【決定版・小牧・長久手の戦い】大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描かれる天下分け目の代理戦争! 秀吉と家康が意地をぶつけ合った″おすすめ”スポットベスト5
2026年09月06日 18時00分更新
天下分け目の代理戦争を歩く! 「小牧・長久手の戦い」おすすめスポットベスト5
第5位:戦火の火蓋を切った要衝「犬山城」
国宝5天守で唯一、実際に戦を経験した城。天正12年3月13日、織田家譜代の重臣・池田恒興(堀井新太)が秀吉方に与して犬山城を占拠したことが、小牧・長久手の戦いの引き金となった。以後、秀吉自身も30,000の大軍を率いてこの地に着陣し、対岸の楽田に本陣を構えて小牧山と対峙することになる。
【胸熱トリビア】 犬山城には合戦の様子を描いた「小牧長久手合戦図屏風」(犬山城白帝文庫所蔵)が伝わっている。裏切りの舞台となった城が、その緊迫の瞬間を描いた屏風を今も所蔵しているという因縁は、歴史ファンならずとも胸が高鳴る。
【アクセス】名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約15分、または「犬山駅」から徒歩約20分。
【行きやすさ・歩きやすさ】★★★★★ 木曽川沿いの平坦なアクセスで、天守からの眺望も抜群。国宝ならではの見応えで、家族連れにもおすすめ。
第4位:わずか5日で難攻不落に変えた「小牧山城跡」
織田信長(小栗旬)がかつて築いた小牧山に、家康は本陣を置いた。徳川四天王の一人・榊原康政(栗原類)に命じ、土塁・堀・虎口を備えた陣城へとわずか5日間で大改修させたという逸話が残る。現在は史跡公園として整備され、山頂には「小牧市歴史館」が建ち、標高100mの展望室から尾張平野を一望できる。
【胸熱トリビア】 現地の史跡情報館「れきしるこまき」によると、近年の発掘調査で当時の土塁や堀の跡が良好な状態で発見されており、榊原康政の突貫工事の実態が考古学的に裏付けられつつある。5日間で仕上げたという逸話は決して誇張ではなかった。
【アクセス】名鉄小牧線「小牧駅」から徒歩約25分、またはコミュニティバスの利用が便利。
【行きやすさ・歩きやすさ】★★★★☆ 公園として整備されているが、山頂までは坂道あり。歩きやすい靴がおすすめ。
第3位:16歳の城主と"鬼武蔵"が散った悲劇の舞台「岩崎城」
秀吉方が仕掛けた三河中入り作戦の途上、池田恒興(堀井新太)勢に攻め落とされた城。城主の丹羽氏重はわずか16歳と伝わり、寡兵で大軍を相手に奮戦して討死した。また、この戦いでは本能寺で討たれた森蘭丸の長兄であり、「鬼武蔵」の異名をとる森長可も享年27で眉間を撃ち抜かれ命を落としており、若き武将たちの悲劇が重なる地でもある。
【胸熱トリビア】 周辺の集落には合戦の戦死者を弔った首塚が今も残り、安昌寺の雲山和尚が敵味方の区別なく手厚く供養したと伝わる。450年近く語り継がれてきた鎮魂の物語が、史跡の随所から静かに伝わってくる。
【アクセス】愛知県日進市岩崎町。名鉄バスまたは日進市コミュニティバスの利用が便利。
【行きやすさ・歩きやすさ】★★★☆☆ 復元された模擬櫓があり、資料館も併設。周辺は住宅地のため、事前に道順を確認しておくと安心。
第2位:家康が軍議を開き、金扇を翻した「色金山歴史公園」
小牧山を出た家康本隊は矢田川を渡り、大きく迂回してこの色金山にたどり着いた。山頂で四方を見渡しながら軍議を開いたと伝わり、家康が腰掛けたという「床机石(しょうぎいし)」が今も残されている。
【胸熱トリビア】 家康はこの色金山から「御旗山(当時は富士ヶ根)」へと陣を移し、そこに代名詞である「金扇の馬印」を掲げた。これを見た秀吉方の堀秀政勢が戦況不利と判断して撤退したという逸話は、一つの決断が戦局を動かした"軍議の力"を雄弁に物語っている。
【アクセス】地下鉄東山線「藤が丘」から名鉄バスで「岩作」下車、北へ徒歩5分。またはNバス「安昌寺」下車、徒歩10分。
【行きやすさ・歩きやすさ】★★★★☆ 展望テラスからは長久手の街並みを一望でき、園内には茶室も。お茶とお菓子を楽しみながら軍議気分に浸れる。
第1位:最激戦地にして"逆転劇"の舞台「長久手古戦場公園」
堂々の第1位は、この戦役最大の激戦地となった長久手古戦場公園。第2位の色金山歴史公園から南へ約1.5〜2km進んだ場所に「長久手古戦場公園」があり、北にある色金山で家康が軍議を開いたあと、南側の古戦場公園(仏ヶ根)一帯へと進んで激突した位置関係になる。
三河中入り作戦から引き返してきた池田恒興・森長可勢は、仏ヶ根でこの地に布陣していた家康本隊と激突し、両将ともに討死という秀吉方にとって痛恨の大敗を喫した。なお、恒興の次男・輝政は辛くも生き延び、のちの姫路城築城へとつながる未来を切り拓いている。
【胸熱トリビア】 園内の「長久手郷土資料室」には合戦のジオラマが展示され、徒歩5分の場所には森長可の墓碑「武蔵塚」も残る。リニア「長久手古戦場駅」から徒歩2分という抜群のアクセスの良さは、他の古戦場にはない圧倒的な近さであり、合戦の記憶が現代の街に直結している証拠だ。
【アクセス】リニモ「長久手古戦場駅」から徒歩約2分。
【行きやすさ・歩きやすさ】★★★★★ 駅からのアクセスの良さは抜群で、資料室は入場無料。歴史初心者でも気軽に深く楽しめる。
編集後記:「負けても勝つ」秀吉の戦略眼と、家康の意地が交差する尾張の地
小牧・長久手の戦いの舞台となる5つのスポットを案内した。この戦いほど、「局地戦の勝敗」と「戦役全体の勝敗」がねじれた形で歴史に刻まれた例は珍しい。
現代のビジネスにおいても、目先の一勝負に勝つことと、大局を制することは必ずしも一致しない。家康は長久手で見事な戦術的勝利を収めながら、秀吉の外交戦略の前に孤立を強いられた。一方の秀吉は、痛手を負いながらもそれを致命傷にせず、次の一手で局面をひっくり返した。
色金山の床机石に腰を下ろし、四方を見渡した家康の視線を想像してみる。そこにあったのは、目の前の敵陣だけでなく、その先にある尾張・美濃・伊勢という広大な戦域全体を見渡す視座だったのかもしれない。
歴史とは、一度の勝敗だけで語れるものではない。どちらが「本当に勝ったのか」を問い続けることこそ、この地を訪れる醍醐味だと言えるだろう。
もしあなたが今、目の前の小さな勝負に一喜一憂しているなら、ぜひこの尾張の地を歩いてみてほしい。450年前の兄弟と武将たちが刻んだ「戦術と戦略のねじれ」が、目先の勝ち負けを超えた視座を、きっとあなたに授けてくれるはずだ。
しかし、さらに俯瞰してみれば、ここで戦術的な勝利を得た家康は「秀吉に敗れなかった武将」としての地位を得て、秀吉亡き後の天下取りの布石を行った、とも言えよう。
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