ドキュメンタリー映画「WE MET IN VIRTUAL REALITY」:
「たとえ現実の家族に会えなくても、ここには家族がいるのです」メタバースで生きるとはどういうことか
ここを生きる場所として選んでいる人が実際にいる
主人公の一人、ピンクの髪の毛のアバター姿のジェニーさんは、手話を学び、今度はそれを多くの人に教えるための教室をVRChatの中で運用しています。もう一人の主人公のろうあ者のレイさんとの会話が、このドキュメンタリーの大きな山場です。
重要なシーンは、レイさんが、ジェニーさんの兄(会話ではBrotherとしか言っていないので兄弟のどちらかは判断付かない)が亡くなってしまったことを手話で話すシーンです。追悼の言葉をレイさんが手話で述べた後、中国提灯を打ち上げる美しいシーンが描かれます。レイさんは女性アバターですが、男性であろうと思われます。大切な人が亡くなったことに対し、静かに手話によって祈る姿は心を打つものがありました。
ドキュメンタリーのなかで、VRChatの技術について説明されることはありません。ジェニーさんがラストシーン近く、星空のドライブ下で、雲が動かないことを話題に上げるときに始めて、ここがVR空間であることを思い出させるぐらいです。そして、自分は空を見上げているけど、実際にはカーペットの上にいると、笑いながらつぶやくのです。
映画を通して見ていると、VRだから生まれる特別な感情ではなく、アバターの姿であっても生きている人間の自然な情感が伝わってきます。VRChatには、多少奇異に写るアバターの姿であっても、自らの自由なアイデンティティを表現できる場所でもあり、選び、そこを生きる場所として選んでいる人が実際にいるのです。
登場人物の一人が言います。
「たとえ現実の家族に会えなくても、ここには家族がいるのです」と。
現実の空間を超越してお互いが出会う場所として、そして、コロナ禍という多くの人を孤立化させてしまう状況が起きていても、多くの人にとっての避難場所として、その場所は機能しているのです。
現実世界に比べれば、まだまだ映像も体験も非力であることは間違いありません。それでも、今のメタバースを自分が生きている場所だと感じている人がすでに実際に存在しているのです。この事実を考えるならば、メタバースは距離を超えて、人間の付き合い方を変えていく可能性を読み取ることができます。
そして、メタバースで暮らすということが当たり前になった人たちが伝わってくるのです。日本での公開があるかどうか、まだ明らかにされていませんが、もし来た場合にはぜひ見てほしい映画です。
週刊アスキーの最新情報を購読しよう