マツダ・787Bやランチア・ストラトスも! レースの歴史をオートモビル カウンシル2021で振り返る
2021年04月24日 15時00分更新
古き良き時代のレースカーたち
4月9~11日の3日間、幕張メッセにてヒストリックカーの祭典「オートモビル カウンシル2021」が開催され、国内外問わず希少価値の高い名車や懐かしのクルマたちが今年も集まりました。ゆったりとした雰囲気の中で、それらの車を鑑賞および販売が行なわれることで人気の当イベント。今年は主催者テーマ展示「時代を進めたラリーカーの戦闘美」と、特別展示「マツダ、ルマン優勝までの軌跡」を彩ったマシンをご紹介したいと思います。
ル・マンを制したロータリー
マツダ/787B
1991年、メルセデス・ベンツやポルシェ、ジャガーといった強豪を退き、59回目のル・マン24時間レースを制し、日本車として初めて表彰台の中央に日の丸を掲げたマシン。参戦22年目にして悲願を達成し、さらにロータリーエンジンがル・マンに出場できる最後の年に勝ち取った勝利はNHKの「プロジェクトX」でも取り上げられ、今でも語り草となっている。緑とオレンジというレナウン・チャージカラーに塗り分けられた美しいボディーと、R26B型2616cc、4ローターエンジンが奏でる天使の咆哮は、いつの時代も人々を魅了する。ちなみに、以前アスキーが刊行していた「LOGIN」のロゴが貼られていることでも有名。
ル・マン初完走マシン
マツダ/RX-7 254
マツダ車にル・マン初完走をもたらしたのが1982年にエントリーしたRX-7 254。寺田陽次郎/従野孝司/アラン・モファット組がギアボックス・トラブル、燃料系の不調に悩まされながらも24時間を走りきり、14位でフィニッシュラインを跨ぎました。RX-7をベースとしたシルエット・フォーミュラの外観が印象的なマシンで、エンジンはドライサンプの13Bロータリーを搭載する。なおこの年は、Gr.Cカー元年でポルシェが表彰台を独占。マツダも翌年からGr.Cカーで参戦を開始したため、シルエット・フォーミュラは82年で見納めとなった。
グループCカー「717C」の改良型
マツダ/737C
マツダがそれまでのRX-7ベースではなく、Gr.Cカー(厳密にはグループCジュニア)の717Cにチェンジしたのは1983年から。チーム名も「マツダスピード」とし、レース専門会社からの参戦と体制も変更した。マツダ737Cは、85年に参戦した改良型である。操縦安定性とダウンフォースを改善したモデルで、流麗なボディーワークは由良拓也氏率いるムーンクラフトによるもの。エンジンは自然吸気654cc×2ロータリーの13B型で、参戦した2台はクラス3位と6位を納めた。ムーンクラフトが翌年からフォーミュラーカー製作に業務を集中したため、マツダスピードとの協業はこのマシンが最後になった。
18台製造されたランチアのラリーカー
ランチア/フルヴィア・クーペ 1.6HF
ランチアのレース部門「HFスクアドラ・コルセ」が実戦に用いたワークス・ラリーカーで18台製造。60年代後半から74年まで活躍し、ランチアの名を一気にとどろかせた。V型4気筒エンジンのFWDクーペで、当初はHF 1.3だったが、70年から1.6HFにアップ。写真のモデルは、メッタ/ダウティ組が74年にイースト・アフリカン・サファリラリーに出場し11位でフィニッシュした車両で、翌年からストラトスへと変わっていった。
ランチアといったらコレ!
ランチア/ストラトス HF Gr.4
ランチアが世界ラリー選手権(WRC)に勝つためだけに製造したスポーツカー。一度でも見たら忘れることはないボディーワークは、ベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニの手によるもの。ジャン・パオロ・ダラーラが関与したシャシーは、全幅1.7×全長3.7m、ホイールベース2.2m以下という特異なバランス。これはコーナリングマシンに仕立てるための策で、これが功を奏してランチアに1974~76年のWRCマニュファクチュアラー・タイトルをもたらした。
写真の個体は1981年のスペイン・ラリー選手権、翌82年はスペイン・ツーリングカー選手権を戦い、いずれもシリーズチャンピオンの座に就いたストラトスGr.4後期型だ。
市販車のイメージを強くするため投入
フィアット/アバルト131ラリー
1970年代、フィアット・グループの傘下にあったランチアのストラトスがWRCを席巻していた。その圧倒的な強さは認めるものの、市販車との関係性が薄いことからフィアット首脳陣はランチア・ストラトスでのワークス活動を中止し、市販量販車のイメージを継ぐラリーカーでの参戦に舵を切ることにした。そこでフィアット131をベースに、1971年にフィアット傘下に入ったアバルトがグループ4車両規定に対応したマシンを開発。それがアバルト131ラリーだ。参戦は76年からで、フロントに2リッターエンジンを置いたFRレイアウトは目新しさはないものの、アバルトマジックにより77年~80年の3度に渡ってフィアットにタイトルをもたらした。
後年、さまざまなクルマに影響を与えた
ランチア/ラリー 037 エボリューション2
