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「Japan VR Summit」開催記念特別寄稿:

よくできたVRは現実を操作する

本来はあるものを見えなくできるようになった

 ぼくが初めにVRを意識したのは映画「トロン」(1982年)でした。リメイクされたので見た人がいるかもしれません。当時はまだコンピューターに人間が入りこむ話はなかなかありませんでした。有名なSFだとギブスンの「ニューロマンサー」がありますが、実は1984年に書かれたもので、トロンより後でした。

 VRの歴史として、一般的に知られているのはアイヴァン・サザーランドがつくったヘッドマウントディスプレイです。コンピューターのオブジェクトが現実の上に重ねられているもので、現実が拡張されているものですね。


 その後に開発されたものとしては、たとえばNASA。2眼レンズを埋め込み、ほぼオキュラスと同じようなものを作っている。映像の中に人間が入りこめるもの、没入感が高いものを当時から作っていたんです。

 オキュラスの場合は、画像のひずみをソフト側に改善させましたが、原理的には80年代からすでにあったものなんです。オキュラスは視野角を自慢しましたが、実はNASAも視野角は120度でした。とくに自慢できることじゃありませんでした。でも、それが民生に落ちてくるのにこれだけ時間がかかった。


 当時は安くなかった価格を、うんと安くできたのがバーチャルボーイです。商業的には失敗しましたが、コンシューマーレベルまで落ちてきた最初の事例でした。スクリーンは赤一色でしたが、少なくともひとつの世界がつくられました。

 その後、セガがヘッドトラッキングまで拡張した「VR-1」というアトラクションをつくりました。乗り物も自由に操作するもので、今でもじゅうぶん通用するレベルのものです。これが20年近く前に商業利用されていたんですね。


 日本はVR市場で先行しました。商売としてもなんとかしようとしましたが、うまくはいきませんでした。コストの回収がうまくいかなかったんですね。

 VRというとCGの世界だけになりがちですが、たとえばIKEAがつくっているARツールもあります。現実空間にカタログを置くとバーチャル空間に好きな家具があらわれるというもので、ぼくらが作っている「ハコスコ」を使えば、それもVRと言えるようになります。ARとVRの境界というのはくっきりついているようでいて、境界部分をとりはらうことができるんですね。

 VRは「ないものを見せる」技術ですが、逆に「あるものを消す」こともできるようになりました。それが「Diminished Reality」。物体をトラッキングして、本来はあるものを見えなくする。現実空間はいくらでも操作可能になりました。


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