eSportsにおける新しいコミュニケーションの場として池袋に誕生した「LFS 池袋 eSports Arena」(以下ルフス)。そのオープンに合わせて、ルフスを運営する新会社・株式会社E5 esports Worksの発足が発表された。
代表取締役を務めるのは長縄実氏。日本に大規模なLANパーティを持ち込んだ人物で、eSportsという言葉がまだ一般的ではなかった2000年代後半からゲーム大会をはじめとしたeSportsイベントを数多く手がけてきた。
ルフスには、サードウェーブの高性能ゲーミングPC「GALLERIA」が最大100台設置可能で、一般の人が気の向いたときに訪れて、低価格でストレスなくオンラインゲームを楽しめる。しかしその目的は、単にパソコンを使う場所を提供することにとどまらない。
eSportsの聖地として、各種イベントを開催し、eSportでの勝利を目指すゲーマーを手助けできる場を目指している。2018年5月27日には「第18回アジア競技大会 ジャカルタ・パレンバン」におけるeSports競技の日本代表選手選考会の会場にも決定。アジア競技大会は、アジアオリンピック評議会(OCA)が主催する総合競技大会で、4年に1度の開催。eSportsはデモンストレーション競技として初めて採用された。
長縄氏自身、KINTAというハンドルネームで、世界大会World Cyber Game 2001のUnreal Tournament部門で国内4位に入賞した経験を持つプレイヤーだ。プレイヤーとしての経験、そしてゲームイベントの運営で培ったノウハウが、ルフスにどう生かされるのか? 長縄氏を直撃した。
eSportsの歴史を見てきた長縄氏が語る、eSportsに足りないものとは?
── 長縄さんの経歴や活動について聞いていきます。先日のC4 LAN(国内最大級のLANパーティ)のドスパラブースでもゲーマーとしての腕前を披露したそうですが……
長縄 ルフスの99時間無料使用権を掛けて、1対1で対戦する企画でした。ゲームタイトル自体古く、やりこんだ経験がある人も少ないでしょうから、勝つのは当然といった部分もあるのですが、全然練習していませんでしたが、体に染みついていたみたいで勝てました(笑)。
―― 昔取った杵柄ですね。そもそも、いつごろからゲームをされているのですか?
長縄 最初は小学生のころにハマったインベーダーゲーム。その後Unreal TournamentというFPSを知って、自分がどれだけ強いのか腕試しをするため世界大会を目指しました。2001年ごろの話で、日本予選に参加して、4位に入賞したこともあります。
―― 日本で4位! スゴイじゃないですか!?
長縄 そんなことはありません。裏を返せば、当時の日本ではまだ選手層が薄く、こうしたeSportsの大会が普及していなかったということでもあります。そのときの年齢は30歳を過ぎていましたが、反射神経を要求されるFPSは18~22歳で選手寿命が訪れると言われていて、30代の人間が4位になるのは普通あり得ない話なのです。
そのとき思ったのは、日本全体のレベルを上げるためには「もっと多くの人に知ってもらいプレーしてもらう必要がある」ということ。そんな思いもあり、この大会をきっかけに選手としては引退して、日本にeSportsを普及させる仕事に回りました。
―― 長縄さんは日本に大規模なLANパーティ「BIGLAN」を持ち込んだ人物だと言われていますが。
長縄 2005年ごろの話です。Socket 1は仲間内で自主的に開催したもの。Socket 2~5に関しては大規模なLANパーティを目指してスポンサー付きで開催させていただきました。もともとは自宅に友人を招いたプライベートなパーティで、リビングに8人ほどが集まって、パソコンを向き合わせてゲームをプレーしたものです。
かつてはオンラインゲームを遊ぼうと思っても、インターネットにつなぐための制限がたくさんありました。INS 64やテレホーダイといったものでは速度や接続できる時間帯に制限があります。そこにフラストレーションがあって、「大手を振って遊ぶためにどうしたらいいのだろう」という疑問に対する、解決策を考えていくうちに、家に快適なLANをひいてホームパーティをするしかないねという結論に行きついたのです。
ただ結構大変で、同時にマシンを起動したらブレーカーが落ちてしまうなんてこともありました。
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