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MSXはネットワークゲームの先駆け!? THE LINKSがスゴい!:MSX30周年

MSX30周年スロット&スプライトロゴ

  昨日、7月15日はファミコンの発売日でちょうど30周年だったそうです。そう、我らがMSXとほぼ同い年なんですね。MSXの発売第一号機、三菱『ML-8000』よりも約3ヶ月ほど早く発売されたわけです。発売当時、こんなにずっと愛されるとは両機とも思いもしなかったでしょうね。

 さて、今回はインターネットが世間に浸透する前にはやった“パソコン通信”について少し振り返りたいと思います。さあ、大きなお友達のみなさん、モニターの前に集合だ。

■キャプテンシステムの登場

 MSXは“家電”のひとつとして“ホームコンピューター”という設計思想を持ちます。ですからその名のとおり一家に一台の情報端末として利用することを想定していました。中でも当時注目されていたのが電話回線を利用した通信ネットワークです。1985年に電電公社の民営化(現在のNTT)が決定しており、これからはネットワークの時代だ!ってな話が盛んにささやかれていたのです。お茶の間のテレビがネットワークに接続され、通信端末となる…ってあれっ?なんか今でもその手の話を結構しているような気がしますが、まぁ気のせいということで。

 MSXが積極的にネットワークへの対応を始めたのはMSX2規格が登場した1985年頃から。既存の部品を組み合わせたMSX1とは違い、MSX2では当初からネットワークを意識した仕様が組み込まれました。その象徴とされるのが256×212ドットという解像度。212というのはいささか半端な数字に感じるかもしれませんが、これは当時普及すると期待されていた“キャプテンシステム”の解像度(248×204ドット)を意識していたんですね。実際、MSX2規格で設計されたキャプテンシステム用端末なんてのも存在していました。

MSX30周年企画第6回
↑キャプテンの画面。自宅のテレビで、いつでもニュースが見れたり、チケットの予約が取れたり、通販サービスにカラオケが50円とか。'87年末にもう実現していたと思うとスゴいよね。(写真は、MSXマガジン'88年1月号より)

※キャプテンシステムをひと言で説明するのはちょっと難しいのですが、今で言えばiモードやテレビのデータ放送(リモコンの“d”マークのアレ)あたりに相当するでしょうか。テレビのリモコンを操作することでいつでも情報が見られたり、欲しいものが買えたり…って、まぁその後みんなインターネットで実現されてますけど。で、ひと回りして今度はスマートテレビとか“家電”に戻ってきたわけですが。
 

MSX30周年企画第6回
↑1987年11月にNTTから発売された『キャプテンマルチステーション』。中身はMSX2なので、実はMSXのソフトも動かすことができたのだ。ちなみに開発はNTT・高岳製作所・アスキーの3社で行なわれた。(写真は、MSXマガジン'88年1月号より)


■商用パソコン通信の先駆け!『アスキーネット』

 残念ながら日本ではキャプテンシステムはあまり普及しませんでした。その代わりに台頭してきたのがパソコン通信です。アスキーは業界に先駆けて、1985年に『アスキーネット』の運用を開始しました。当時大手と言われていたPC-VAN(現在のBIGLOBE)が1986年、NIFTY-Serve(現在の@nifty)が1987年開始なのでいかに早かったかがおわかりいただけるはず。
 

MSX30周年企画第6回
↑アスキーネットのトップ画面とメニュー画面。良く読めないかもしれないけど、ショッピングやゲームのダウンロードの他に、歌手のファンクラブとかもあった。あとメール、チャットなどなど。(写真は、MSXマガジン'92年夏号より)

 しかし、MSXでパソコン通信をするのはいささか大変でした。モデムを接続するのに必要なRS-232C端子がMSXにはないため(もちろん搭載している機種も東芝とかにありましたが少数派でした)、それをRS-232Cカートリッジで拡張する必要がありましたし、漢字ROMを搭載したMSX本体はまだ高価でした。それでも、モデムを内蔵した拡張カートリッジが登場したり、先週紹介した三菱『ML-TS2H』のようなモデムを本体に内蔵する機種が登場するなど、少しずつ手軽なMSXのパソ通環境が整い、1986年12月にはアスキーネット内に“アスキーネットMSX”というMSX専用のサービスが登場しました。これに入会すると、“msx”で始まるIDを発行してもらうことができました。今でもIDを言える人とかいるでしょ?

 ちなみにアスキーネットは程なく世界第三位の会員規模にまで成長しました。もちろん100万台の大台をとっくに超えていたMSXのお蔭もあったはずです。そうだということにしておいてください。
 

MSX30周年企画第6回
↑RS-232CカートリッジはMSXの初期の頃からあった。写真はソニー製品。MSX2+の頃には、アスキーからもっと高速性能で安価なものも登場したが、さらに上回る性能のものが同人ハードとして登場している。スゴイねユーザーパワー。(写真は、MSXマガジン'86年2月号より)
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↑MSX専用のモデムなどなど一体化させた便利なカートリッジがこれ。実はこのアイディアに基づけば今なら“インターネット接続カートリッジ”だって作れる。例えばラズパイを使ってゴニョゴニョ、げふげふ。(写真は、MSXマガジン'88年3月号より)

 企業が運営する商用のパソコン通信サービスに対して、主に個人が無料で運営する“草の根BBS”と呼ばれるネットワークも当時人気がありました。アスキーでは『網元さん2』という、MSXが草の根BBSのホストコンピューターになるソフトウェアを販売しており、実際にそれを使って運営されたホストも結構な数存在したそうです。

 さらに、そういうソフトを個人で作って発表し、自分でも草の根ネットを運営したり、通信カートリッジを同人ハードとして自作して頒布したりするなんてスゴイ人も現われました。ゲームがたくさん発売されていた時期ですが、いわゆる同人ソフト、同人ハードがはやりはじめた時期でもあります。パソコン通信は、そうしたアマチュアクリエイターどうしを結びつける強力なアイテムになっていったのです。そしてそんなアマチュアクリエイターのファンも多数現われることになります。
 

■漢字は使えないけどMSXらしさ全開!『THE LINKS』

 さて、MSXには他機種からはアクセスできない独特なパソコン通信サービスがありました。松下電器や村田製作所などの出資を受け、京都で設立された日本テレネット株式会社が、1986年3月に運営を開始した『THE LINKS』(以下LINKS)がそれです。

 LINKSは漢字ROMを必要としないパソコン通信です。なので、ユーザーのコミュニケーションは主にひらがなとカタカナで行なわれていました(それでも結構通じるものです)。その代わり、MSXのグラフィック機能を利用して、メールや掲示版の書き込みなどのメッセージをそれぞれ個別のフォーマットを使って表示させるなど、ビジュアルに力を入れていました。

 こうした独自の仕様のため、接続には専用のモデムカートリッジが必要でした。このカートリッジはサービス開始当初は有料でしたが、やがてキャンペーンによって実質無料となりました。初期導入コストが安かったことと、元々MSXユーザーには低年齢層が多かったことから、LINKSは中心ユーザーが小学校高学年や中学生から20代というとても若々しいネットワークとなり、いわゆる“オフ会”も全国各地でひんぱんに開催されていました。いよいよ“学校のクラスにMSX仲間がいるか”という状況に代わり、ネットで“近隣のMSXユーザーを探してつながっていこう”という流れが起こってきました。

 また『MSXマガジン』、『MSX・FAN』両誌はもちろん『マイコンBASICマガジン』に掲載されている投稿プログラムをダウンロードできるサービスもあり、プログラムリストを雑誌を見ながらキーボードでポチポチと打ち込まなくてすむ!という点も当時大きな魅力でした。
 

MSX30周年企画第6回
↑これが『THE LINKS』専用のモデムカートリッジ『NGAII』(NGA=Network Game Adaptor)。製造していたのは実は村田製作所。通信速度は1200bps。半二重というところがなかなか中途半端で味があります。(写真は、MSXマガジン'88年1月号より)


■ダウンロード販売やネットワークゲームも!

