【前編】新潟国際アニメーション映画祭プログラムディレクター数土直志氏インタビュー
「映画祭」だと日本アニメの存在感が途端に薄くなる理由
日本のアニメ作家も海外の映画祭を「活用」し始めた
数土 近年では、日本の監督作品も映画祭を積極的に活用するようになりました。
原恵一さん、湯浅政明さんといった作家性が強いクリエイターが映画祭にも出品し、その積み重ねで彼らは世界で知られる監督になっていきました。この例は監督の話ですが、それはアニメーターでもありますし、作品自体でもありうることだと思っています。
戦略的に早い段階から実行していたのは、細田守監督のチームです。2006年『時をかける少女』以来、新作が完成する度に映画祭に出品してノミネートや受賞をしています。『竜とそばかすの姫』は日本よりも先にカンヌ映画祭でワールドプレミア(世界初公開)をしています。
また、新海誠監督のチームも近年では映画祭を強く意識して、『すずめの戸締まり』もベルリン映画祭のオフィシャルコンペにワールドプレミアとして出品しました。ベルリン映画祭の長編映画のなかでもトップオブトップが集まる「オフィシャルコンペ」にアニメーション作品が入るということは、日本人が考える以上に大ごとなんですよ。
ちなみに、映画祭でのワールドプレミア公開を、日本の劇場公開より先行して実施するというのは本当に難しいんです。日本のアニメ映画は公開ギリギリまで制作していることが多いので……。
―― 日本でも海外の権威ある映画祭を利用して、作品と作家の価値を上げてブランドにしていく流れがあるんですね。
数土 はい。日本アニメが海外の映画祭に進出する、その第一段階は、世界に向けて「日本にも文学的な良い作品があるよ」というアピールするためでした。第二段階では、日本の作品が戦略的に映画祭に出品して評価されるようになりました。
そしてその次の段階は「大衆的と思われているような商業アニメ作品にも作家性は含まれている」というアピールですね。たとえば、テレビシリーズから出てきた山田尚子さんも『聲の形』がアヌシー映画祭でノミネートされたりと評価が高まっています。
また、映画祭にも変化は起きつつあり、アヌシーでも商業作品を増やしたり、『ニンジャタートルズ』『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』などが招待作品として上映されています。一昔前ならフランチャイズもののハリウッド大作が、歴史あるアニメーション映画祭にドンと出てくるのは想像がつかなかったと思うんですよね。
コラム:日本の主なアニメーション映画祭
日本で最も古く国際的な地位を確立していたのが1985年設立の「広島国際アニメーション映画祭」。2022年、広島市の方針により「ひろしまアニメーションシーズン」へと変更された。1997年には文化庁主催の「文化庁メディア芸術祭」が設立され、アニメーション部門も盛り込まれた(2022年終了)。
2002年、日本動画協会が「東京アニメアワード」(「東京国際アニメフェア」から2014年に独立)を設立。また2006年には「日本アカデミー賞」も「アニメーション作品賞」を設けている。
アニメーション映画祭の増加は続き、2014年「新千歳空港国際アニメーション映画祭」が設立。「東京国際映画祭」も2019年に日本作品のアニメーション部門を設け、2023年からは海外作品も取り上げることになった。
2024年3月15日に2回目の開催を迎える新潟国際アニメーション映画祭も、これらの歴史ある映画祭と並び立つ存在になりつつある。
―― 海外のアート系アニメ映画祭にも変化が見られるということですね。
数土 日本では「文化庁メディア芸術祭」が、アートも商業アニメも横並びで評価しますというコンセプトでメディア・アートの分野では先端を走っていたんですけどね。残念ながら終了してしまいました。
―― なるほど。では、そうした変化が起きたなかで昨年から新しく始まった、新潟国際アニメーション映画祭そのものについておうかがいしたいと思います。
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