週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Twitterアイコン
  • RSSフィード

MacPeople創刊300号記念企画(第1回)

漢字Talk、PowerBook、ピピン――ジョブズ復帰前のAppleは混沌だった

2013年01月25日 23時00分更新

■ジョブズ復帰前のほうが実は楽しかった!?

吉田 MacPeopleは1月29日発売の3月号(関連サイト:Amazon)でめでたく300号を迎えることになりました。そこで、週刊アスキーの宮野編集長と、マックユーザーである伊藤副編集長を交えて、創刊当時から現在までの話を振り返っていきたいと思います。宮野編集長は当時はどこの編集部ですか?

宮野 MacPeopleの創刊は'95年だったよね。それなら月刊アスキーじゃないかな。まだ週刊アスキーは創刊していなかったので。

吉田 伊藤副編集長は?

伊藤 私は学生でした。

MacPeople300号記念座談会
MacPeople創刊号の誌面。当時は一体型の『パフォーマ5210』(24万円)などが人気機種だった。

吉田 それでは、まず創刊号から50号までを話したいと思います。年代でいうと'95年10月~'98年4月ですね。もっとわかりやすくいうと、ジョブズ復帰直前からiMacの登場前までです。

 実は私は、MacPeopleが創刊して2ヵ月後に入社してMACPOWER編集部に配属されたので、当時の状況は知らないんです。あの頃はジョブズの復帰前で、混沌としながらも面白い技術や製品がたくさん出ていましたね。'95年の後半は、もうPowerPCマシンの時代なんですが、実際にはLC630など68kマシンが売上の上位でした。

MacPeople300号記念座談会

宮野 LCってあったよな。LC630は最後ぐらいのLCで、テレビチューナーとか付けられたヤツでしょ。

吉田 そうです。ちなみに私は、入社前にLC575というモニター一体型のマックを当時買いましたね。24回ローンで。そのあとに出たLC630シリーズの人気がすごかったと記憶してます。デスクトップタイプなのでモニターは別売りですけど、本体価格は10万円を切っていましたし。'95~96年あたりはPowerPCアプリはまだそれほど出てなかったので、まだまだ68kマシンが人気でしたね。

MacPeople300号記念座談会
名機『LC630』。マックが一気に一般に普及したころのモデルだ。

伊藤 ジョブズ復帰前のアップルってよくわからないのですが、編集部から見るとどんな感じでした?

吉田 ジョブズの復帰は'96年末で、経営の先頭に立つのは97年後半からになるんだけど、私がマックを買ったのは'94年だったのでジョブズの影とかまったくなかったですね。入社直後もどっちかというと「過去の人」でした。個人的に、入社後まず会いたいと思ったのは、サジーブ・チャヒルです。

※サジーブ・チャヒル氏は'88年~'97年にアップルに在籍し、マーケティング担当上級副社長などを歴任。ターバン姿で知られ、週アス連載マンガ『電脳なをさん』にもよく登場していた。

MacPeople300号記念座談会
幕張メッセで開催された『マックワールドエキスポ東京'96』のレポート記事。当時の社長はギル・アメリオ氏だった。

伊藤 ところで、これはどこのモデムですか?(300号記念企画のページに指を差して)

吉田 ああ、これはそのころ製品紹介ページにたくさん紹介していたモデムの1つですよ。'95~'96年ごろは、モデムでインターネット接続というのが基本だったからね。

伊藤 USロボティクスのモデムとか懐かしいですよね。当時は、14.4kから28.8kとかに移った時代でしたね。

吉田 多くのメーカーがこぞってモデルを出して、編集部で必死にベンチマークやってた思い出がある。いまでは考えられないけど、とにかく回線が遅いので数kbpsでも速いモデムが欲しかったんだよね。そのあとは、ISDN回線+テレホーダイとかに人気が出ましたね。

MacPeople300号記念座談会
28.8kbpsモデムの『PRAGMATIC DL 1428R』。28.8Kbpsはニッパッパーと呼ばれていた。

MacPeople300号記念座談会
ISDNの接続に欠かせない機器のターミナルアダプター(TA)。

宮野 あと、そのころって確かさぁ。なんかOSの開発が、いろいろややこしくなったんだよね。

吉田 漢字Talk 7.xの時代ですね。CoplandとかGershwinとかのコードネームの新OSのロードマップやデモが披露されたこともありましたが、なかなか開発がうまく進んでませんでしたね。当時は高価なマックに触れるだけでうれしかったんで、アップルの今後とかあんまり興味ありませんでしたけど(笑)。

MacPeople300号記念座談会
'96年発行の通巻12号では、漢字トーク7.5.3を特集していた。

伊藤 吉田編集長は当時、編集部でどのマックを使っていたんですか?

吉田 '95~'97年というと、まだ取材してニュース記事書くのが主な仕事だったので、ずっと68kマックでしたよ。しかも共用で。IIcxとかLC520とかColor Classicとか、そんなあたり。どうしても占有マシンが欲しかったので、編集部の片隅に飾られていたIIfxを私物化してました。

宮野 あの、特殊なやつ?

吉田 そうなんですよ。当時の主流だった72ピンのSIMMをスロットでも8MBが数万円しましたが、IIfxのメモリーは64ピンSIMMという特殊なものだったんで高かったんです。あと、編集部にあったIIfxはものすごく不安定でしたね。

宮野 あのさぁ、LC630とかCoplandとか言われてもイマイチピンとこないんだよ。それさぁ、プレステ1が出たころですとか、VAIOの初代機と発売時期が一緒ですとか置き換えて説明してくれない?

伊藤 私は、実はOS Xからのマックユーザーなんで古いことはわからないです。

宮野 プレステで思い出したけど、ピピンっていつ頃?

吉田 '96年ですね。Mac OS 7.5相当とCD-ROMから起動してゲームとかネットとかできる製品ですね。まあ、知ってると思いますけど。最初から若干微妙でしたが。当時はプレステ1が大ヒットしてたこともあり、ゲーム機としては作り込みが甘かったですね。ソフトもあんまり出なかったし。

宮野 まぁ、タイミングが悪かったよね。

MacPeople300号記念座談会
'96年3月に発売された『ピピンアットマーク』。発売元はバンダイ子会社のバンダイ・デジタル・エンタテインメント。

吉田 では話をマックに戻しますが、マック自体はそのあと黄金のPower Mac時代に突入するわけです。中でも名機といわれているのが、Power Mac 7xxxシリーズですね。

宮野・伊藤 なんで?

吉田 7xxxシリーズのCPUはPowerPC 601/604だったのですが、CPUがドーターカード形式でアップグレードが容易だったんですよ。PowerPC G4あたりまで延命できましたね。

 当時の廉価版でないマックは、6000/7000/8000/9000番台の製品名が付けられてたのですが、日本国内では6000番台はすぐにPerformaの最上位シリーズに番号が取られました。7000番台というのは、Performaではないマックの中ではローエンドという位置付けだったので大人気でしたね。

 ちなみに、実際にCPUのアップグレードが容易だったのでは、7300/7500/7600ですね。特に7300/7600が人気だったように思います。

宮野 へぇー。

吉田 で、面白かったのが7200です。これはPowerPC 601/604時代でも、確か後期に出たモデルで、CPUがドーターカード形式ではなくて直付けなんです。ほかのモデルと比べて安かったんですが、ただし、魅力のひとつだったCPUの換装ができないので私は魅力を感じませんでした。でもですね、なんとこれもCPUをアップグレードできるようになったんですよ。

宮野・伊藤 へぇー。

吉田 PCIバスに差すタイプだったので、カード上にもメモリースロットを用意してましてね。OS 9までのMac OSは機能拡張を使えば、マシンの起動は本来のCPU、その後はアップグレードカード上のCPUが制御を奪えるようになってたので、PCIバスタイプのほかにも、CPUの2次キャッシュメモリー用のスロットに装着するものとか、結構な変態仕様の製品がありました。

MacPeople300号記念座談会
PowerPCマックの代表的な存在である『Power Macintosh 7600』。

宮野・伊藤 へぇー。

吉田 あ、あとですね、Power Mac 4400というマシンもありましてね。これもCPUは直付けなんですが、なんとCPU用の2次キャッシュメモリーのスロットにアップグレードカードを挿すという、さらに変態仕様でした。

宮野・伊藤 今日は勉強になるなぁ。

吉田 あとiMac登場前で話題になったのは、なんといってもPowerBook 2400cですね。当時40万円以上したので、私の財力では買えませんでしたが。

宮野 IBMが作ったヤツね。あれは憶えているなぁ。よく出来たノートだった。日本では相当人気だったよね。

吉田 そうですね。日本でだけ人気がありましたね。商業的には失敗しちゃったんですが、ユーザーはものすごく熱かったです。

MacPeople300号記念座談会
『PowerBook 2400c』は'97年5月発売で、価格は43万8000円だった。

伊藤 アップルのノートマシンって、いまでこそ最高に素晴らしいけど、PowerBook G4あたりまで結構問題ありましたよね。とくに小さいヤツ。

吉田 当時のアップルは小型ノートを作るのはあんまり得意じゃなかったみたいで、PowerBook G4の12インチモデルなんて初代モデルはパームレストが不快を通り越す熱さになったからね。

伊藤 やっぱりノートは17インチがいいですよね。あの画面の広さは素晴らしいです。

宮野 伊藤副編集長は、いまはRetinaの15インチだよね。それで腰痛が治まったからよかったんじゃないの。

伊藤 いやでもやはり17インチの魅力は忘れられませんよ。というか、一生言い続けますけど。

吉田 さて、通巻50号までを俯瞰した1回目の座談会はこれで終了です。次回は、ジョブズの復帰、iMacとiPodの発売で盛り上がるアップルの第1黄金期について振り返ります。

伊藤 えっ、もう終わりですか? 僕、全然話せてないんですけど。でも、OS Xが登場するまでは吉田編集長の思い出を聞く役になっちゃうかも。

【MacPeople 300号記念特大号はAmazonでも取扱中!】


●関連サイト
マックピープル公式サイト(MacPeople Web)

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります