ネットワークの時代が来ると確信して国内に巨額が投じられて光ファイバーがはりめぐらされた。これはすばらしいことだったが、ダークファイバーのまま置かれることもままあった。ネット時代の民間向けのサービス事業をする一団がエレクトロニクスのときのようには動かなかった部分がある。

 ところで、シャープが最初に発売したオールトランジスタタイプの電子式卓上計算機「CS-10A」がデビューした1964年は、東海道新幹線が開通して、東京オリンピックが開催、富士山レーダーも完成したそうだ。50年を経て、新幹線はリニアへ、東京は2度目のオリンピックへ、そして、富士山は世界遺産となった。2014年3月14日に行われた50周年と記念キャンペーンに関するメディア向け説明会では、「さて電卓は?」とシャープ自身が問いかけていた。

シャープが電卓50周年 お客さまとつくる電卓キャンペーン

 前社長の佐伯旭氏が「八百屋の奥さんにも使ってもらえるような電子ソロバンを目指せ!」とつくられた同社の電卓。「これからも、生活によりそう商品を提供し、“電卓”100周年を目指す」というのが答えだったのだが……。その説明の中で、いまの世界の電卓市場で興味深い数値がひとつあった。1億3000万台の約3分の1にあたる4000万台が、“関数電卓”だというのだ。これはヨーロッパを中心に義務教育の現場で使われているのが大きい。人間の能力を拡張するというコンピューター本来の使い方というところで、電卓が使われていたのは、ちょっと嬉しい気がする。

 エレクトロニクスの未来を考えるときに、なんでもかんでもスマートフォンやタブレット型の端末に集約されていくのではないだろう。目下、おおいに注目されてきているのはIOT(インタネット・オブ・シングス)とは、ネットが身の回りのさまざまなものに直接つながって製品を生まれ変わらせることである。ウェアラブルもスマートフォンの延長ではないところにむしろありそうだ。まさに、必要十分な電卓らしい未来がいろいろ思い付きそうだ。

 エレクトロニクスの時代に、チップと民生品の2つの企業の一団がうまくかみあって日本は相乗効果を生み出した。ネットの時代にも、インフラと民生品がそんな関係になれるかどうか? 電卓が50周年を迎えたいまは、ちょうどそんなタイミングなのではないかと思うのだがどうだろう。

 なお、“お客様と作る 50周年記念電卓”は、デザイン投票を行い人気ナンバーワンとなった電卓を100名にプレゼントするものとなっている。詳しくは、以下のキャンペーンサイトをご覧ください。

●関連サイト
キャンペーンサイト(SHARP iCLUB)
シャープ

 

日本人がコンピュータを作った! (ア...

780円

 

SHARP 電卓 「MONO」デザイン 手帳タ...

700円

※3月18日19時追記 記事の内容を加筆修正いたしました。
※3月18日20時30分追記 記事の内容を一部修正いたしました。

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