フランス人社長・ベッカー氏と10周年の軌跡を振り返る
売り上げは100倍以上、思い出はプライスレス。JAPANNEXTの10年で変わったものと変わらないもの
2025年12月27日 10時00分更新
思い出⑨:マーケティングチームを立ち上げたこと
――かなり前の話ではあるのですが、実はJAPANNEXTさんは「連絡がつかない謎の会社」というイメージがあった時代もあるんです。アスキーでも何度か電話をかけたけどつながらなかったことがあるとか。そういった状況が変わったのにはなにかきっかけがあったのでしょうか?
ベッカー氏:5年前にマーケティングチームを立ち上げたことが大きいと思いますね。開業してから2年間くらいは、メールのみの対応となっていました。電話番号はあったもののあまり目立った形では記載してない状況でした。少人数でやっている中でしたので、わりと最初から急成長していた状況ではメールのみの対応が合理的なやり方と思っていました。3年目くらいからCS(カスタマーサポート)の電話番号を開示するようになったと思います。ただ、その時点でマーケティングチームはまだ存在してませんでしたし、営業自体も私が自分で行っていました。そんな状況でしたので、うちの会社はどういう会社なのかというのを広くアピールすることがなかなかできなくて、広報活動をできていませんでした。そこで会社の売り上げが20億円ほどあった時点で、マーケティングチームを立ち上げたんです。
「まるで物件探し!わがままばかりで知識ゼロの同僚のディスプレー選びに付き合った話」でご案内いただいた、セールス&マーケティング本部 本部長である剣持開氏が入社したのも5年前とのこと
思い出⑩:コロナ禍の転機
ベッカー氏:5年前というと、コロナ禍も大きな転機ではありましたね。当時は在宅勤務が増えてディスプレーの需要は増えていたにもかかわらず、半導体不足で製品の生産が追い付いていなかったので、ディスプレー市場は在庫不足の状況になっていました。ただ、うちはそういったサプライチェーンの面で小回りが利くので、逆に大きな商機になり、売り上げもかなり伸びましたね。
――コロナ禍が終わると売り上げが落ちるという場合もあったと思うのですが、JAPANNEXTではどうだったのでしょうか?
ベッカー氏:ありがたいことに、うちではコロナ禍終了後も売り上げは落ちなくて、その後もずっと成長し続けることができました。
これまでのJAPANNEXT、これからのJAPANNEXT
2022年4月、ASCII.jpではじめてベッカー氏のインタビューを掲載しました。それから3年以上の月日が流れ、その間にJAPANNEXTにもさまざまな変化があったようです。しかし、最初のインタビューでベッカー氏は、「将来的には、ソニーのウォークマンのような、まだ世界にないもの・考えつかないものを、いつか日本から世界へ発信できたらと思っています」とおっしゃっていました。
今もユニークな製品と企画を次々と出し続ける姿勢は、その時から、あるいは創業当時からまったく変わっていないということなのでしょう。そんなJAPANNEXTの今後はどうなっていくのか。インタビューの締めくくりとして、最後にベッカー氏に次の10年における意気込みをうかがいました。
ベッカー氏:私がいま懸念しているのは、“大企業病”です。人が増えて会社の規模が大きくなるほど、化石化して小回りが利かなくなってしまうことは多いので、そうなるのは避けたいと思っています。遊び心を持ち続けて尖った製品を出すことで会社を成長させて、それが社員にもユーザーの方々にもプラスになって……そういった体制をこれからも目指し続けていきたいです。そのために、人が増えても製品の企画といった自分で判断すべき部分をおろそかにせず、プロダクトアウトの考え方を残せるようにしていきたいですね。
今後、JAPANNEXTが一体どんなニュースで我々を驚かせてくれるのか。これからの同社の挑戦にもますます目が離せません。
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