アバルトが開発を担当し、ランチアブランドで1982年のWRCに参戦したモデル。ターボエンジンおよびアウディ/クアトロに代表される四輪駆動が隆盛をみせるなかで、最後のミッドシップ・リアドライブのマシンとしてタイトルを獲得した。機能美を感じさせるボディーデザインはピニンファリーナによるもので、エンジンはアバルト131ラリーで熟成が進んだスーパーチャージャー付き2111cc直列4気筒DOHCを横置きにマウント。
エボリューション2は、シャシーやボディーの一部にカーボンやチタンを用いて軽量化し、エンジンも大容量ターボチャージャーへと変更したモデル。ランチア・ラリー037は、その後フェラーリF40や、Honda NSXといったミッドシップレイアウトのスポーツモデルに大きな影響を与えた。
昭和の名車
ダットサン/ブルーバード 1600SSS
SSSとはスーパー・スポーツ・セダンの略称。1.6リットル4気筒SOHCエンジンに4輪独立懸架のサスペンションを搭載した、1970年当時としては先進的な1台。1970年の東アフリカ・サファリラリーで、豪雨に見舞われる最悪のコンディションの中、総合1位、2位、4位に入賞し、日本車として初めてクラス/チームの3冠完全制覇した。
フェアレディZの初期モデル
ダットサン/240Z
1970年代前半のラリーシーンは、FFのミニ、RRのポルシェやアルピーヌが活躍していた。その中でフロントに2400cc直6エンジンを置き、リアで駆動するFR車両で参戦したのが、ダットサン240Zである。モンテカルロラリーでポルシェを追い回す活躍をみせて3位に入賞。FRらしいニュートラルな操安性と日産の技術力を世界中に見せつけた。
サファリラリー4連覇の偉業
ダットサン/バイオレットGT
1977年に発売を開始したA10型ダットサン・バイオレットは、日産のWRC参戦の主力マシンとなり、1979年から1982年まで史上初の「サファリラリーで4大会連続総合優勝」さらにWRC史上初の「同一ドライバーによる同一イベント4連覇」の偉業を成し遂げたマシンとして知られている。ちなみに1979年と1980年は2バルブヘッドエンジン搭載のグループ2マシン、1981年と1982年は4バルブヘッドエンジン搭載のグループ4マシンでの参戦とエンジンが異なる。
写真のモデルは82年の優勝車で、230psを発生する直列4気筒DOHC4バルブエンジンが搭載されている。バイオレットは国内でも富士スーパーシルエットレースで好成績を挙げるなど、スポーツ濃度の高い車種であった。
シルビアがベース
ニッサン/240RS
日産自動車が1983年、当時グループBで争われていたWRCに参戦するために開発した、ラリー競技専用のホモロゲーションモデル。車種名の由来は、搭載するFJ24型(2340cc 直列4気筒 DOHC、240ps)エンジンの馬力に由来すると言われている。ワークスカーは275馬力のNAエンジンとFRレイアウトながら、ランチア・ラリー037に代表される過給機エンジンと、アウディ・クアトロの四輪駆動に対して健闘をみせ、83年のニュージーランドラリーでは2位、85年のサファリラリーでは3位に入賞した。
スバル快進撃の始まり
スバル/インプレッサ 555 WRC
90年代後半からWRCを席巻したスバル。その戦闘マシンがインプレッサだ。水平対向4気筒エンジンと四輪駆動という、スバルが長年培った技術に磨きをかけ、3年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得した。三菱のランサー・エボリューションとの死闘は今でも語り草だ。
ハッチバックになったインプレッサ
スバル/インプレッサ WRC
スバルがWRCの2008年シーズン途中、アクロポリスから投入したのがハッチバックタイプのインプレッサだ。エンジン以外はすべて刷新され、大型化されたボディーはダウンフォースが増量と共に、ロングホイールベース化による操安性の向上に寄与。2005年以来勝利から遠ざかっていたが、ペタ―・ソルベルグがいきなり2位表彰台を獲得するなど、高い戦闘力をみせつけた
トヨタのル・マン参戦マシン
トヨタ/GT-One TS020
トヨタが1998年のル・マン24時間レース参戦に向けて開発したレーシングカー。それまでの日本国内ではなく、ドイツのケルンに拠点を置くトヨタのレース子会社トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) で開発された。15台が生産され、LMGT1規定のため、実際に販売されることはなかったものの、ロードゴーイングバージョンも存在する。98年には3台が出走。圧倒的な速さをみせるものの、ミッショントラブルが頻発。2台が序盤で戦線離脱。残り1台もトラブルを抱えるものの、1位を走行。しかし残り1時間15分のところで3度目のミッショントラブルが発生し、ピットに戻ることができずリタイア。翌年も3台のTS020で参戦するも、2台がクラッシュしてリタイア。残り1台は先頭を走るBMWを射程に捉えるものの、ユノ・ディエールのストレートでタイヤがバースト。クラッシュは免れたものの、総合2位でレースを終えた。
トヨタがル・マン24時間レースを制したのは、それから18年後の2017年のことである。
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