フランス人社長・ベッカー氏と10周年の軌跡を振り返る
売り上げは100倍以上、思い出はプライスレス。JAPANNEXTの10年で変わったものと変わらないもの
2025年12月27日 10時00分更新
ベッカー氏が選ぶ10年間で印象深かった思い出10選
続いては、この10年間の会社の思い出で印象に残っている物事を10周年にちなんで10個、ベッカー氏に選んでいただいたのでご紹介します。
思い出①:廃校を買い取っていすみ市に移転
ベッカー氏:まず印象深いのは、やっぱりいすみ市の廃校を買い取って移転したことですね。学校を買うというのは、人生でもなかなかない経験だと思います。探す過程は大変でしたけど、おもしろかったですね。
――なかなか想像がつかないのですが、どういった手順を踏んで買い取ることになったのでしょうか?
ベッカー氏:まずは、いすみ市にどういった用途で活用するのかをプレゼンした上で、認められれば購入が許される、といった形ですね。廃校になって以降、いすみ市としては取り壊しにも費用がかかるし、貸し出すのにも維持費がかかるということで、売却することが最もいいのですが、どういった用途で使用されるのかを把握しておかないと、近隣の住民に迷惑がかかる可能性もあります。なので、まずは校舎の用途を説明する必要があります。その内容が認められないと、たぶんいくらお金を積んでも購入できないでしょうね。
――JAPANNEXTの事業内容としては、どういった点が評価されたとお考えですか?
ベッカー氏:ハードウェアメーカーではありますが、いすみ市にはないIT系の企業であるといったところはあると思います。市としては、10年、20年先を見据えて町にどう利益があるのかを考えて判断する必要があるので、そういった総合的な評価で選ばれたと思っています。
――それ以前は元・スーパーマーケットのオフィスだとおっしゃっていましたね。いすみ市の校舎に移転して、率直な印象はいかがでしたか?
ベッカー氏:社屋は体育館を含めたら4倍くらい大きくなったのは良かったのですが、移転したら意外とすぐにパンパンになってしまったのが想定外でした。当時スーパーマーケットのほかに倉庫を3つ借りていたのですが、それを全部解約して中のものを全部持ってきたら、結構いっぱいになってしまって……。ただ、学校ならではの利点も感じられて、特に部屋がたくさんあるのはありがたい点でしたね。用途ごとに部屋を作れて、パーツの保管もしやすかったので便利でした。
思い出②:ヨドバシカメラのディスプレー部門で売り上げ1位になったこと
ベッカー氏:個人的に特にうれしかったことが、ヨドバシカメラさんのディスプレー部門で売り上げが1位になったことですね。私が子どものころ日本に遊びに来た時、日本の量販店を見てフランスとレベルの違いを感じて、それ以来アニメや漫画と並んで私の中で日本文化の代表格の1つだったんです。なので、そこでシェアNo.1になれたのは夢が叶った思いでした。
――さきほど、ビックカメラさんとの取り組みの話もありましたね。
ベッカー氏:そうですね。大きな量販店さんとそうした取り組みができただけでもかなり達成感があったのですが、まさかのシェアNo.1ということで、もう定年退職してもいいと思えるくらいうれしかったですね(笑)。
思い出③:ヨーロッパ進出を果たしたこと
ベッカー氏:あとは、ヨーロッパに進出したことも大きな転機だと思います。やはり、自分の生まれ育ったところですからね。
――日本の市場と比べて、違いなどは感じますでしょうか?
ベッカー氏:ビジネスは日本でしかしたことがなかったので、ヨーロッパでビジネスをはじめたら逆にカルチャーショックを受ける部分も多かったですね。ただ、尖った製品にも関心を持ってくださる方も多いですし、例えば日本ではあまり売れていないリフレッシュレート500Hzの製品も、ヨーロッパではすぐに完売になったりなど、需要も異なります。なのでそういった市場の違いをうまく活かせれば、これまでにない尖った製品を出せる余地が生まれる可能性もあると思います。
思い出④:東京オフィスを京橋に移転
ベッカー氏:ほかに印象深いのは、東京オフィスが秋葉原から京橋に移転したことですね。個人的には通勤時間が短縮して便利になりました(笑)。まあ、社員によっては秋葉原の雰囲気のほうが良かったという人もいるのですが、近くに駅がたくさんあるので、社員や取引先様の方を含めて大体の人が交通の便は良いかなと思います。
――たしかに便利な立地ですね。オフィス探しは大変だったのでしょうか?
ベッカー氏:探すのに2年以上かかりましたね。秋葉原や神田や渋谷などいろいろ見た結果ですが、ここで良かったです。なにより、ここは1Fなのでエレベーターを使わなくていいというのがうれしいですね。
――エレベーターでは大きなディスプレーの搬入が大変ですもんね。
ベッカー氏:うちは98型ディスプレーなどもあるので、エレベーターには入らないんですよね。秋葉原のオフィスでは85型モデルまで階段で上げたのですが、もうこれがかなり大変で……。
――それは……2度とやりたくないでしょうね……。
思い出⑤:10年目ではじめてプレスカンファレンスを行ったこと
ベッカー氏:あとは、そうですね、10年目ではじめてプレスカンファレンスをやったことも印象深い出来事でしたね。むしろ、もっと早くやっても良かったかもしれませんが……。
――プレスカンファレンスの直後にもお話をうかがいましたが、メディアの方々の評判も上々だったとお聞きしました。今後も期待しております!
思い出⑥:大阪・関西万博のフランス館のパートナーになったこと
ベッカー氏:プレスカンファレンスと同様、今年の出来事なのですが、大阪・関西万博でフランス館のパートナーを引き受けたのも大きい出来事ですね。フランスは私が生まれた国ですし、日本はある意味私の花嫁のような、結婚した国みたいなものですから。2つの家族を会わせたような企画だったので、自分にピッタリだと思いましたね。
――大阪・関西万博では、取引先の方などを招いてツアーを組むといった取り組みをされていたかと思いますが、その際の反応はいかがでしたか?
ベッカー氏:反応は上々でしたね。子ども連れで参加していただいた方などもいて、大変喜んでいただいていたので、非常にやって良かったと思いました。
フランスと日本をよく知るベッカー氏は、大阪・関西万博にうってつけの人選と言えるでしょう(関連記事:きらびやかな大阪・関西万博のフランス館、その裏でひっそりとJAPANNEXTが支えているのはご存じでしょうか)
思い出⑦:いすみ本社の壁画
ベッカー氏:いすみ鉄道さんとのコラボも思い出深いですね。いすみ本社の最寄り駅である上総中川駅のネーミングライツを取得し、「JAPANNEXT 上総中川駅」にしていただきました。また、ラッピング列車も運行しました。
いすみ鉄道の上総中川駅のネーミングライツを取得(関連記事:ディスプレー会社が駅名に!? JAPANNEXT×いすみ鉄道の異色コラボはなぜ実現したのか)
思い出⑧:いすみ本社の壁画
ベッカー氏:あと、いすみ本社の校門前の絵を描き直したこともありました。もともとは小学校だったころに生徒さんが描いたものだったそうですが、20年くらい前のものなのでほとんど消えてしまっていたんです。それで社員の家族も集まって新しく描き直したんですよ。
いすみ鉄道とのコラボラッピング列車の壁画。本社に上る坂道の横にあります。社員とその家族の方々みんなで描いている様子はJAPANNEXTのYouTube動画で見られます
――やはり元・小学校だけあって、社屋の内外でいろいろなイベントができるのもおもしろいですね。
ベッカー氏:そうですね。校庭もあるので、そこでいろいろな催しができるのもいいところだと思っています。まだ1回しかできていないのですが、もともと地域のコミュニティーで年2回開催していた屋台村というイベントがあるんです。キッチンカーを集めて地域の人を呼ぶお祭りみたいなものなのですが、それをうちの校庭で開催したこともありました。その際にはスポンサードしているeスポーツチームの人を呼んでゲームイベントを行ったり、うちのディスプレーを体験してもらったりといったこともやっていて、地域の人と関わる機会が増えたのはやっぱり元・小学校のおかげですね。
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