ゲームボーイ(1989年発売、1万2800円) |
写真:山崎功 |
任天堂の隠れた天才、横井軍平という人がいる。「枯れた技術の水平思考」と言ってご存じの方もあるかもしれない。
任天堂のカリスマ経営者・山内溥(ひろし)の右腕として『ゲーム&ウオッチ』『ゲームボーイ』など初期ヒット作を生み出した伝説の開発者である。彼の生涯を描いた新書『任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代』が発売中だ。価格は864円。
アスキーでは新書の発売を勝手に祝し、編集担当の亀井史夫編集長に「ねえ~アスキーに巻末座談会転載させてよお~」と依頼。嫌な顔をされながら一部の転載許諾をとりつけた。とても面白い座談会なのでぜひ時間をかけてお読みいただきたい。
話者は新書著者でITジャーナリストの牧野武文さん、任天堂コレクターでウェブディレクターの山崎功さん、そして角川アスキー総研の遠藤諭取締役。段落が終わるたびに横井さんが絡んだ製品の写真をちょくちょくはさんでいきたい。ではどうぞ。
世の中が横井さんを呼んでいる?
ウルトラハンド(1967年発売、600円) |
写真:山崎功 |
牧野:不思議なことなのですが、世の中が横井さんのことを呼んでいる気がするんです。
遠藤:でた! いきなりオカルト話ですか。
牧野:『ゲームの父・横井軍平伝』(本書の単行本刊行時のタイトル)を出したのは、角川書店の方から「横井さんの伝記を書けないか」と声をかけていただいたからです。そして偶然、同じ時期にフィルムアート社の方からも『横井軍平ゲーム館』を復刊したいと言われたのです。自分の方から「書かせてくれ」「復刊してくれ」と頼んで回ったわけでもないのに、同時にふたつの出版社が横井さんの本を出したいと言ってきた。
遠藤:刊行したのは、ほとんど同時だったですよね。2010年ですか。
牧野:それから4年が経ち、角川書店の方から、そろそろ『横井軍平伝』を新書にしましょうというお話がありました。するとまたまた偶然、ある出版社から『横井軍平ゲーム館』を文庫に入れたいというお話がきたんです。なんか、この2冊の本はタイミングが合うんですよね。
山崎:ふたつの出版社が申し合わせてやっているわけじゃないわけですからね。
牧野:でも、『横井軍平伝』の出版と『横井軍平ゲーム館』の復刊がされたときに、僕、けっこうネットとかで叩たたかれたんですよ。「商魂たくましい」とか「横井さんを商売にしている」とか。
遠藤:え? そんなこと考える人いるんだ。出版って今や慈善事業だという人もいるのにね。
牧野:まあ、それはいいんですけど、この偶然はどういうことだろうと考えると、2010年は任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」が、ゲームボーイが持っていた「世界一普及したゲーム機」の記録を塗り替えた翌年なんです。
山崎:ニンテンドーDSは2004年発売で、2007年、2008年ぐらいに、ニンテンドーDSとWiiが大ヒットしてますね。
牧野:で、今はスマホゲーム全盛の時代になっていますが、少し動きがでてきました。任天堂もDeNAと業務提携をして、そこを足がかりにスマートフォンに進出していこうと考えていますし、スクウェア・エニックスがスマートフォンに本格参入して、かなりクオリティの高いゲームを発表し続けています。この数年のスマホゲームというのは、ガチャに代表されるゲーム性の低い課金/集金システムのようなものが大半でしたが、ゲーム性の高い本格的なゲームがスマートフォンで遊べるようになってきました。こういう時期に、また世の中が横井さんのことを知りたいと考えている。とても面白い現象ですね。
遠藤:ああ、だから「世の中が横井さんを呼んでいる」なのね。
イノベーションと「枯れた技術の水平思考」
ウルトラマシン(1968年発売、1480円) |
写真:山崎功 |
遠藤:イノベーションというのは技術革新のことではないわけです。技術革新は技術革新であって、そのテクノロジーをどうフットワークよく商品にするかということで、僕の中ではイノベーションというと横井さんじゃないかと思っています。
牧野:「枯れた技術の水平思考」ですね。
遠藤:その言葉って、イノベーションという言葉と同じ意味ですよね。テクノロジーというものがあって、縦に技術を掘っていくのではなく、水平にそれをどう使って、どう演出して、コンテンツ化していくか、その発想力というのがとても重要なんですね。水平思考というのはまさにそのことをいっているんですね。日本のテクノロジーってフットワークなんですよ。
牧野:フットワーク?
遠藤:カラオケでもプリクラでもデカラケでもそうなんですけど、日本のテクノロジーって、実はものすごく突き詰めることって苦手なんですよね。サイエンスの世界で、強い組織力で一気呵成に成果を出すということが米国ではありますけど、あれ、日本は苦手なんですね。組織力というのがなくて、どちらかというと、一人の発想力に富んだエンジニアがいて、太っ腹の部長がいて彼を遊ばせている。そういうところから、思いもしなかったものが生まれてくる。日本の70年代、80年代はまさにそういう部分があったのです。まじめに大勢でコツコツやっている一方、そういう茶目っ気のある発想ができるのが日本のよさであって、横井さんはそれを体現している人なんですね。
牧野:アナログの玩具から、デジタルの玩具まで手がけていますからね。
遠藤:ある意味、そのまま続けられた人なんです。日本ってもともとはそうだったのに、いつからか硬直化して、そういう人がいられなくなっていった。だから、僕は横井軍平さんが特別の人というよりは、もともと日本のテクノロジー、日本のエンジニアってそうだったよね、それを体現している人、そういう印象なんですよ。だから今、横井さんのような人がすごく重要です。ネットワークテクノロジーとかマイクロエレクトロニクスが、ある飽和期のような状況になっています。モノのインターネット化、IP化することも、まだまだではあるけど、ほとんど見えてきている。そろそろ一段落じゃんみたいな議論がある。そういうタイミングで、むしろどういう商品を考えるのかとか、どうやって人を感動させるかということが重要になっています。それで、「横井さんが呼ばれている」感があるんじゃないですかね。
牧野:それともうひとつ重要なのが、横井さんはイノベーションのつもりではやっていなかったと思うんですね。
遠藤:まあ、イノベーションを起こすと口に出してやっているやつに、ろくなやつはいません(笑)。
牧野:横井さんのやっていることは、横井さんが子供のころ遊んで楽しかった遊びを、今のテクノロジーを使って再現しているということなんですね。だから、遊びのなにが面白いかという本質は、テクノロジーが違ってもちゃんと生きている。
山崎:先日、横井さんのかつての同僚で友人の方にインタビューする機会があったんですが、その方の話だと、横井さんが入社したことで任天堂は変わったといっていました。横井さんの存在が周りを変えていったそうなのです。それを見いだした山内溥さんもすごいと改めて思います。当時、横井さんは外車に乗って出勤していたんですけど、外車で出勤って、山内さんと横井さんとその友人の方の3人だけだったみたいですね。遊び好きで、派手好き。3台並んで駐車していたそうですよ。
遠藤:それは任天堂が花札やトランプをつくっていたころの話でしょう?
山崎:ええ、玩具をやり始めたんですけど、最初は他社の真似や海外で売れたものの真似から始めたんですが、あまりうまくいかなかったようです。
遠藤:まあ、日本のテクノロジーはそうやって真似から始まりますからね。
山崎:そこに横井さんがでてきて、新感覚でオリジナルで大人も子供も楽しめるという玩具をつくり始めて変わったんですね。でも、玩具はどうしてもアイディア商品なので、飽きられるのも早い。それで会社を安定させたいというので、業務用、アーケードの世界に進出するんですけど、それもきっかけとなったのが横井さんの開発したレーザークレーなんですね。それまでの任天堂は、花札、トランプ以来のソフトウェアのノウハウはあったんですけど、技術力がなかった。それがレーザークレーという大型施設をきっかけにアーケードマシンを開発することで鍛えられ、のちのちゲーム&ウオッチやゲームボーイをつくるときに役立っていくのです。そこでソフトとハードが融合するんですね。任天堂がそういう節目のタイミングには、必ず横井さんが中心にいたんですね。
牧野:横井さんは、間違いなく任天堂のエースであり続けましたよね。任天堂の玩具って、当時は横井軍平という名前も知らないし、任天堂の製品かどうかも気にしてませんでしたけど、ウルトラマシンにしても、光線銃にしても、ゲーム&ウオッチにしても、記憶に残っているものはすべて横井さん作だったわけですから。
横井、宮本、岩田を見いだした山内の眼力
ラブテスター(1969年発売、1800円) |
写真:山崎功 |
牧野:任天堂のディズニートランプを見て驚くのは、ただのトランプではなく、トランプゲームの遊び方を解説した小冊子が中に入っているんですよね。あれって、要はハードウェアとソフトウェアをオールインワンする発想でしょ? 他のカードメーカーはああいうことやっていないのかな?
山崎:うーん、正確にはわからないですけど、任天堂以外ではあまり見かけないですね。
遠藤:僕が書いた『計算機屋かく戦えり』の中に任天堂に関係する部分が一カ所だけ出てくるんです。それは、日露戦争のときに、ロシアの船を拿捕する。その船の中に機械式計算機があって、それがタイガー計算機に影響を与えているか否かという議論があるんですけど、その拿捕された船に乗っていたロシア兵が舞鶴につれてこられたときに「トランプが欲しい」と言いだした。それを任天堂がつくることになったという話です。
山崎:そこが疑問なところで、そういう資料もあるんですけど、そうじゃない資料もあるんですね。任天堂の会社案内には1907年にトランプの製造に着手したと載っていたので。でも、90年代後半から、会社案内の記述が1902年に変わるんです。どういうことか任天堂に聞いてみたんですけど、真相はよくわからないみたいです。
遠藤:日露戦争が1904年だから、日露戦争前からつくっていたことになりますね。まさか、書いている字が汚くて、2と7を取り違えていたみたいな話じゃないでしょうね(笑)。
山崎:1902年って、骨牌(こつぱい)税が施行されたときなんですね。花札などのかるた類を製造すると骨牌税を支払って印紙を貼るわけです。トランプは対象外だったのでそれを逃れるために、米国から輸入をして製造販売したという説もあります。
遠藤:花札がやばくなったので、トランプという新商品に進出した。
山崎:創業家である山内一族の嗅覚ですね。三代目社長山内溥さんの功績はいろいろありますが、山内さんのいちばん大きな役割というのは、人を見る目だと思います。才能のある人たちを見抜いて、チャンスを与えて、才能が開花する舞台を提供する。
遠藤:宮本茂さんを見いだすのだって、一見むちゃくちゃに見えますよね。でも、それは人を見る目をもっていないとできないことだから。
山崎:宮本茂さんも岩田聡さんも、才能があったのはもちろんですけど、最初はなんの実績もなかったわけですから。それを見いだしたのが山内さんですね。
遠藤:岩田さんがいきなり任天堂の社長になったというのはどういうことなの? 僕らは当時、ものすごく驚いたんだけど。
山崎:岩田さんが所属していたハル研究所が倒産しそうになったとき、山内さんが出資をするかわりに社長に指名したのが岩田さんだったんですね。それから任天堂の社長にも指名された。
遠藤:それってすごいことじゃない? だって、ハル研究所は面白い開発をやってはいたけど、大会社じゃないわけで、そこの社長がいきなり任天堂のサイズの会社を回すことになるなんて。
山崎:宮本茂さんがおっしゃっていたんですけど、ハル研究所はものすごく開発力があったんですね。山内さんは、そのハル研究所をなくしてしまうのはもったいないと考えたようです。
牧野:普通の経営者だったら、ハル研究所を吸収合併して、岩田さんを部門長にするという発想をするはずですよね。
山崎:任天堂って、縦割りというか、いろいろな部門が競い合う形の組織体制をとっているんですね。ですから、社内でライバル関係がいっぱいある。それを山内さんだからうまく回せていたと思うんです。岩田さんは外部の人間だったので、どこの部門ともうまくコミュニケーションをとっていて、そこを山内さんは評価したんだという話がありますね。だから、ハル研究所の再建を岩田さんに任せて、そこで岩田さんを試して、うまくいったから任天堂の社長にという思いがあったんじゃないでしょうか。
モバイルという発想の魁
ゲーム&ウオッチ(1980年発売、5800円~) |
写真:山崎功 |
遠藤:僕はよく任天堂とアップルを比較していて、「iPhoneはゲームボーイだ!」というのが持論なんですよ。これって、一見頭の悪そうな比較なんですけど、考えれば考えるほど似ている。アップルも縦割りで、複数の部門が競い合って、製品を生みだしていくんですね。iPhone 4は非力なA4プロセッサを採用していて驚いたんですけど、その非力なプロセッサでも、操作感が遅く感じないようにする工夫がものすごくたくさんやってあって、その辺りもゲームボーイに通じるんですね。
牧野:そもそも「携帯するデバイス」という発想はいつぐらいに生まれたものなんでしょう。
遠藤:それは電卓とか電子手帳とかウォークマンとかいろいろ10ぐらいの源流があって、長いですよね。日本は強かったですね、携帯デバイスは。
牧野:でも、時代順でいうと電卓あたりがいちばん古いわけですよね。
遠藤:うーん、携帯することがエポックメイキングという点だと、NTTの前身である電電公社がすごくて、80年代に携帯電話が出てきてしまうんです。米国でも開発はしていたけど、いろんな事情もあり実用化は日本の方が早かったりするわけですね。
牧野:電卓で携帯性があるというと、有名なのはカシオミニですよね。あれって、携帯して使うということを意識して小さくしたんですかね。
遠藤:あれは、ボウリング場でスコアの計算をしたいのでつくったという説がありますね。
牧野:当時の言い方だと、ポケット電卓みたいに呼ばれていたんですよね。これってモバイルというのとは少しニュアンスが違うような気がするんです。
遠藤:モバイルじゃなくてポータブルね。
牧野:そうです。ポータブルというのは、今ここではない場所で使う予定があるのでそこに携帯して、その場所で使うことを想定している。モバイルというのは、使う場所はどこでもよくて、常に携帯して、スキマ時間が生まれたらその場で使う。
遠藤:ああ、歩きながら使っちゃうとかね。
牧野:そうなんです。だから、今いっている〝モバイル〟の始まりって、ゲーム&ウオッチからじゃないかと思うんですね。どこかでゲームをしたいからもっていくのではなく、とにかく携帯して、車の中でも電車の中でも都合のいい場所のどこでも遊ぶ。そういうポータブルではなくモバイルの発想って、横井さんが生みだしたんじゃないかなと思うこともあるんです。ただ、横井さんも「モバイル」なんていう発想をしたんじゃなくて、小さな玩具なら子どもたちはどこでも遊ぶ、だから持ち歩けるデザインにしなければいけないという発想だったと思いますけど。
山崎:ゲームボーイ時代の他社の玩具を見ても、少なくともモバイルデバイスをケーブルで接続して遊ぶというスタイルのものはちょっと見当たらないんですよね。他社はあまり注目していなかったんですね。
(記事はここまで。「任天堂とスマホゲーム」「任天堂とドローン」などもテーマに語る座談会の全文は新書の巻末に収録しています)
任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代
発売日:2015年6月8日
電子書籍配信日:2015年6月10日
定価 864円
新書判
ISBN 978-4-04-102374-7-C0295
角川書店
●関連サイト
任天堂ノスタルジー 横井軍平とその時代
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