 LINKSでは他にも画期的なサービスがいくつか存在していました。あらかじめ言っときますが、これはいまから25年以上前の話ですからね。まずは“市販ゲームソフトのダウンロード販売”です。他のパソコン通信でもシェアウェアの仕組みはありましたが、LINKSでは店頭で売られてるゲームソフトそのものがネットワークを通じて販売されていたのですよ。

 ダウンロードしたゲームはフロッピーディスクに保存し、遊ぶ際にはLINKSのモデムカートリッジを差し込んだ状態で起動します。カートリッジにはIDが埋め込まれていて、購入した人でないと遊べない仕組みになっていました。いわば、カートリッジそのものをコピープロテクトとして利用していたというわけですね。
 

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↑LINKSのメニュー画面。ニュースやネットワークゲーム、地域別BBSなど、なかなかの充実っぷりです。コナミゲームが遊べるのもポイントが高い。(写真は、MSXマガジン'88年9月号より)

 また、今でいうネットワークゲームも実施していました。特に盛んだったのが、毎週火曜日夜9時に開催される『ミッドナイトラリー』。これは、コナミのレースゲーム『ハイパーラリー』と『ロードファイター』をもとに開発されており、夜9時になると最初のステージがスタート。無事ゴールすると、ホストコンピューターに電話をかけて次のステージデータをダウンロードします。途中でコースの分岐があったり、ワープゾーンで一発逆転が狙えたり。さすがにマルチプレイというわけにはいきませんでしたが、同時に全国のライバルと競走しているという興奮と緊張感が味わえるものでした。繰り返しますが25年以上前の話ですよ。

 そんなLINKSが終了したのは1994年10月のこと。実に9年近くも続いたのでした。MSXマガジン本誌が休刊したのは1992年でしたから、それと比べてもよく持続したなと思います。その後も、ユーザーたちは当時まだ発行されていた『MSX・FAN』誌(1995年7月に休刊)をなど通じ各同人サークルに連絡をとるなどして、まだまだMSXのコミュニティーを楽しんでいったのです。
※ちなみに、日本テレネット株式会社は業態を変えて現在も存続しています。会社沿革(関連サイト)には“THE LINKSサービスの提供を目的とする会社として設立”されたことがしっかりと記述されています。ホントすばらしい経験をありがとう! 感謝です!!


 MSX誕生から30年。当時MSXが掲げた“一家に一台、ホームコンピューター”という理念は、スマートフォンやタブレット端末の登場によって、もはや一人に一台以上というところまで進化しています。パソコン通信はやがてインターネットに吸収されていきましたが、コンピューターがネットワークにつながることによって得られる利便性、その素晴らしさについてはもはや言うまでも無いでしょう。

 こうした、これまでの30年で起こったことを考えると、これからの30年がとても楽しみですね!…といささか強引にまとめたところで今回のお楽しみはココまでとしましょう。では、また次回お会いしましょう。ホイホイ。

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おたよりコーナー

@fujik5963さん
FA(ファクトリー・オートメーション:工場用)MSXは初耳。確かにMSXの拡張性は大きな武器だ。

---そう、今回のキャプテンシステムの中にMSX2が使われていたことが紹介されていますが、MSXってコンシューマー向け製品だけではなかったんですねー。そして、なにを隠そうMSXマガジンでも『お湯ネット』という草ネットを運営していたのですが、そこで使われていたホストMSXこそが前号に掲載した大山産業『MX-2021』なのです。総額40万円もかけた特注品なんですよ。
※今週は本文が長くなってしまったので、おたより紹介は短く、以上にします。また、ツイッターでご意見などくださいね!

 

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