スマホやタブレットのデメリットばかりに
目が向けられたルール作りが進められている日本
今回は、少し真剣な話です。いつも基本的にマジメに過ごしている方だと思いますが、どうしても原稿を書いている間は、できるだけ柔らかい表情でいたいと努めていました。しかし今回の話は、顔をしかめっぱなし。あまりこういう表情で原稿を書きたくないと思っているのですが。
来週とある幼稚園で、小学校に上がる際にケータイ/スマホをどうすれば良いか? という話をすることになりました。基本的にこの手の話は、「学校のルールもそれぞれおありでしょうが、まずはご家庭の教育方針を第一に。持たせるならよく親子で話し合ってルールを決めてください」とやんわりお答えしています。
もちろん、公立にしても私立にしても、子どもが安心して、安全に学習する環境を整えようと一所懸命です。そうした現場をいくつも取材してきましたし、日本は特にいくら予算が減っていっても教育を維持することを諦めません。イヤですよね、米国のように「予算がないから今日から図工と美術の授業は廃止です」なんて……。
しかし、だからといって、その素晴らしい志をもつ学校の校則や、それを統括する教育委員会が定めるルールが、子どもの学びや安全を守る上で完璧なものであるとも考えていません。たとえば、香川県で「スマホとゲームは1日1時間」という条例案が出されましたが、こうしたルールやガイドラインによって「思考停止」に追い込まれることが、最も危険で最悪な選択だと考えています。
ケータイやスマホを持つという選択肢には、メリットとデメリットがあります。シリコンバレーのテック企業に勤める親たちは、積極的に「No Screen」(画面を見るデバイス禁止)を取り入れ、テレビもスマホもパソコンもないまま幼年期を過ごす教育を選んでいる人もいます。
一方で、インターネット、スマートフォン、タブレットを鉛筆とノートに見立てて、学習や創造性を拡げるツールとしてポジティブに捉え、積極的に取り入れる方向性もあります。大地震からの復興に取り組む熊本市は、街の復興の過程で「学びの再構築」を目指し、公教育として始めてセルラー版のiPadを採用し、2020年度には3人に1台の体制を整えます。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中国では、学校を閉鎖している間も学習を止めないために、インターネットを活用した授業が行なわれることから、タブレット需要が増加するとの指摘があるほどです(https://www.digitimes.com/news/a20200221PD204.html)。
残念ながら日本においては、テクノロジーによって学習を助けられた経験がある世代が教育における意志決定者になっていない以上、トップダウンでない限りは、スマホやタブレットのデメリットにばかり目を向けたルール作りが、今後もまだまだ続くでしょう。
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