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「へんな人間も私だけになった」、30周年のIIJ鈴木会長

2023年11月27日 08時00分更新

IIJ

NASDAQにも上場

 その後、IIJは、日本のインターネット普及にあわせて、企業や個人を対象に様々なサービスを創出し、インターネットの広がりを支える一方、1999年8月には、日本の未上場企業として初めて米ナスダックに上場。2005年12月には、東証マザーズに上場するとともに、2006年12月には東証一部に鞍替えするなど、企業体質の強化も図っていった。

 2008年にはMVNO事業者として初めてとなるデータ通信用SIMを利用した「IIJモバイルサービス」を開始、2009年にはクラウドサービス「IIJ GIO」を提供。2011年には日本初の商用外気冷却方式モジュール型データセンターである「松江データセンターパーク」を開設した。2017年には、セキュリティオペレーションセンター(SOC)を開設し、2019年には白井データセンターキャンパスを開設。2023年には白井データセンターキャンパス2期棟の運用を開始するなど、着実に事業を拡張している。

 2022年度の連結売上収益は2527億円、営業利益は272億円。連結従業員数は4750名となっている。

挫折の経験も、海外に潰された

 鈴木会長が、「私にとっては、最もいいプロジェクトだった」と位置づけるのが、クロスウェイブ コミュニケーションズ(CWC)であった。だが、これは、鈴木会長にとっては、最も悔しい結果に終わるプロジェクトとなっている。

 1998年10月に設立したCWCは、インターネット専用の高速データ通信基盤の構築を目指し、いまでは一般的な通信インフラとなっている「広域イーサネット」サービスを立ち上げるための会社であり、IIJが40%を出資し、ソニーが30%、トヨタが30%を出資した。CWCは、第一種電気通信事業の認可を得るとともに、米ナスダックの上場によって調達した資金で設備投資を行い、2001年には沖縄を除く全国でサービスを提供できるネットワークを構築した。

 だが、このとき、大きな逆風が吹いた。CWCは、日本高速通信の光ファイバー設備の使用権を購入し、自社のネットワークインフラを構築しようとしていた。だが、交渉が進むなかで、国際電信電話(KDD、現在のKDDI)が、国内通信への進出を目的に日本高速通信を買収。この結果、設備使用のための契約金が何倍にも値上げされ、この支出がCWCの経営を苦しめた。

 顧客は増加していたものの、追加の設備投資が必要となり、資金繰りが悪化。そこに金融環境の悪化、電力系通信事業者との提携協議の頓挫、大株主であるソニーの株価下落による混乱といった悪条件が重なり、CWCは破綻。2003年8月には会社更生法の申請を行うことになった。

 IIJによると、CWCが破綻する直前には、米通信事業者から、CWCとIIJを莫大な金額で買収するという提案があったというが、日本で立ち上げたインターネット企業を米国資本の傘下に入れることを良しとせず、会社更生法を申請する選択をしたという。

 鈴木会長は、「海外の投資家が、多額の費用を出してくれることを受け入れず、日本企業として残るために、一方的に潰された」とも語る。

 また、鈴木会長は、事業自体は好調に拡大していたものの、資金があと一歩続かなかった当時の状況を、「あと半年資金が続けば」と述懐。無念をにじませている。だが、「これは誇り高い失敗。これからも前を向き、イニシアティブをとり続けよう」と社内に語りかけ、その当時、会社を去る社員はほとんどいなかったという。また、CWCが破綻しなければ、通信の世界の勢力図にも大きな影響を及ぼしたとも指摘している。

製造業任せの発想から出ないといけない

 講演のなかで、鈴木会長は、インターネットのこれまでの歴史について触れながら、「インターネットは、米国が21世紀の覇権を勝ち取ることを目指して、膨大な国防費を投下して完成させたものである。高速ネットワークを実現し、国境を無くし、時間と距離の概念を一変させた技術である。いま、その上に成り立っている企業がGAFAであるが、これはいつまでも続くものではない。しかし、日本では、GAFAなどと一緒になって戦える企業が作れないのも事実である」と指摘。「日本では、大規模プロジェクトをやろうとすると、大会社が受け皿となって、大会社が発想するアイデアにお金が流れていく仕組みになっている。しかも、偉い人の発想では、そのすべてを製造業に任せようとする。いつまで経っても、製造業で世界に太刀打ちしようという発想の枠から出ない。しかし、米国では、インターネットは国防産業でありながら、不良のお兄ちゃんたちや、惚けた人たちにもお金が回った。日本のお兄ちゃんたちも楽しそうにやっていたが、天才が新たな技術で世界を変えようというときに、日本はそうはならなかった。国防とは距離があり、日本のお金は、才能がある個人にまで回らなかった」とも非難した。

 さらに、自虐的に、「GAFAの人たちを見ると、社会人としては失格者といえる人たちが多い。私もその一人である。IIJも30周年を超えると、へんな人間が少なくなる。最後に残ったまともじゃない人間が私だけになる」とし、「私が、社会人としては失格者なのに、IIJがGAFAほどになれなかったのは、日本でやっていたからである」とする。米ナスダック上場にあわせて、「IIJの本社を米国に移したかった」と当時の状況を悔やんでみせる。

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