7月30日より好評発売中の、ソニー内部で起こっている"モノづくりの変化"を密着取材したビジネス書「ソニー復興の劇薬」(著 西田宗千佳)。
発売記念の特別コンテンツ 第2回は、カズ・ヒライとして知られる平井一夫社長への密着インタビュー。スマート腕時計「wena wrist」やジョイントベンチャーとともにスマートロック「Qrio Smart Lock」を生み出した社内スターアップ支援プロジェクト"Seed Acceleration Program=SAP"に取り組む真意とは?
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ソニー復興の劇薬 SAPプロジェクトの苦闘 |
持ち込まれる新しいアイデアが〝多すぎる〟ジレンマ
2012年4月、平井一夫はソニーの代表執行役 社長 兼 CEOに就任した。ソニーの不振は長く続いており、'11年度の純損失は4567億円。赤字体質を改善して経営の健全化を図ること、すなわち〝止血〟が、まず最初に平井に課せられた使命だった。
一方で、平井は悩みを抱えるようになっていた。
「ある意味贅沢な悩みですが、社員から〝いろいろアイデアは持っているんだけれども、それをどうしていいかわからない〟という声を多く聞くようになっていました」
平井は2009年4月より、ソニーに執行役EVPとして着任した。その前は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE。現ソニー・インタラクティブエンタテインメントLLC)のグループCEOとして、ゲーム事業を率いていた。CBS・ソニー(のちにソニー・ミュージックエンタテインメントに改称)入社以来、エンタテインメントビジネスに携わってきたが、最終的にはソニーグループ全体を統括する立場にまで上り詰めた。
平井が大切にしていたのは、現場を回ることだった。SCE時代から頻繁に現場を回る方針だったが、ソニー社長就任後も、各地の生産拠点や開発拠点を回り、社内の状況把握に努めてきた。その過程で感じたのは、「ソニーにはいろいろなアイデアを持っている人々があふれている」ということだった。もっと言えば、
「自由闊達で、ソニーらしい商品やアイデアをどんどん世の中に出せる、という雰囲気に憧れて入社したけれども、(社内の仕組みが複雑で)自分が持っているアイデアをどう形にしたらいいかわからない」そんな悩みだ。
なぜそうなるのか。平井にはもちろんわかっていた。
当時、ソニーは構造改革の真っ只中にあった。コストカットが最優先であり、各事業部内には「いまは新しいことをするのは難しい」という雰囲気が蔓延していた。彼らには、年末や春先など、決まった時期に出さねばならない製品が存在する。売上を立てるにはそれらをいいものにしなければならない。一方で、そこに新しい仕組みを持ち込むには、相応の理由が必要になる。理論武装もなしに企画を提案したのでは、上司から大量の疑問をぶつけられ、いわゆる〝千の質問による死〟を迎える。
もっとシンプルな問題もあった。自分が所属する事業部に関するアイデアであれば、上司に相談すればいい。だが、自分の所属する事業部と関わりのない、まったく新しいアイデアであった場合、どうすればいいのだろう? それを持ち込む場所はどこになるのだろう?
平井が社内での対話に赴くと、そうした悩みが必ず持ち込まれたという。
「 〝これは面白い。いつ製品にできるの?〟と問いかけてみても、〝これは事業部ではすぐに製品化できない、と言われていて……〟と言われたこともありました。だからなんとかしなくては、と」(平井CEO)
また、同時に困ったことも起きていた。
どこにアイデアを持ち込んでいいかわからない、という問いと同時に、アイデアを平井自身に〝直訴〟する例が増えていたのだ。
平井は技術者出身でも、エレクトロニクス事業出身でもない。だが、自身は新しい技術や製品が好きでたまらない。ソニーの研究開発部門や商品開発の現場に行くことは、平井にとってなによりの楽しみであり、そこで新技術を目にしたり、新製品を提案されたりするのも、ソニーという13万人企業の舵取りにおいて非常に大きなことだった。だから、自身にビジネスプランが直訴された場合には、平井はできる限りそれに対応するつもりでいた。
予想を超えて多すぎた、社員からの持ち込み企画
2012年当時、平井はエレクトロニクス事業の立て直しと止血のために奔走していた。きわめて多忙であり、すべてを聞く時間を作れる状態ではない。
この頃、ソニー本社の経営戦略機能の中心となっているエグゼクティブフロアは、まさに構造改革一色だった。ここには、社長室や各重役室、専用会議室の他、グループ全体の戦略を検討・統括する部門が集まっている。ソニーという企業を運営する機構が集約された場所、という言い方もできるだろう。2012年はソニーの構造改革にとって最も重要な時期であり、平井にとっても正念場であった。エグゼクティブフロアの住人にとっては、目の前にある課題であるエレクトロニクス事業の止血こそが最重要課題であったハズだ。
そんな状況下で、新規事業に関する話は入り込む余地もない。結果、企画を持ち込みに行くところがないため、社長の平井が直接、あるいは、どうしても時間がなければ平井のスタッフが聞くことになった。いわば、駆け込み寺である。しかし当時の平井は、構造改革を進める中、極めて激しいスケジュールで忙殺されており、本来は新規事業の精査に割ける時間はごく僅かだ。にもかかわらず、いろんな社員が単発でいろんな企画を持ち込まれてくる。
それでも、平井以下、スタッフチームは、全社から持ち込まれるアイデアに対応していた。しかし、その対応には、本質的な問題が存在していた。
たとえば、ミーティングの時間は、ひとつの案件につき30分程度しか用意できない。話を聞くだけでも、〝これはいいかも〟とか、〝アイデアは面白いけれども、このメンバーだけでは難度が高い。あの事業部にお願いしてみたらどうだろう〟などのアイデアが浮かんでくる。
一方、エンジニア中心のメンバーが企画を持ち込みに来ると、技術に関するプレゼンに偏って、市場性に関する煮詰め方が足りないケースもある。場合によっては、平井がGoかNo goかを判断する段階ではなかったりする。
両者ともに、良い方向にまとめあげるには、とにかく時間が必要だ。しかし、それより優先して取り組むべきことが、2012年当時には山ほどあった。“時間がない”という理由だけで、埋もれさせていいものかどうか。平井は悩んだ。
アイデアが出るということは、それだけソニーに人材と技術がある、ということでもある。一方で、アイデアはアイデアであり、そこから事業化するには、様々な検討が必要になる。そこで「問題があるからやるな」というのではなく、可能性があるアイデアを生かして、新しいアイデアを付け加え煮詰めて伸ばす必要がある。持ち込まれるアイデアのうち、いいものをピックアップして伸ばしていきたいが、そのためには、“磨き上げる仕組み”が必要だ。
過去のソニー〟の呪縛
個人発の製品企画の話になると、ソニーには必ず出てくる逸話がある。ソニーOBからは、次のような伝説がしばしば語られる。
「新しいプロジェクトは、上司に隠れて勝手にやるもの。それが形になりそうだったら、トップに直接見せてGoを得る」
「勝手に作っていたら、〝それいいじゃないか〟と声をかけられ、ヒット商品につながった」
トップが技術を見る目を持っていたため、現場が考えた新しいプロジェクトを発掘する能力があり、また現場も活発に新しいアイデアを考え続けているため、そこから特別なものが生まれる。そうした相互作用が、ソニーがヒット商品を連発する源泉になった、というものだ。
1960年代、ソニーは〝モルモット〟と呼ばれたことがある。他業界に先駆けて新しい技術を試すものの、それを他社が模倣し、さらに大きな果実を得ていることを指してのものだ。そう呼んだのは、評論家の大宅壮一である。大宅の評に対し、当時のトップであった井深大は、「先を走ることを揶揄されるとは」と憤慨したという。だがそののち、こう語るようになったという。
「技術の使い道は私たちの生活の周りにたくさん残っている。それをひとつひとつ開拓して、商品にしていくのが〝モルモット〟だとすると、〝モルモット精神〟もまた良きかな」
ソニーがリスペクトされてきたのは、そうした〝先頭を走る意欲〟が社内に息づいていたがゆえである。社員による勝手プロジェクトの伝統は、モルモット精神の発露といえる。ソニーの自社クラウドファンディング・First Flightでデビューした『AROMASTIC』開発責任者の藤田が2012年に手掛けていたのは、〝バーチャルリアリティーへの香りの応用〟という、文字通りの勝手プロジェクトだ。彼の当時の所属は純粋な研究開発部門だったから、最終製品を担当する部署ではない。それでも、面白いと思ったらプロトタイプを作らずにはいられない。興味に応じてそうしたプロジェクトを進めていく発想力が、現場を回る平井に提案される、数々のアイデアの元になっていた。
けれども、ソニーOBからの声は、2000年代以降のソニーにはそうした〝ボトムアップで生まれてくる新しい種〟をピックアップする能力がなくなった、という指摘であり、トップの能力の欠如を指弾するものと言える。そうした声があることを、平井ももちろん承知しているハズだ。だからこそ、積極的に現場を回り、関係構築に努めてきた。それはソニーのトップになったから、ということではなく、SCE時代からのやり方であった。
一方で、過去のソニーに関する言説には、ひとつ盲点がある。いまのソニーと過去のソニーでは大きく違うところがあるからだ。
それは企業としての〝規模〟だ。
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