アスキー元社長でもある西和彦氏は「ビデオデッキのように、誰でも使えるパソコンを普及させたいんや!」との思いからMSXを生み出したわけですが、その目標であるビデオデッキメーカーでもあったビクター(現:JVCケンウッド)の元MSX開発に携わった方々に直撃インタビューという名の雑談会に行ってきました。残念ながらお名前は秘密なのですが、当時を知る先達による貴重な証言をぜひご覧くださいませ。
↑JVCケンウッドのウェブサイト(関連サイト)を見ても、もちろんAV機器の情報しかないが(実はひっそりと『InterLink』の情報は載っているが)、かつてはパソコンも作っていた。 |
■ビクターがMSX陣営に参加した理由
MSXアソシエーション(以下、M):今日は本当にありがとうございます。まず、ビクターからMSXを出したきっかけや、なぜMSX陣営に入ったのかの辺りからお伺いしたいのですが。やはり西さんが各メーカーをバンバン回っていたのですか。
元ビクターの方々(以下、V):MSX以前、世間でいわゆる68派とか80派とかがあって(※1)、ウチの社内でもどっちにするか侃々諤々(かんかんがくがく)やってた時にMSXの話が来まして、かつて私どもの中央研究所のSさん(※2)が西さんの家庭教師をしていたり、そういった縁からか研究所に西さんが訪れて……、でMSXに参加することになりました。
M:元々何かパソコンを作ろうとしていたのですか。当時、巷のラジオ少年達は夢中で80だ68系だとやってましたが、大手メーカーの社内会議も同じだったんですね。
V:ええ。家電系の各社もパソコン作らなきゃという雰囲気があったんです。で、私の上司が当時の社長から「情報関連事業に参入したい。お前がやれ」とプロジェクトに組み込まれていって。あの時はバブルで新入社員が多くて、パソコンに興味ある人を新卒で採用してたんです。弊社独自のパソコンはずっと考えたのですが、MSXの話がいきなり降って湧いて、「えっ、そっち行くの?」という感じだったんですが(笑)。実は孫さんからも話があったのですが、当時はアスキーのほうが全体に勢いがありましたよね。
M:おお! 何とビクターに孫さんからもアクションが!(スロット&スプライト連載第1回目も参照しよう!)でも当時はまだ、日本の大手メーカーにとって「マイクロソフト? どちら様?」って感じじゃありませんでした?
V:そうでもないですよ。ただ名前は知っていたけど、直接のつながりは薄いという感じでしたね。
M:当時なぜ西さんは各家電メーカーを集めることができたのでしょう? 運や勢いもあると思いますが。大手メーカーにとってはアスキーもマイクロソフトも“ポッと出”の会社でしょう?
V:それはやはり、当時のうちの社長が情報産業に参入したいという方向性を出していて、上司のAさん(※3)がまたそういう方向が好きなんですね。1年の半分くらい海外に出張して、現地のベンチャーを発掘してきたり。また、西さんとウマが合うという。他の家電メーカーが次々と独自のパソコンを出す中で、自分たちは後方にいる。「これはマズイ」という意識がありました。
M:そんなタイミングを西さんがうまくつかんだということなんでしょうか。
V:ええ。その頃の各家電メーカーはパソコンメーカーをすごく警戒していましたから。パソコンでできることが家電の領域にどんどん広がって、攻め込まれるというイメージがありました。MSXについては、各社独自に走っていたパソコンがひとつに収斂していくというのが、VHS(※4)のときと似てましたね。西さんはマーケティングが上手なんだと思います。
※1 68派と80派:
当時各社から発売されたパソコンのCPUには、主にモトローラ社の6809か、ザイログ社のZ80(インテルの8080を発展させたもの)が搭載されており、どちらが優れているか神学論争が繰り広げられていた。
※2 Sさん:ビクターの偉い人。2002年にタオ・ジャパン社の会長に就任し、当初MSXPLAYerのエンジンとして使われた『intent』にも携わる。手前味噌だがMSXアソシエーションの設立会合にも参加している。詳しくはMSXマガジン永久保存版1をご覧あれ。って売り切れか。
※3 Aさん:ビクターの偉い人その2。
※4 VHS:ビクターが開発し提唱したビデオデッキの規格。Video Home Systemの略。ソニーが開発したベータマックス陣営を打ち破り、事実上ビデオ業界の標準となる。VHS対βの戦争を当時知らぬ者はない。「どっち買えばいいんだー!」と叫んでいたお父さんも、最後は下半身の意見に従ったとかなんとか。
■ビクターが最初に出したMSXとは?
M:MSX1規格ですが、どう思いました?
V:スプライトは斬新だった気がしますが、単色なのが結構厳しいかな、と。
M:本体は『HC-5』が最初かと思いますが、これってヤマハのOEMですよね。
V:まあ見ればわかるという感じですが(笑)。
M:これって結局発売されたんですか? 当時のMマガの記事では、より高スペックな『HC-6』に一本化して、『HC-5』は発売されなかったと書いてるんです。でも、アスキーの別の調査資料では「一部地域のみ販売」となってまして、どっちが真実なのよ?と。
↑発売された? されなかった? ビクター初のMSX『HC-5』はヤマハ製だった。上が『HC-5』下はヤマハのMSX『CX5』。たしかに色以外は同じカタチ。(写真はMSXマガジン'84年3月号と同4月号より) |
V:開発は完了してたのですが、実際に売ったかはわからないですね。普通のルートでは売ってないと思いますが、誰かに何台か売ったのかもしれませんね。
M:う~ん。では、結論としては「HC-5は出たらしい」ということで(笑)。最初の型番であるHC-5の“5”とはどんな意味があるのですか。
V:特にないです(笑)。OEMですから、ヤマハのCX5からそのまま。当時はそれほど体力がなかったので、自力で開発しても間に合わないだろうと。しかし後の『HC-90』や95は完全にオリジナルでした。
M:では、『HC-6』は独自開発ですか?
V:いいえ、それもヤマハのOEMです。『HC-7』まではOEMで、『HC-80』からが独自開発です。
M:『HC-60』と『HC-30』というのもあったようですね。『HC-30』はヤマハの『SX-100』に見た目がそっくり。あっ、値段も同じだ(笑)。これはカシオの超低価格MSX対抗の廉価版MSX1ですよね。
V:MSX1はOEMで、MSX2からは独自開発。でもあまり売れなかった(笑)。
M:MSXの仕様については何か提案したりしていたのでしょうか。
V:MSX1についてはあまりしてないと思います。MSX2になってV9938の仕様には結構意見を出しています。
M:MSXのマーク自体が、西さんいわくVHSのマークに影響を受けたと。VHSみたいに各家庭に一台入ってほしいという願いを込めて。確かに並べてみるとかなり似ています。
↑MSXのロゴとVHSのロゴ。アルファベット3文字を四角で囲ってあるくらいの類似点だが、似てると言えば似てる。 |
V:西さんとAさんが親密でしたね。西さんが久里浜までわざわざ講演に来てくれたり。確かにMSXの販売戦略はVHSに似ている気がします。
M:さらにキャプテンシステムを意識したり(連載第6回参照)と。
V:弊社もキャプテンとか文字放送とかの開発をしていました。
M:ではその観点からMSX規格の策定に意見を出したりしていたんですか。
V:PDI(※5)という描画のプロトコルがありますが、その規格作りとか。NAPLPS(※6)を参考にしてました。そのソフトでMSXの売上に結構貢献したと思っています。例えば、横浜の某ホテルの案内システムなどは本体がMSXでした。
M:スーパーインポーズ機能(※7)がV9938に組み込まれたのはビクターからの提案ですか?
