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ソニーのテレビはプロフィールやトリニトロンで大きく飛躍した!

2022年07月12日 12時00分更新

お茶の間には必ずテレビがあり
家族全員で見ていたあの頃

 僕らの子供時代、テレビを見ることは、音楽を聴くことと同じかそれ以上の楽しみ。テレビは、リアルタイムでみることが定番でした(ビデオデッキが登場するまでは)。土曜日の夜は、お茶の間で「8時だよ全員集合」(もしくは「俺たちひょうきん族」)を観て、あけた月曜日に学校で友達と盛り上がるのがお約束。たまにあるお色気シーンでは、家族全員が気まずくなるのもよくあるお茶の間の風景だったのです。

ソニーのテレビ第1号で、直視型では世界初となる、8インチのポータブルトランジスタテレビ「TV8-301」(1960年)

 さすがに筆者が物心ついたときはカラーテレビがすでに普及しており、一家に何台ものテレビが置かれながらも観たい番組の争奪戦を家族で繰り広げていました。この頃の一般的なテレビといえば、テレビの画面よりもしっかりした木製の家具調が主流。チャンネルはガチャガチャと手回しでリモコンはありません。

 自分が持っていなかったファミコンソフトを友人の家で遊ぶにしても、ファミコンをつなぐにしても、RF端子をアナログ放送の使われていないチャンネル(主に2ch)に割り当てる方法で映しているので画質が安定せず、機嫌が悪いと映らないとか面倒な仕様もいい思い出です。

ソニーのテレビはいきなりポータブルタイプだった

 さて、ソニーのテレビ参入はというと、さかのぼること1960年、初代モデルからいきなりのポータブルタイプ、持ち運びできるテレビでした。モノクロながらも充電池を内蔵して持ち運びができるうえに、さらにクルマでの視聴もできるようにクルマのバッテリーから電源がとれる仕様だったそうです。その後、ソニーは1本で3本のビームを生成する電子銃とアパーチャーグリルを組み合わせた、トリニトロンブラウン管を開発、これが後に爆発的ヒットとなります。

トリニトロンカラーテレビ「KV-1310」(1968年)

 テレビの構造は、真空管から発展したブラウン管。ややこしい話かもしれませんが、ブラウン管でテレビを映す原理というのは、奥にある電子銃から発射された電子ビームが、表面の蛍光面を光らせて画像を映し出すという方法です。先行して、松下電器産業や、日立製作所、東芝などが販売していたブラウン管テレビは、シャドーマスク方式といいます。

 一方で、ソニーは、アパーチャーグリル方式のブラウン管を開発。その名も「トリニトロン (Trinitron)」。トリニトロンの大きな特徴は、「1ガン3ビーム方式」の電子銃を採用して、色選別機構にアパーチャーグリルと呼ばれるフィルターを使用していることです。このアパーチャーグリル方式は、他社が主流としていたシャドーマスク方式の明るさの約2倍、コントラストも高く、圧倒的に高画質でした。

 加えて、シャドウマスク方式のブラウン管は、上下左右に球面上なカタチをしていたものに比べて、トリニトロンは円柱のカタチをしているので左右にはすこし曲がってはいても上下にはまっすぐ。 歪みがより少ないことと、天井からの照明や、屋外からの光の差し込みもテレビ画面への映り込みも抑えられているといった点でも有利。

カラーモニターテレビ「KX-27HF1」(1980年)

 後発だったにもかかわらず、独自の綺麗さに加えて、当時の「ワンガンスリービーム」を連呼するCMもあいまって、ソニーのトリニトロンは一躍有名アイテムにまでのし上がりました。トリニトロンの特許をソニーが取得している関係もあり、長い間他社から同じ製品がでてくることもなく、独壇場となっていました。

多機能な「プロフィール」シリーズはマニア心をくすぐった

 見た目についても、家具調型が主流だった中でも、シルバーで角型デザインのテレビを数多く発売。1980年にはAV機器に対応した「プロフィール(PROFEEL)」が誕生します。ビデオや文字多重方法といったAV出力をもった機器に対応するための、専用のテレビというよりもモニターですね。何しろ、テレビチューナーもなければスピーカーもないまさにカラーモニターなのです。

 一般家庭に、こんな業務用機器みたいなものを誰が買うのか? まるでTV版ウォークマンとも言うべき、このストイックな専用機はマニアの心をがっちりキャッチしました。1986年には、さらに進化した「プロフィール・プロ(PROFEEL PRO)」が登場。こちらは水平解像度560本で、豊富な入力端子を備え、背面はアーム構造になったデザインが強烈なインパクトを残しました。ビデオデッキやレーザーディスクなどを複数台接続して、まさに黒物家電の要塞。周囲の大人たちは「やっぱりテレビ観るならプロフィールでしょ!」とものすごく自慢気に話していました。

プロフィール・プロ「KX-21HV1」(1986年)

 大学に進学して一人暮らしをはじめるときに、欲しいものは? と聞かれたときも、ソニーのテレビ!(とビデオデッキとミニコンポ)と即答。白物家電よりも服よりも、黒物家電が大好き。21型のソニーのトリニトロンテレビに、メガドライブやスーパーファミコンを接続。ミニコンポで、「トップガン」のCDを鳴らしながら、「アフターバーナー」をプレイするのが至福の時間。大学の先輩や友達と一日中盛り上がっていたことを思い出します。

 そういえばつい最近、映画「トップガン マーベリック」を観て大興奮して、ブラビアとプレイステーション5で「ACE COMBAT 7」をプレイしていたのですが、36年の時が過ぎて技術は進化しても、やっていることはちっとも変わっていませんでした……。

 テレビが、娯楽ツールであり情報ツールであった時代のブラウン管の進化と主役交代のお話はまたいずれ。

36年経ってもやってることは変わりませんでした

筆者紹介───君国泰将

ソニー(とガンダム)をこよなく愛し、ソニーに生きる男・君国泰将氏

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