那覇市内にある沖縄セルラー電話の本社ビルに潜入し、auシカと感動のご対面。また社員食堂でちゃっかりとしょうが焼き丼をご馳走になったモバイルプリンス。
今回は沖縄セルラー電話の北川洋社長(以下、北川氏)に会社設立の経緯、現在の取り組みなどを取材しました。
↑沖縄セルラー電話の北川洋社長(左)とモバイルプリンス(右)。 |
●沖縄セルラー電話設立の経緯
──いろいろな方から「何故、沖縄だけKDDIではなく、沖縄セルラー電話なの?」と聞かれることがあります。まずは沖縄セルラー電話の誕生秘話を聞かせていただければと思います。
北川氏:1990年に沖縄と本土の経済界の交流を図る“沖縄懇話会”というものが結成されました。これは沖縄が本土復帰(1972年)後、経済的に伸び悩んでいたので、本土の経団連の方々と交流して経済を活性化させようという取り組みです。
その中で「沖縄の通信会社をつくったらどうか」と案が出た時に、稲盛和夫さんが創設者である第二電電(現・KDDI)が約59%を出資、沖縄の財界が残り約41%を出し、1991年に沖縄セルラー電話が誕生しました。
なので、よくある“大企業の沖縄支所”というかたちではなく、最初から沖縄のためにつくられた会社、地元の会社なのです。KDDIに対しても「沖縄では防水の需要が高いから、多く出荷してくれ」と強く要望を出したりしています。
──沖縄の人たちって雨の中でも傘をささなかったりするので、防水は必須ですよね(笑)沖縄は現在、日本で唯一auブランドのシェアが業界1位の地域ですが、沖縄セルラー電話設立当時からシェアは高かったのでしょうか?
北川氏:はい。沖縄経済界の後押しもありましたのでシェアは高かったです。
──1990年代初頭に沖縄セルラー電話設立、そして2000年頃には業界として合併が進む時期だと思いますが、その当時はどのような動きだったのでしょうか?
北川氏:1990年代の当時、セルラー方式で通信する事業者が、北は北海道セルラー電話から南は沖縄セルラー電話まで8つあったんですが、そのセルラーグループが2000年にまとまり株式会社エーユーが設立されます(2001年にディーディーアイと合併し現在のKDDIに)。
その時に稲盛和夫さんから「設立目的が沖縄経済の振興であり、これからも地元に貢献する会社であり続けるべき」という思いもあり、独立して残ることとなりました。すでに上場もしていましたし、頑張ろうと。
──以上が会社設立から、合併されないで独立した流れですね。歴史を感じます。
●auシカの展開方法、ベンチャー事業の展開
──その独立の流れでCMやプロモーションも沖縄独自のものも多いと思いますが、反応などはいかがでしょうか?
北川氏:そうですね。KDDIと同じ全国的なCMも流しながら、沖縄独自のCMやプロモーションも積極的に進めています。県出身の“ガレッジセール”がひかりサービスのCMをやっていたり、幻と言われているauシカもそのひとつですね。
──来ました、auシカ! 今だとゆるキャラブームですし、全国的にグッズ展開をすると盛り上がると思うのですが、いかがですか?
北川氏:その案も社内でも出たんですよ。ただ仮にauシカが大ヒットして旬なキャラクターになると、飽きられる時期も来る。グッズの売上が一時的には入ってくるかもしれないが、鮮度が落ちて消耗品みたいになるのもダメだろうと。逆に、沖縄でしか見れない幻のキャラにした方が結果としていいのではないかと、難しい所ですがそう判断しております。
“はとバス”に対抗して“シカバス”をつくってもいいんじゃないかと、いろんな案は出たんですけどね。
↑専用キャンペーンページも用意される“auシカ”。 |
──auシカ以外にも、独自の展開としてはどのようなことを進めていますか?
北川氏:3年ほど前に社内ベンチャーでいろいろと案を出して残った観光事業も現在運営しています。
“沖縄CLIP”というサイトを立ち上げ、地元在住のライターが沖縄の魅力的なスポットをキレイな写真と共に記事にしていて、おかげさまでFacebookでも多くの反響をいただいております(2014年8月現在、38万件超の“いいね!”を獲得)。
↑“沖縄CLIP”トップページ。 |
今後はバナー広告の展開や、旅行社との提携、物販など沖縄の良さをどんどん発信できればいいと思っています。
●離島でも快適な通信を実現したい──“地元に全力!”な取り組み
──沖縄は本当以外にも離島も多いのでエリア構築などの取り組みもまた違ってきますか?
北川氏:前提として、沖縄ってとにかく広いんですよ。東西端の距離が約1000キロメートル。那覇が大阪なら、波照間は長崎の位置。そしてほとんどが海で、そうした中でエリアを構築しないといけない。
幸い、うちは800MHz帯のLTEでエリアをつくっているので、離島でも電波を飛ばしやすい。ただ、基となる回線が細いのでLTEでもなかなか速度が出にくい。なるべく不公平感の出ないよう離島のお客様にも快適に使っていただくため、人口、世帯数などを踏まえた採算面では実現困難な離島も含め、沖縄に広く快適なエリアを提供したい思いがあるため行政などの協力も求めながら実現を図りたいですね。
──離島での取り組みですと『沖縄離島“15の春”旅立ち応援プロジェクト』もありますよね。
北川氏:高校のない離島では中学校卒業時、15の春になると沖縄本島の高校に通うために親元を離れます。その時に、親子でケータイやスマホを使ってしっかり連絡を取り合えるように“ケータイ教室”を実施しています。また、シニア向けの勉強会も実施しています。それがうちなりの“地元に全力!”ですね。
──やはり会社設立の経緯からも、こうしたこだわりを持ち続けているんですね。
北川氏:設立の流れがわかる年代の人はともかく、最近の若い皆様にはauとして見てもらっています。なので地元企業として、もっと知ってもらいたい。そんな思いで、“沖縄セルラースタジアム那覇”も命名権を取り、今までは貸しビルに入ってた本社も新たにビルを建てて昨年移転しました。
“地元に全力!”って言いながら、借りている場所に本社があると「こいつらいつか撤退するのか」と思われるかもしれない(笑)なので、沖縄の地にさらに足を付ける意味でもビルを建てました。
場所も、あえて日銀の跡地を選びました。本土復帰でドルから円に変わるときに(交換用の紙幣である)540億円がここの金庫に入った、沖縄の人も思い入れがある場所。なので金庫もエレベーターホールに残し、これからも受け継いでいきたいです。
●客も関係者もみんなトクをしてもらい、長く続く仕組みに
──それが“地元に全力!”のスローガンを表す、取り組みの数々ですね。
北川氏:はい。ただ我々としては、弊社だけが儲かる、メーカーだけがトクをする、という偏っているのはイヤなんですよ。
ステークホルダー(利害関係者)すべてに得してもらい、長く関係をつづけていきたいと思っています。お客さま、メーカーさん、ショップスタッフ、社員、株主のみなさま。どこかが一時的に儲かっても、長くは続かない。なので、それぞれにしっかりと還元して、地元にもっともっと根ざしていきたいと思います。
●取材を終えて
競争の激しい携帯業界で1位を維持し続ける秘訣は、“地元に全力!”というテーマを徹底しているからでしょう。観光のベンチャー事業をはじめ、地元のためにどんどん動いている様子は沖縄県民として誇らしさすら感じます。今後も沖縄セルラー電話の取り組みを取材し、レポートしていきたいと思います!
●関連サイト
沖縄セルラー 公式サイト
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