V:そうだと思いますよ。あと、ビクターは「色」にこだわってました。RGBの3:3:2の配分のシミュレーションを作っていたのを覚えています。やはりビデオのビクターですから。
M:「ビデオはビクタ~ァ♪」ってCMありましたよね。ところでビクターのMSXのイメージキャラクターは何で「キョンキョン(=小泉今日子)」だったのでしょうか?って開発の方にお伺いしても分からないかもですが……。
V:それは、所属がビクター(※8)だから…。
M:ああ、ソニーの松田聖子と同じパターンですね。やっぱり“手持ち”から出すのか……。
※5 PDI: Picture Description Instructions(図形描画命令)の略。
※6 NAPLPS: 北米で開発されたビデオテックス(文字と画像を組み合わせた情報を電話回線で送信)の規格。
※7 スーパーインポーズ: 入力された映像の上にMSXの画像を重ねる機能。字幕(テロップ)の表示などに使われる。
※8 所属がビクター: 当時はビクター音楽産業、現在はビクターエンタテインメントに所属。
■“映像のビクター”がMSXで見せたこだわり
M:ビクターのMSXの特徴と言えば、先ほどのスーパーインポーズ機能が思い浮かびますが、その開発には関わっておられましたか?
V:はい。TMS9918、9928はノンインターレースなので、インターレースの日本のテレビ向けに表示させるのは大変でした。
M:それが『HC-7』に搭載されたと。つまり、かなり初動の段階からこれを付けようとしていたわけですね。
V:そうです。ビクターがパソコンで何らかのメリットを訴えられる機能ですから。ビクターはMSXを結構がんばったんですよ。ゲームソフトも(ビクター音楽産業から)たくさん出しましたし。池袋西武のスポーツプラザの一角に開発室を設けて。
M:ビクターのMSX1にはTMS9918ではなく9928が採用されてますが、9918と9928では色が違うとも言われてます。この辺もこだわりでしょうか?
V:色にこだわる人がいて、(9918の)チップの中にあるNTSC(※9)のエンコーダーが「使い物にならない!」などと言っていました。9918の赤が赤くないとはよく言われていて、「ビクターの赤はちゃんと赤くするんだ」と。でもそれだとゲームとか動かしてみると他社のMSXと表示のされ方が違ってしまうなぁとは思ってましたね(笑)。
M:確かに橙色や朱色って感じでしたね。
V:ビデオであれば現実世界という比較対象があってそれに合わせていくわけです。ところがパソコンには比較対象がなくて、「赤を赤らしく」と言われても何とでも言えてしまうわけで。合わせるべき元は何なのだろう…と。
M:ですよね。色や音は同じMSXでもメーカーごとに微妙に異なっているので、我々もMSXPLAYerや1チップMSXを開発する時、どこに合わせるのってと悩みました。なんか開発陣で哲学的な論争になったりして。
V:当時のメーカーは「そういうところで差別化するんだ」という考え方でしたね。他の規格が同じなのだから。やはり画質・音質にはこだわらないと。映像メーカーとしてそれ以外にこだわるポイントはないという雰囲気はありました。単に部品を買ってくるのではなく、交渉力を強めるためにもそこは力を入れようと。
※9 NTSC: アナログテレビの規格のひとつ。日本や北米などで採用された。欧州ではPALという別規格が採用されている。
■なんと、最後まで生き残ったMSXはビクターだった!?
M:ビクターがMSX2+に参入しなかった明確な理由はあるんですか?
V:はっきり言えば、MSX2が思ったより売れなかった、ということですね。『HC-95』は高かったでしょ? コスパが悪いし。
M:すぐ廉価版のMSX2が出始めて、1年で価格破壊が一気に進んでしまいましたから。
V:安いほうに流れやすい商品ですからね。
M:ホテルのシステムにMSXが使われた話ですが、我々も何ケースか耳にしました。ビクター最後の機種である『HC-95を使って。それに関連して、MSXの生産は1994年に終了したのですが(松下電器『FS-A1GT』)、業務用として『HC-95』がそれ以降も生産されていたという噂を聞いています。
V:そうそう。しぶとく生き残ったんですよね。よそがやめてもしつこくやっていたんです。何年までかは覚えていないけど。
M:やはり! ただ、何年まで生産されて、何年まで出荷されていたかと……。真相や如何に!
V:え~と、今日は来ていないのですが、元営業企画だった自分より詳しい人がいるので、こんど確認してみます。
※後日確認して頂いた結果、何年までは分からないが、少なくとも最後に販売されたMSXが『HC-95』であることは間違いないのでは? とのことでした。しかし、さらに後日訂正の連絡があって、「売ったには売ったかもしれないけど、生産はしてなくて、おそらくは倉庫の奥底の在庫をイレギュラー的に流していたのが噂になったのでは? 社内の誰かが個人的に近いレベルで客対応したのではないか」とのことでした。うーん。やはり伝説に過ぎなかったか。
↑『HC-95』はスーパーインポーズ機能もある映像方面に強いMSX2。19万8000円もしたが、実は最後まで売っていたMSXだった。(写真はMSXマガジン'87年2月号より) |
M:もう一点、『HC-95』はZ80互換CPUのバージョンアップを特に告知することなく続けていたという伝説があるのですが。『HC-95』にはターボモードという特殊な機能がありますが、バージョンが上がるたびに速度が速くなっていったという噂話もあります。互換性に問題があるなら通常モードで動作させれば良いわけですから。
V:設計は変わってなく、最初からHD64180(日立のZ80互換チップ)が積まれているので、あるとしたらチップが手に入らなくなったからじゃないでしょうか。
M:64180が採用された背景などはご存知でしょうか。
V:自分はよく知らないのですが、一つの考え方として、日立から来たエンジニアがいたので、こいつが使ったのかもしれません。特に議論はしていませんでした。ただ、雰囲気的に他と差別化しないとというのはありました。一つはスーパーインポーズですが、それ以外にもう一つと。ユルい会社なんですよ(笑)。
M:ターボモードを使うと付属ソフトでの作業が快適だという話は聞いたことがあります。ゲームだと動かないのも多いようですが。ある地方テレビ局は21世紀に入ってからもかなり後年までテロップとかに使っていたとか。
V:小さなケーブルテレビ局なんかだと結構長く使っていた可能性はあります。安いし、操作にも慣れているからいちいち変えたくないということで。
M:個人ユーザーだけでなく、業務用途まで含めて長く愛されたパソコンだったわけですね。
V:MSXは成功だったと思いますよ。でももう少し頑張っていればもっといけたと思います。本当に惜しい。家電メーカーまで参入したのになくなってしまったのは残念ですね。
M:理想はとても高いのですが、市場では多くの人がMSX=ゲーム機とみていました。でも単一の規格で500万台出回った機種は当時はまだそうなかった。その点ではMSXは成功例だと言えますよね、ね!
V:西さんは先見性がありましたよ。久里浜で講演されたときに、VHSのテープを取り出して「ビクターさん、これでハイビジョンが録画再生できるのを作ってくださいよ」と言った。その1~2年後にW-VHSという規格が出た。これが出たら売れるんじゃないかと直感的に考え、発信する能力がありました。
M:そうなんですけど、出来そうなことと出来ないことの区別無く、こうしたらとかああしたらとか…ゲフンゲフン。な、なんでもありません。…おや、もうこんな時間だ(笑)。
V:あれ? 本当だ。もう飲みに行けないじゃん!
M:では、それは次の機会にまた楽しくMSX談義できればということで。本当に長い時間ありがとうございました。
なんと4時間以上の暴露大会になってしまいました。「コレ、本当に大丈夫?」って心配してましたけど。
というわけで、今後もMSX参入メーカーさんを直撃したいと思いますが、ハードメーカーだけでなく、ゲームもという声も耳にします。リクエストなどありましたらtwitterとかで教えてください。もちろん記事の内容についてのコメントも引き続きお待ちしております。ではまた次回!
週刊アスキーの最新情報を購読しよう
本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります