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いよいよデジタル庁発足 キーマンに直撃1万字インタビュー

昭和の縦割りをレイヤー構造にする 村上敬亮統括官に聞いたデジタル庁の役割

2021年10月14日 10時00分更新

プラットフォームの誤解 ベンダーは「伽藍とバザール」に立ち返れ

こうしてお話を聞いていると、つくづく民間企業がやっているのと同じことを、国レベルでやろうとしているのだなと感じる。多くの企業と同じく、インフラやネットワーク、ミドルウェアなどを共通化し、コストやスピードという点でメリットを出し、アプリやコンテンツにフォーカスしてもらう。これって国がいわゆるプラットフォームを構築するという話ではないだろうか? 

プラットフォームという言葉は少し危険をはらみます。プラットフォームって、2003年に自分が情報政策課の担当補佐だったときに、経産省の産構審の情報経済分科会というところの報告書で改めて言い出し、おかげさまでいろんなところで使ってもらえるようになったんですけど。

2つのことをお話しさせてください。

まずプラットフォームと言った瞬間、プラットフォームがリッチになってしまう傾向があるんですよ。そうすると、プラットフォームを使うアプリケーション側が儲けにくくなる。シンプルに言うと、これはGAFAが儲かる仕組み。これって日本の戦術としてはダメ。プラットフォームは軽く、サービスの方をリッチにしなくてはいけない。

デジタル庁が進めるレイヤー化の話で、1階と2階を作るのはあくまで黒子。余計なことをやり過ぎてはいけない。その上で、3階でデジタルやる人たちが、「おもしれー」「どんどんお金使いてー」と思うような共通化を上⼿な黒子として実現できるかどうかが勝負です。僕はこれを、「『薄い』データ連携基盤」と言っています。

スーパーシティ構想に取り組み始めたとき、1990年代の国内ベンダーのオフコン市場が見事なまでにクラサバの世界にひっくり返されていったのと同じように、まちづくりもプラットフォームで一挙に外資に全部持って行かれるかもよ、という警鐘が鳴らしたくて、あえて「都市OS」という言い方を最初にしました。

正直、これが少し失敗だったかなと。プラットフォームがいろんな機能をつけてきて、個人情報まで集め出すと、アプリケーションビジネスの方がどんどん元気なくなっていくんですよ。それではダメなんです。プラットフォームは必要なんですが、そこを強調してしまうと、すぐリッチなプラットフォームを作りたがる。これが問題点です。

オープンの基本を考え直すため、古い本で恐縮ですが、「伽藍とバザール※」の思想に立ち返るべきだと思います。日本人はどうしても(設計者がすべてをコントロールする)伽藍を建てたがるのですが、僕らはやはり楽しい広場(バザール)を作るべきなんです。その広場でなにを売るのか、どんな大道芸をするのか、僕らは口出してはいけない。モノを売る人や、大道芸をやる人が、やっぱりあの広場行こうぜって思うような楽しい広場じゃなきゃダメだと思う。

※Linuxの開発モデルについてエリック・レイモンドが書いたエッセイ・書籍で、原名は「The Cathedral and the Bazaar」。オープンソースソフトウェア(OSS)開発における思想的バックボーンとなっている。

もう1つのプラットフォームの問題点は、ベンダーのビジネスモデル。ベンダーって、すぐに客を囲い込みたがる(笑)。決められた市場の中でシェア争いをしてきた日本の大企業は、ITに限らず、すべてその発想かな。

役員さんが顧客分野ごとに売上責任を持っているから、客を囲い込むしかない。そうすると、ベンダーは三文字カタカナ用語を連発して、相方であるユーザー企業の情シス部長の社内の予算取りを支え、結果的に情シスは予算を確保する。これがWin-Winの関係になっているから、顧客囲い込み型のビジネスモデルは、そう簡単には変わらない。

IT市場が良くならないのは、半分はユーザー企業が悪いんです。情シスがグリップして作り込むから、システムのオーナーシップは事業部門にはない。だからこそベンダーも囲い込みやすい。でも、本当のエンドユーザーは不便を被っているし、日本のシステムはどんどん世界から後れをとるという構造になる。でも、プラットフォームといった瞬間に、多くのベンダーはまたユーザーをまとめて囲い込めるんじゃないかという幻想を持ってしまう。でも、これでうまくいくのは、意志の強いCIOと現場に寄り添う姿勢が強い情シス部門がいるときだけです。

ベンダーがプラットフォームを作ってもらうのはいいんです。でも、そこには徹底的にオープンな姿勢を持ってもらわないといけません。ITベンダーは今こそ伽藍とバザールの違いをもっと強く意識して、既存のアカウントと売上を確保するのではなく、面白い広場を作ってもらって5年後ビッグになることを想像してもらいたい。

逆に、そうしないと日本のベンダーはもう生き残れない。ベンダーが既存の顧客のためにクラウドを入れると、顧客企業からは「それって安くなってるんでしょ」とか言われて、アカウント守るために、金額を削ったり、自分の取り分を削ったりすることになる。データが増えても、結局クラウド事業者に持って行かれるから、見た目の売上は守れても、利益率は下がっているはずなんですよ。そんな中、プラットフォームという概念が入ってきて、新たな囲い込みの手段という幻想が広がり、このゲームを加速させしてしまうことを危惧しています。

私たちもベンダーをいじめたいわけじゃない。日本のベンダーにはがんばってほしい。でも、客を囲い込んで、売上を立てるスタイルを続けていたら、悪いけど日本のベンダーには頼れなくなってしまう。そこは気がついてほしい。そんなメッセージを出していくのも、僕はデジタル庁の役割だと思っています。

デジタル庁発足式での平井大臣と石倉デジタル監

じゃあ、今までなぜこれができなかったのか︖ すごく簡単。ユーザー自身が縦割りなのに、ベンダーに対してだけ横のレイヤー構造にしてくれなんて言えるわけなかったからです。

私から言われなくたって、ベンダーの皆さんもわかっていると思います。でも、役員がコミットした売上を顧客の囲い込みにより獲得し、かつ、その実績を株主から評価されたら、自らでは自らを変えようがない。SDGsのように、横から風が吹いてきて、株式市場から別の基準で評価されるようにならないと、自分たちでは変えようがない。

こうしたITベンダーの役員の所掌の話と顧客の囲い込みの話が、国とどう関係あるのかと言われがちですが、これって各省の管轄と日本全体のパフォーマンスの話とも似てるんです。各省の目の前には「このままで農協の未来は大丈夫か?」「森林組合の将来は大丈夫なのか?」「電力業界はどうなるんだ?」と心配する人が列をなしています。そのためにデジ庁ができたんだと思いますよ。新たな縦割りを切り出すのではなく、縦割りの顧客対応とは違う視点から取り組む新たな担当役員を、政府の中に作ってしまったという感じですね。

平井大臣は「デジタル担当大臣」ではなく、9月1日から「デジタル大臣」です。全省庁のトランスフォーメーションをデジタルを使って、手伝いなさいと。顧客対応分野を切り出すのではなく、新たな視点から、縦割りの産業をレイヤー構造化するための旗振り役が、あなたのミッションですよと言われているんです。

省庁向けのシステムは法律上もうちの所管になったので、各府省とともに、責任をもって取り組んでいきます。レイヤー構造化に対するコミットは、官だけではなく、民も含めて、できる限りすべてやる。ただし、それは、その結果としてできたシステムを、すべてデジタル庁が持つという意味ではありません。

もちろんコストをかけずに、日本全国をレイヤー構造化できたらベストですし、理想は各プレイヤーが自前でやることですが、それをすぐに実現するのは難しいでしょう。ですから、まずは、マイナンバーの使い方や、先ほど話した医療、教育、防災 などの準公共の分野でなにができるかというテーマに切り込んでいきます。

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