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〈後編〉小林啓倫さんロングインタビュー

生成AIはいずれ創造性を獲得する。そのときクリエイターに価値はある?

創造する生成AIが出現したとき、クリエイターの価値は?

―― その通りだと思います。あとは将棋の世界でAIの活用が進んでいるように、創作も含めたユーザーの可能性を広げるものなんだ、という転換がどこかで起こってほしいですね。

小林 AIによる変化を前提としてクリエイターがどう生き残るかにも通じる話です。オンラインでの作品発表とは別に、ライブドローイングやインスタレーションなどへの対応も重要になるでしょう。

 「作品があるその空間に鑑賞者がいること自体がアートである」という指摘は昔からあったわけですが、AIが介在できない場でのパフォーマンスが問われるようになってくると思います。

 とは言え、ではライブパフォーマンスを得意としないクリエイターは淘汰されてしまうのか、という反論はあるかもしれません。

 音楽もかつては宮廷音楽のようにパトロンがいないと成立しない芸術だったものが、現在ではDTMのように誰もが音楽を作ったり、発表できるようになったのに、ここに来てまたライブができないとダメなのかと。

 現在のAIは、過去データの学習からの生成が中心となっているので、独自性・創造性に乏しいと評価されていますが、いずれはそれらを発揮するようになってくるはずです。もう一段、シンギュラリティが控えていると考えたほうが良いでしょう。

 だとすると、やはりAIにはない身体性・空間性といったものを追求していくしかないのでは、と思いますね。

―― いずれにせよ、「学習されるのは嫌だ」からは脱却しなければなりませんね。

生成AIには「作者の物語性」がない

小林 生成AIによって生み出されたコンテンツにはデジタル透かしを入れて判別できるよう規制する、という方向の議論が進んでいます。仮にそれが普及すれば、逆に人間が生み出したものの価値が高まるという可能性もあるでしょう。

 その価値はAIの説明可能性という話ともリンクしますが、作者はなぜ/どのようにその作品を生み出したのか、という物語性を伴ったものになるはずです。

 企業の倫理、ストラクチャーとコンテンツの関係は、個人にも適用できるものですから、たとえば「AIに真似されたくない」というのを倫理ストラクチャーの中心に置くのであれば、真似されないようなコンテンツとはどのようなものなのか、をブレイクダウンしていく必要があります。

 逆に「真似されても良い」とするならば、商業利用はNGとするといった戦略が考え得るでしょう。

2023年7月、OpenAIなどAIに携わる大手企業7社はホワイトハウスにて、AIの安全性を確保するために“AIによって生成されたものだとユーザーが認識できる技術を開発する”などの取り組みを約束した

―― ヒトはほかの動物と違って物語として世界を認識する生き物である、と言われますが、まさにその点がAIに対する優位性と言えるかもしれませんね。虚実織り交ぜて物語を語ることができて、他者もそこに価値を感じ取ることができるというのは、AIとの差別化を考えるうえでも重要だと感じました。

小林 映画『君たちはどう生きるか』への感想、考察などもまさにそうですよね。宮﨑駿監督のライフヒストリーから私たちは物語を読み取ろうとするし、そこに喜びも感じるわけです。

 将来AIが長編映画も作れるようになっても、学習したデータの特徴、言わば上澄みだけをすくい取ったものになりますから、そこから物語を読み取ることはあまり楽しいものにはならないでしょう。人間が作ったからこその感動というのはやはりあると思うのです。

 よく指摘されることではあるが、19世紀に写真が発明されたときも「絵画を巡る文化や経済を破壊するのではないか」という混乱が広がった。もちろん影響はあったものの、21世紀の現在でも写真と絵画は共存している。

 AIによるインパクトも決して小さなものではないが、私たち人間と私たちが生み出すものとの共存が模索されることになるだろう。そこで重要になってくるのが心構えに留まらない実践的な「倫理」なのだ。

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