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地上の基地局が全滅してもケータイがつながるSTICS構想って?

2013年02月08日 13時00分更新

文● 秋山文野 編集●KONOSU 撮影●小林伸

 ソフトバンクは総務省から衛星携帯電話の無線局免許を取得し、“スラヤ衛星携帯電話サービス”を2月下旬以降にスタートさせると発表した。格安のため、グッと身近になると予想される衛星携帯電話だが、現状の日本では、衛星に接続する端末と一般的な地上の基地局に接続する端末は、結局のところ別々に所持する必要がある。

 そんなめんどうなことはせず、ふだん使っているスマートフォンがそのまま衛星ケータイになってくれたら……。そんな理想的なシステム“STICS (Satellite/Terrestrial Integrated Mobile Communication System)”を研究開発する、NICT(独立行政法人 情報通信研究機構)の藤野義之さんにお話をうかがった。

STICS構想

――日本国内で利用できる衛星携帯電話サービスって、現状、どんなものがあるのでしょう?

藤野氏:ドコモは東日本大震災以前から『ワイドスター』(2014年3月31日まで提供)や『ワイドスター2』と呼ばれる“N-STAR衛星(1995年、1996年に打ち上げられた2基の衛星)”を使ったサービスを提供していましたが、コンパクトで使いやすいかというと、そうではなかったと思います。

STICS構想

藤野氏:2012年8月にはドコモとKDDIが『IsatPhone Pro(アイサット フォン プロ)』の取り扱いを開始しましたが、こちらは“Inmarsat(インマルサット)-4”という新しい通信衛星を使ったサービス。Lバンドの1GHz帯の周波数を使った279gという非常に小さい端末で、90度曲げるとアンテナになるというのが特徴です。

インマルサット

藤野氏:そして2月からソフトバンクが始める“スラヤ衛星携帯電話サービス”は、中東を中心に、東は日本など極東域、西はヨーロッパまでカバーするサービスで、震災後に許可がおりて販売することになりました(『SoftBank 201TH』/衛星電話サービスをソフトバンクが開始、国内カバー率は100%)。

SoftBank 201TH

 ちなみに世界で発売されているGPS機能付きのスラヤ端末のなかには、130gの非常に小さいもの(『SO-2510』)もあります。ヘリカルアンテナの部分は、日本の小さなアンテナ会社さんが製作していると聞いていますよ。

――そもそも、衛星ケータイというのはどのような仕組みなんですか? 個人が衛星と直接やりとりするようなイメージなんですが。

藤野氏:もちろん衛星を介して通信するんですが、「もしもし」と呼びかけた通信が、衛星からダイレクトに相手の端末へ届いて「はいはい」と返すものではありません。大きな地上施設が必要で、大きなパラボラアンテナをもつ地上の“地球局“を通じて音声をやり取りするものなんです。

“ケータイ端末(自分)~衛星~基地局~衛星~ケータイ端末(相手)”というパスを通るので、衛星を2回通過する形になります。

 そのため、遅延は、結構大きいのですが、最近は非常に高性能な、大きなアンテナを積んだ通信衛星が打ち上げられるようになりました。衛星のアンテナが大きくなることで、地上のアンテナの負担が小さくなってきたのです。

STICS構想

藤野氏:なぜこういったシステムにしているかというと、通信事業者がきちんとゲートウェイをコントロールできるというのがあるんです。事業者がトラフィックを管理できないと、課金ができないですからですね。

――災害時にも強く、進化した衛星ケータイにも、弱点はあるのでしょうか?

藤野氏:衛星からの電波が届かない屋内では、実は通信が難しいのですよ。最新のスラヤ端末には“デュアルモード”を搭載したものもあって(『XT-DUAL』)、衛星が見えないところでは地上の携帯電話網を使ってくれるのですが、これは、今の日本国内では使えないんですね。なぜなら通信規格が“GSM規格”だからなんです(※2013年1月時点では国内未対応)。衛星は衛星、地上は地上で、別々の周波数を使うシステムですから、あまり有効なものではない。

――なるほど。そこで“STICS 地上/衛星共用携帯”構想が出てくるんですね?

藤野氏:はい。提案しているのは、STICS衛星を使って、非効率だった周波数をひとつにし、地上と衛星を同じ帯域で使いましょう、という話です。このシステム用に考えている周波数は、S帯(2GHz帯)の上り1980~2010MHz、下り2170~2200MHzで、それぞれ30MHzの使用を想定しています。S帯の良いところは一般のケータイの周波数帯域と近いところ。衛星側できちんとつくり込んでおけば、携帯事業者さんがサクッと参入できる周波数になっています。

――周波数を共用することによって、何がよくなるのですか?

藤野氏:まず、端末内部のつくり込みがしやすい。1台の端末に別々の周波数を扱う機能を入れるというのは、結構大変なんですよ。必要となるアンテナの部分や、熱が発生するアンプの部分といったところを、2つ入れないといけないですから。これは、いかに安く、小さく作り込むかというハードウェア開発の障害になります。通信方式に関わる信号処理の部分は、やはり2つの機能が必要ですが、これはあまり大きな体積を必要とするものではないので。

――利用するユーザーにとっては、どんな良いことがあるんでしょう。

藤野氏:非常時の通信がしやすくなります。東日本大震災のとき、ケータイの基地局、1万4000局が停波してしまいました。従来型の通信が不可能になってしまったときに、“衛星でレスキューしましょう”というのがひとつの考え方で、“リソース割り当て最適化技術”を使います。STICS衛星は、直径200km程度となる円形のスポットビーム100個程度で、日本を中心としたエリアをカバーします。更に、使用する周波数帯30MHzを7つの領域(色)に分け、ひとつのビームにひとつの領域(色)を割り当てることで、それぞれの色が干渉しないようにする処理を行なうんです。

STICS構想

↑STICS衛星の構想図。

藤野氏:たとえば、あるところで災害が起きたとします。平時は4.3MHz(全体の1/7程度)を割り当てているんですけれども、その割り当てをコントロールして、非常時は30MHzいっぱいまで広げる。これは、衛星内部をすべてデジタル化することによって、衛星内部の帯域の処理を自由に操作できる、そういう技術をずっと開発してきたから可能になったことです。今までの衛星ではできなかった非常に大きな特色です。

 レスキューのために衛星通信系に非常に多くの人がアクセスするわけですから、“ちゃんとつながる”必要があります。また、衛星通信の遅延があったとしても、なんらかの形で家族など大切な人の“声が聞きたい”、という要求が大きくなりますよね。

――そうですね。ひとことでも声が聞けたら、ホッとしますね。

STICS構想

藤野氏:それこそ料金はともかくとして、そのトラフィックを収容しなければならないし、消防隊やレスキュー隊向けの臨時の回線を確保する必要がでてくる。そういった非常時には、地球局を通さず、衛星とダイレクトで通信できる“衛星折り返し”回線も考えています。ただ、それは採算度外視のものになりますので、公共機関向けといったサービスですね。衛星通信としては両方サービスできるよう考えて、緊急時には対応も考えます、ということです。

――STICSが想定しているのは、“音声通話”のみですか?

藤野氏:
基本は“音声を通しましょう”というのがSTICSの発想です。データ通信の中でも、ショートメッセージや同報通信程度であれば、通らなくもありません。ショートメッセージは、もともと音声通信のサブセットになっていますので、音声が通れば可能なんですね。

 データ通信は、衛星の通信速度の問題があります。音声なら10Kbpsで足りるんですが、地上の感覚で利用するとすぐに1Mbps~2Mbpsを使ってしまうんです。能力の食い合いといいますか、100倍の速度で伝送するには、電力だって100倍必要なんですね。そうなると、ひとりのデータ通信ために、100人の音声のリソースを割かないといけない。データ通信用の機能を衛星に実装することは技術的に可能ですが、“最適な機能はどういうものなのか?”ということを考える必要がありますね。

――衛星のアンテナはどのくらいのサイズになりますか。

藤野氏:スラヤ衛星のアンテナが、開口径12.25メートルアンテナですかね。ほかに今打ちあがっているものでは、22メートルという大型アンテナの衛星もあります。JAXAが打ち上げた技術実証衛星『ETS-VIII きく8号』(JAXA、NICT、NTTが共同開発)は、実開口で17×19メートル。STICS衛星は30メートルの展開アンテナを想定していますから、アンテナ径からいっても世界最大クラスですね。

STICS構想

――地上の端末はどんなものを想定されていますか?

藤野氏:実は、我々は地上用の端末についての開発はしていないんです。以前、『きく8号』に対応する300gの携帯型の端末をつくったこともあるのですが、今回、我々NICTは、“衛星側の必要な技術をきちんと開発します”という役割を担い、端末そのものに関しては、メーカーさんにつくっていただくほうが良いものができると考えています。(専門外の)我々が頑張ってつくったあげくにラック1個ぶんの大きなケータイができて「・・・・・・これを本当に被災地に持っていくんですか!?」ということになるのも、なんですからね(笑)。

(笑)ちなみに“回線数”とすると、実際どの程度の回線が利用できるのでしょう?

藤野氏:“何回線収容できるか”に関しては、まず、地上の電波の干渉の点から考えました。衛星からすると、地上のいわゆる一般のケータイ電話網とは電波干渉を起こすので、ある意味ジャマなものなんです。干渉の程度は送信出力の大きさによって変わりますが、一般のケータイが最大250mWの出力をするうち、どの程度、送信に使っているのかということは、わかっていませんでした。

 その謎を解決してくれたのは、アメリカのライトスクエアードです。干渉はあるけれども、実は思ったより大きくなく、彼らのデータによれば、地上の携帯電話の99パーセントは送信電力1ミリワット以下だった。それならば共存できます。我々が日本国内で測定を実施して、それをもとに行なった最終的なシミュレーションでは、さらに小さい0.3mWだったんです。

STICS構想

藤野:「ここまで低いのは本当なのか?」 という疑問がないわけではないけれど……地上系、いわゆるCDMA方式の端末は、送信電力を制御しているんですよね。最初つながりにくかった3G回線も、エリアを拡充してどこでもつながるようになってきた。それは基地局がいたるところにできて、基地局と端末の距離が縮まってきたからですね。距離が縮まれば、CDMA方式というのは送信電力制御を行ない、送信する電力も少なくてすようになる。バッテリーのもちもよくなるし、良いことが多いんです。電波干渉の程度も小さい。このデータをもとに概算してみたところ、“9000万局”というデータが出てきました。日本でひとり1台もっても、だいたい大丈夫な値ですね。

 次に、衛星側からの検討です。衛星というのはすごく遠いところにあるので、電波の遠い場所に送る場合、たとえ30メートルクラスのアンテナであっても送信電力を大きくしないといけない。1回線あたり0.2ワットくらいの電力を消費するのですが、衛星の電力供給能力の作り込みにもよりますけれど、全体で十数キロワットくらい使うことができる。最終的に、収容局数は“同時通話で1万局”くらいになりそうです。

――STICSはまだ研究段階ですが、どんなふうに実用化、事業化していこうとお考えですか?

藤野:この先どういった人工衛星開発の動きがあるか、という点では、今は非常に混沌としています。この技術がそのまま商用衛星として展開されるのがいちばん良いストーリーではあります。ただ、ビジネスに関してはある程度、先導する必要があるかと思っています。技術試験が必要であれば、国に対して技術試験衛星を要求する、とかですね。そして技術実証をし、その実証を元に事業者さんが使えるものにしていく、といったストーリーもあるかと思います。東日本大震災以降、衛星通信を活用したいという要望も各所からありますので、いい方向には向かうと思います。

――日本国主導となると、日米衛星調達合意(※)のような、横やりがはいる可能性もありますよね?

藤野氏:“スーパー301条”は・・・・・・ひとつの課題ではあるかと思います。アメリカから「衛星を買いなさい」、といわれる可能性もなくはない。似たような地上/衛星共用技術としては、すでに1機打ちあがっているライトスクエアードのSkyTerra衛星というのがあります。これはメインが衛星系で、衛星の電波が届かないところでは地上系で補完しましょうという技術ですね。ほかにもTerreStarの衛星やICOの衛星が似たシステムをもっていると言われています。ただ、これらの会社は“チャプターイレブン(米連邦破産法11条)”を申請して倒産してしまったので、ビジネスとしてちゃんと成り立つのかどうかは、アメリカでもまだ怪しいところはあるのです。

STICS構想

※【日米衛星調達合意
1989年、アメリカ議会で、日本への貿易赤字制裁動議である“スーパー301条”が可決され、その対象分野に人工衛星が含まれた。さらに翌1990年の『日米衛星調達合意』では、日本政府が実用人工衛星を調達する場合、国際競争入札を行なうことが義務付けられることとなった。経験豊富な米宇宙産業が参加することは、日本の宇宙産業にとって著しく不利となり、結果として、日本では影響を受けない科学衛星、または新規開発要素が多い技術試験衛星開発が中心となり、信頼性の高い“輸出できる”衛星技術を育てることが困難になった。合意は現在でも撤廃されておらず、未だに発動の可能性があるため、日本の産業界は明確な撤廃を求めているといった歴史がある。

藤野氏:また、アメリカの企業では、こういった倒産した衛星通信サービスを買収する、Dish Networksのような企業もあります。 彼らは「衛星を買った」という言い方はしなくて、「S帯の20MHzの帯域を買った」という言い方をします。これはつまり、衛星をもってさえいれば地上系のサービスが可能となり、許可をFFCに申請しているとのことです。地上系に参入したい場合に、まず先に衛星を買って周波数を押さえ、その後、地上のサービスに参入するといった魂胆です。こういう事業者がいろいろ法の網をかいくぐって……とあまり言ってはいけないですが、さまざまな動きがある。

 では、こうした思惑で参入する会社が、災害時に本当に使える衛星系のサービスをしてくれるのかということに関しては、疑問がありますね。そうならないように、うまくコントロールして技術を展開してもらう。それがNICTのミッションでもあるのです。そして、総務省にきちんとやっていただく必要もある。特に周波数がらみの話は、総務省にお願いするという話にせざるを得ない部分ですから。

――なるほど。日本の回線事業者はどうでしょう? どこでもつながる衛星携帯サービスは、基地局という“資産”の価値を下げてしまうため、消極的だという話も聞きましたが。

藤野氏:昔はそうだった、というほうが正しいかもしれませんね。実際に基地局1万4000局が停波する、ということがあった後ですから。STICS衛星は、いざというときのバックアップ手段でもあるわけですし、震災以降は、そのあたりの考え方も結構変わってきたと思っています。資産価値よりも、動かなくなった場合にどうするか、ということを考えるべきときかもしれません。もちろん、「うちの基地局はバッテリーのバックアップも完璧で、停波はありえない」という考え方もあるでしょう。生き残った基地局の電力を大きくして、少しでも収容できるようにするといった取り組みもあるようです。

STICS構想


――実現にあたっては国際的な調整が必要になりそうですね。

藤野氏:ハードルは技術よりも、制度的なものです。その周波数で、“誰が”、“どういうイニシアチブをとるか”といった問題のほうが大きいと認識しています。

 ひとつには、日本、中国、韓国といった国間の問題があります。静止衛星を一機3万6000キロメートルのかなたに打ち上げると、静止衛星からすると国境がないんですね。中国で見える衛星、韓国で見える衛星は、日本でも見える。ですからきちんと区分けしないといけないことになる。その区分けをどういう具合にするか、という話も国際機関(ITU)などの場できちんとしないといけない。ただし、いちばんヘタなやりかたというのは、システム用に考えている周波数2GHz帯の30MHzを“ここからここまで日本”、“ここからここまで中国”という考えで分割してしまうことです。分割すると周波数を有効に利用できなくなってしまう。

 我々が考えているのは、全体のうち、あるビームと周波数を衛星用にし、残りを地上用にします、という方法です。理論的には周波数の利用効率を2倍まであげることができる、と考えています。そのことによって、日本も、韓国でも2倍の効率で使えます。このためには、事業者や国どうしの関係の問題をきちんと解決する必要があると考えています。

STICS構想

藤野氏:もちろん、韓国や台湾の研究機関から「いっしょにやろう」という話はあります。1機、衛星を打ち上げれば、韓国からでも中国からでも見えるし、電波も出るんですね。そこをちゃんと調整して、打ち上げていいですよ、というようにするのはなかなかたいへんですが、韓国も日本もどちらもハッピーになるような衛星にすべきだと思っています。

STICS構想
STICS構想

↑東京・小金井市内、NICT 情報通信研究機構内にあるSTICS衛星の搭載機器試験。定点カメラから取り込んだ映像データを繰り返し送受信する試験を行なっている。実際の搭載機器は、もう少し小型化されるとのこと。

藤野氏:衛星系のサービスは、日本がかなり技術面でリードしています。韓国からは「衛星はお願いします、地上は韓国がやります」という協力の打診もあるのですが、地上系の経済効果のほうが比較にならないほど大きいので、日本の国益として考えると、日本にとって不利になる。かといって、日本のキャリアさんや、メーカーさんが一枚岩というわけでもないので、なんとも言いようがないところではありますが。

 標準化の場でも、韓国はかなり頑張っているのですから、衛星に関してやる気があるのならば「いっしょにきちんとやりましょう」と呼びかけたいですね。同時に、日本の衛星と、それに伴う地上のケータイ端末が、アジア太平洋のスタンダードになるような世界にしたいなと思っています。そのために研究開発をしているところです。

――なるほど。今日は貴重はお話をありがとうございました。

 本記事は、週刊アスキーの新連載『2013年宇宙の旅 ~宇宙をちょっと知っちゃうコーナー~ 』に掲載したインタビューの全文記事です。週刊アスキーでは、毎週、知っているようで知らない宇宙の知識を、優しく読み解いていきますので、ぜひそちらもお楽しみください。

■関連サイト
NICT-独立行政法人 情報通信研究機構
衛星電話サービスの提供について
文部科学省:我が国の宇宙開発史 > 日米衛星調達合意

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