MacPeopleは1月29日発売の3月号(関連サイト:Amazon)で300号を迎えます。創刊当時から現在までのAppleを振り返る、記念企画を実施中。第1回はこちら→漢字Talk、PowerBook、ピピン――ジョブズ復帰前のAppleは混沌だった
■iMacが広めた半透明のデバイスたち
吉田 さてここからは通巻51~100号、期間としては'98年5月から'00年6月までです。この時期はなんと言っても、'98年5月に発表されたボンダイブルーの初代iMacですね。
爆発的な人気を誇った『iMac』。MacPeopleでも足かけ2年にわたって表紙に登場したロングセラーモデルとなった。 |
宮野 この前の座談会で言い忘れたけど、そういえば互換機ってあったよね? パイオニアとかモトローラとか。この頃にはもう終わってたんだっけ? パイオニアの互換機は、スピーカーにこだわっていたよね。
吉田 互換機自体は'95年に発表されて全盛だったのですが、'97年9月にギルバート・アメリオがCEOを退任し、スティーブ・ジョブズが暫定CEO(iCEO)に就任してからは、Mac OSのライセンスを中止したので下火でしたね。
伊藤 へぇー。
吉田 互換機といえば、モトローラは『StarMax』っていう、すごくいい製品を作ってましたよ。保証が確か5年で、壊れたら修理に来てくれたりしましたね。あと、アキアも『MicroBook Power』という液晶モニターがセットの互換機を出してました。
伊藤 当時で液晶モニターってすごいですよね。相当お高いんじゃないですか。
吉田 まあ、液晶モニターをセットにすると50万円以上したけどね、とにかくアップルがカバーしきれなかった、さまざまなコンセプトのマシンが登場して楽しかったなぁ。デイスター・デジタルの『Genesis MP』はデュアルCPUを追求していたマシンで、普通にイスになるぐらい巨大なタワー型ケースだった。
あと、パワーコンピューティングとかね。この会社はとにかく安価なマシンをたくさん出していたね。最終的にはアップルがパワーコンピューティングを買収したり、Mac OS 8の互換機メーカーへのライセンスを中止したから終焉を迎えるわけですが。ジョブズは経営のトップに返り咲いたあと、まずは前経営陣のこの互換機戦略を中止させたんですよ。それで'98年の初代iMacの発売につながるわけです。
UMAXから発売された互換機『アーパス2000/160』。PowerPC 603e(160MHz)、メモリー16MB、HDD 1.2GBというスペックだった。 |
宮野 iMacの人気はすごかったね。傍から見ていても、アップルが復活したように感じたからね。
伊藤 当時は、サードパーティー製品がなんでも半透明になってましたよね。マウスとかプリンターとか。
吉田 業務用のプリンターとかも半透明になっていてびっくりした記憶があります。あと、製造方法の違いかもしれないけど、どうみてもチープ感の漂う半透明製品もあったなぁ。明らかにiMacとは色が違うんだけど、半透明だからって強気で売ってたような。
宮野 iMacといえば、USBだよね。あれで一気に普及したよね。
吉田 初代iMacは、SCSIとかADBとか、シリアルポートとか全部取り払って、USBだけにしましたからね。iMacの大ヒットに合わせて周辺機器メーカーもUSBで作らざるをえなくなって、パソコン業界全体のUSB化が進みましたね。
伊藤 初代iMacって確か改造できましたよね。
吉田 メザニンスロットというアップル非サポートの拡張スロットがあって、SCSIとかFireWireの拡張カードがサードパーティーから出てね。『HARMONiG3』というCPUアップグレードカードも登場しました。
宮野 その後は、iBookとか青白Power Mac G3、Power Mac G4とかの半透明ボディー時代が続くんだよね。
青白の『Power Mac G3』。“ポリタンクモデル”などとも呼ばれていた。 |
『Power Mac G4』。現在につながるモノトーン系のデザインだ。 |
吉田 そうですね。アップルはiMacでUSBを広めたように、iBookでは無線LANを広めましたね。当時としては画期的でした。
伊藤 iBookって、なんか奇抜な色の印象があるんですけど。
吉田 キーライムね。俺、持ってたよ。当時は街中でマックユーザーも少なかったから、あの色のノートを開くと結構注目されてたなぁ。どっちかというと恥ずかしかったけど。
キーライムカラーが目にまぶしい『iBook』。AirMac(左)とともに無線LANの普及を促したモデルだ。 |
伊藤 あ、これ記憶にありますよ。ネットブートですよね。
吉田 OS X Serverのネットブートね。このあと、東大がネットブートで稼働するマックを大量導入して一躍有名になったよね。それで結構、困ってた会社もあったなぁ。
伊藤 なんでです?
吉田 ネットブートを構築するには、有線LAN環境を結構チューニングしなきゃいけないんだよ。当時は10BASE-Tもまだまだ多かったから、マックの導入だけじゃなくてネットワークインフラの強化も必要だったんだよね。構内のルーターやらハブやらも全部置き換えるとなると大工事だし、コストも納期もかかった。
宮野 そうなんだ。
吉田 OS X Serverはネットブートじゃなくてもユーザー管理はしっかりできるんですよ。でも。クライアントにそれを勧めようとしても、ネットブートがいいといって譲らずに苦労したという話を聞きました。
Macworld Expo/SF 1999でデモされた『OS X Server』のネットブート。 |
伊藤 当時、アップルは周辺機器でも半透明の製品を出してましたよね。『Apple Cinema Display』とか。
吉田 そうそう。当時はADCという独自のコネクターを採用していて、ケーブル1本でビデオ信号と電源を供給できたんだよ。すごく画期的だった。いまの『Apple Thunderbolt Display』に通じるものがあるね。ちなみにiMacと同じ時期にリリースされた液晶モニタータイプの『Apple Studio Display』は25万円以上したね。
『Apple Cinema Display』。独自コネクターの“ADC”はApple Display Connectorの略。 |
『Apple Studio Display』。大げさな脚部に時代を感じる。 |
宮野 このころのMacPeopleの特集はフォトショップ系が多いよね。そんなに人気あったの?
吉田 はい。当時はまだフォトショップは一般ユーザーもあこがれの製品として注目度が高かったです。廉価版のエレメンツは登場していなかったこともありますが。
伊藤 特集の内容はどういう感じだったのですか?
吉田 余計な物体を消したり、人物写真をキレイにしたりとかオーソドックスなテクニックと、いまでは誰もやらないような一発芸的なレタッチも紹介してましたね。とにかく新機能にワクワクした憶えがある。
『Adobe Photoshop 5.0』の特集は'98年発売の通巻61号に掲載。 |
伊藤 話をマシンに戻しますけど、PowerBook G3は憧れでした。WallstreetとかLombardとか。Pismoは特に欲しかったなぁ。
吉田 Pismoはいいマシンだったよね。俺は買えなかったけど、当時の副編とか編集長クラスの人たちはみんな買っててうらやましかった。ちなみにPowerBookを持ち運んでいる人は、人よりだいたいカバンがデカイからすぐわかった。あと、PowerBookが原因かわからないけど、腰痛持ちも結構多かった。
『PowerBook G3』の特集はボリュームたっぷりで掲載されていた。 |
PowerBook G3としては最終世代にあたる“Pismo”。FireWireの搭載やSCSIの廃止などI/O周りが大きく進化している。 |
伊藤 このスピーカーも憶えてますね。純正かと思っちゃう。
吉田 『iSub』はユニークだったよね。サブウーハースピーカーなんで低音を増強するんだけど、中身が見えるこのデザインは魅力だった。ただ、編集部では基本的に音は出せないから、机上に置いてもオブジェにしかならないので、いつのまにか単体で棚とかに飾ってあったな。
サブウーハーの『iSub』は、スピーカーの名門ハーマン・カードンの手によるもの。 |
吉田 基調講演に入るために一般来場者が長蛇の列を作ってましたね。あのときは、プレスで良かったと思いました。ということで、2回目の座談会はこれで終了です。まだまだ、OS X自体には突入しませんが、この時期はiMacからの第一次黄金期といえますね。当時、アップルの株を買っていなかったことをホントに後悔します。
伊藤 私の出番になるOS X時代はまだまだ先ですね。
Macworld Expo/Tokyo 2000のレポート記事。ジョブズ氏の基調講演を聴きに6000人以上が幕張メッセに詰めかけた。 |
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●関連サイト
マックピープル公式サイト(MacPeople Web)
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