週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Twitterアイコン
  • RSSフィード

改装前のホンダコレクションホールを急いで見学! 来春を楽しみに待とう

2023年11月30日 17時00分更新

文● 栗原祥光(@yosh_kurihara) モデル●新 唯(@arata_yui_)編集●ASCII

◆自動車エリアでは農耕機具からTYPE Rまでがズラリ勢揃い

 続いて4輪の市販車エリアへ。まずは最初の四輪車であるT360。「丸っこくてカワイイですね」と新唯さん。「最初は軽トラックだったんですね」と作業車両だったことに意外といった表情です。

Honda

Honda/S500、S600など

Honda

S600クーペの車内に興味津々

 そして、Honda四輪参入時のS500など。本田宗一郎さんはS500を市販する際、ボディーカラーに赤をラインナップしたところ、当時の運輸省から「赤は消防車の色。 ゆえに認可ならん」とのお達しが。これに本田さんは「ヨーロッパではスポーツカーは赤が当たり前。“認可ならん”とは何事だ」と激怒して怒鳴り込まれたのだとか。結果、S500に赤が誕生。以後、Honda車には“赤”が欠かせない物となりました。唯さんはその話に興味を抱きつつも、S600クーペの車内に興味があるみたいです。

Honda

Honda/N360

 当初、軽トラックとスポーツカーだったHondaのラインアップ。乗用車が加わったのは1967年のことでした。N360は31馬力のエンジンに大人4名が乗れる室内。そして当時31万3000円という低価格で人気となりました。「この見た目、今の軽自動車に似ていますね」と唯さんが言う通り、現在のN-Oneにデザインは受け継がれています。

Honda

Honda/初代シビック

 先ほどマスキー法の話をしましたが、そのCVCCエンジンを搭載したのが初代シビックです。米国におけるHondaブランドを確立した1台といえるでしょう。

Honda

Honda/3台目シビック

 シビックはその後、Hondaを代表するクルマになります。ラインアップも3代目では3ドアハッチバックのほか、4ドアセダン、5ドアのシャトルと拡充。「ワンダーシビック」の愛称が付けられました。翌1984年には1.6L DOHCエンジングレードも追加され、レースでも採用されるようになりました。シビックのスポーティーなイメージはこのあたりから始まったように思います。

Honda

Honda/シティ・カブリオレ

 1980年代のHondaで忘れてはいけないのがシティでしょう。まさに町の人気者といった感じで、よく見かけました。オープンカーのカブリオレに、スポーツモデルのブルドッグ……。唯さんはカブリオレの室内がカワイイと写メをとります。

Honda

Honda/レジェンド

 ラインアップは高級車にも。Honda初の3ナンバー車として、1985年に登場したのがレジェンドです。日本車で初めてSRSエアバッグを採用したほか、モデル末期には世界初のFF専用トラクションコントロールも搭載されました。私事ですが、筆者の父親が最初に買ったクルマで、子供の頃乗ったなぁと懐かしく思いました。

Honda

Honda/ビート

 S500からスタートしたオープンスポーツカーは、一時期開発が途切れたのですが、Beatによって復活します。ミッドシップに直4エンジンを搭載。その思想はS660へと受け継がれました。

Honda

TYPE Rのマシンたち

 「赤バッジ」の名で親しまれているHondaのTYPE Rが日本で登場したのは、1992年のNSX-Rから。その後、インテグラ、シビックにもラインアップされ、ボーイズレーサーたちに人気を博しました。チャンピオンシップホワイトのボディーは実にカッコイイです!

Honda

S2000など

 S2000も忘れてはいけない1台。Hondaのスポーツカーは、やっぱりオープンカー! そんな気持ちにさせてくれます。

Honda

発動機など

 Hondaのプロダクトは二輪・四輪だけでなく、発動機や農耕器具にも及びます。その歴史は1953年から続き、私達の生活を支え続けてきました。ここでも本体の色は赤なのですね。

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります