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【スーパーボウルまで追いかけ隊】キッカーはつらいよ、その脚に人生を懸ける男たち

2011年12月09日 10時30分更新

 フットボールのオフェンスが得点を挙げる方法は2つ。タッチダウン(TD)とフィールドゴール(FG)です。ふだんは「ああ、FG どまりかあ」と残念がられる FG ですが、僅差の試合終盤では勝敗を賭したキックを蹴る場面も珍しくありません。

 今週は、FG を巡る戦略で明暗が分かれた試合がありました。FG を成功させてヒーローになるか、それとも外して戦犯扱いされるか。一瞬のプレーにキッカーたちは、人生を懸けているのです。

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2005年のアメリカンボウルにて、キッカーのマイク・ヴァンダージャット(コルツ)が FG を蹴る瞬間。ホルダーがボールを置く一瞬を狙って蹴るため、高い集中力が要求される。

●NFL第14週トピックス●
カウボーイズがサヨナラ機を逸して、延長戦でサヨナラ負け
Arizona Cardinals 19 - 13 Dallas Cowboys

 今季7勝4敗で NFC 東地区の首位を走るカウボーイズは、4勝7敗と不調のカーディナルスと対戦。格下を叩いて首位固めをするはずが、カーディナルスのホームで2連敗しているカウボーイズはこの日も拙攻が続き、試合を通じて TD はわずか一本に抑えられます。

 第4Qにはカーディナルスに同点の TD ランを許し、試合は終盤に。残り時間 31 秒からのプレーでカウボーイズは、QB トニー・ロモが WR デズ・ブライアントに 15 ヤードパスをヒットし、敵陣32ヤード地点まで前進。ボールをスパイクして時計を止め、サヨナラ FG を狙います。

 キッカーのベイリーが FG を蹴ろうとした瞬間、カウボーイズのジェイソン・ギャレット ヘッドコーチはタイムアウトをコール。ベイリーが蹴った FG はゴールポストのあいだを抜けますが、タイムアウト後のプレーなので無情にもキックは無効となってしまいました。

 ベイリーはあらためて FG を蹴るものの、今度は外してしまい、試合は延長戦に。攻撃権を得たカーディナルスは8プレー後、自陣 48 ヤード地点から QB コルブが RB ステファン=ローリングにスクリーンパスをヒット。これがキレイにハマり、次々とディフェンダーを交わしたRB ステファン=ローリングが 52 ヤードを走り切り、サヨナラ TD で試合終了となりました。

 カウボーイズのギャレット ヘッドコーチは、タイムアウトを掛けた理由について、プレークロックが残り6秒まで迫っていたのに FG ユニットがまだバタついていたと説明。そのままだとディレイゲーム( 5ヤードの罰退 )を取られる恐れがあったので、タイムアウトで仕切りなおそうと考えたのだそうです。

FG は成功よりも失敗のほうが語り継がれる

 同じ週に、全勝街道をひた走るパッカーズは終了3秒前、キッカーのメイソン・クロスビーが決勝 FG を決め、38-35 というハイスコアゲームをものにしています。

 この試合では、パッカーズ最後のドライブでマッカーシー ヘッドコーチはキックリターナーの WR ランドール・コブに対し、「オフェンスに時間を残すため、キックオフがエンドゾーンまで飛んだ場合はリターンしてはいけない 」と厳命していました。

 このように FG でサヨナラ勝ちという試合は少なくないのですが、記憶に残るのはむしろ、FG 失敗での負けかもしれません。

 NFL でおそらく最も有名な FG 失敗は、1990年シーズンの第 25 回スーパーボウルでしょう。ビルズ 19-20 ジャイアンツの1点差で迎えた終盤、ビルズは自陣 21 ヤードから攻撃を開始し、敵陣 29 ヤードまで迫ります。

 この時点で残り時間は8秒。試合の行方はビルズのキッカー、スコット・ノーウッドの右脚にたくされます。K ノーウッドは1988年シーズンにはオールプロにも選ばれた名手。47 ヤードの FG アテンプトは、 49 ヤードの自己記録をもつ彼にとっては、外せないはずのキックでした。

 スタジアム中の観客と、テレビの前の視聴者が固唾を飲んで見守るラストプレー。ノーウッドの蹴った FG は、蹴った瞬間に外れたとわかるほどに右にそれます。名実況アナのアル・マイケルズはそのキックを見て「 No Good !  Wide Right !」(失敗! 大きく右に!)と絶叫。そのためかこの試合には「 Wide Right Game 」というニックネームがついたほどです。

※英語版 Wikipedia には「Wide Right」という項目があるほどです。

 結局ジャイアンツは逃げ切り勝ちを果たし、いっぽうのビルズはこの年からスーパーボウルで4連敗を喫します。この4連敗は最初のジャイアンツ戦を除いては大差で決着しており、ビルズに勝つチャンスがあったのは唯一、この第25回大会だったと言われています。まあ結果論に過ぎないんですけどね。

 さて、FG を失敗してしまった K ノーウッドは、その名前とFG 失敗をもじって「スコット・ノーグッド」というありがたくないニックネームで呼ばれることになりました。試合翌日には地元バッファローの空港で、ファンから「We Love Scott!」と暖かく迎え入れられましたが、結局は翌シーズン限りで引退しています。

サヨナラ FG で男を上げたケースも

 そのいっぽうで、スーパーボウルで決勝 FG を決めた選手もいます。実は、スーパーボウルでサヨナラ FG を蹴った選手はひとりしかいません。それはペイトリオッツの K アダム・ヴィナティエリ( 現コルツ )です。

※コルツが勝った第5回大会も実質的には FG で決していますが、FG 後にまだ4秒残っていたため、カウボーイズが最後に1プレーだけ行なっています。ちなみに結果はインターセプトに終わりました。

 最初のサヨナラ FG は、ラムズ絶対有利と言われた第36回大会で、そして2回目はペイトリオッツ優勢と言われながらパンサーズ相手に最後までもつれた第 38 回大会です。

 K ヴィナティエリは第36回大会では 48 ヤード FG を成功させ、第 38 回大会では 41 ヤード FG を成功させています。とくに前者は、ビルズのノーウッドが失敗した 47 ヤードとほとんど同じ距離だったことから、FG を蹴る瞬間の盛り上がりにはすごいものがありました。

 ちなみにこの試合も、Kノーウッドが FG を失敗した時と同様に、名実況アナのアル・マイケルズが担当していました。マイケルズは FG の瞬間を無言で見守り、成功を確信してから「 Adam Vinatieri, what he was longing for 」( アダム・ヴィナティエリ、これぞ彼の望んでいたもの=サヨナラ FG )と静かに実況したものです。

 ただヴィナティエリの場合、ノーウッドとは大きく違う状況がありました。それは、いずれの試合でも試合は同点だったというところです。もし自分がキックを外しても、その時点で負けになることはなく、プレッシャーの大きさがノーウッドとは違っていたんですね。

 また第36回大会に関しては。ヴィナティエリのキックそのものよりも、残り時間1分30秒でタイムアウトなしの状況から、冷静にドライブを進めた QB トム・ブレイディのほうが、サヨナラ勝ちの立役者として記憶されています。

ドラフト1巡で指名されたキッカーも

 このように、ときには大きな注目を浴びるキッカーですが、基本的には地味なポジションとして認識されてもいます。大学時代に好成績を挙げた選手でも、ドラフトでは下位で指名されるのが精一杯。ドラフト外入団の選手も少なくなく、サラリーも NFL の選手としては低めです。

 ただ、なかにはその実力から高い順位で指名される選手もいます。NFL の歴史においてドラフト1巡指名を受けたキッカーはわずか3人。そのうちチャーリー・ゴーゴラック( 1966年、レッドスキンズ )とラッセル・アールベン( 1979年、セインツ )はいずれもプロ生活6年で、さほど活躍したとは言えませんでした。

 いっぽう、いまこの瞬間に名キッカーとして活躍している選手がいます。その名はセバスチャン・ジャニコウスキー。レイダーズが 2000 年にドラ1指名(全体17位)した、おそらく現時点でリーグ最高のキッカーです。

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ドラフト1巡で指名された史上3番目のキッカーとなった、レイダーズのセバスチャン・ジャニコウスキー。自己記録の 63 ヤード FG はリーグタイ記録でもあり、60 ヤード超を2本以上成功させたキッカーはジャニコウスキーただひとりだ。

 ポーランド出身のジャニコウスキーは、母国では U-17 チームに選出されるサッカーの名選手でした。高校生の時に親の米国移住に伴って渡米し、英語はほとんどしゃべれませんでしたが、編入したオレンジウッド・クリスチャン高のサッカー部では5試合で15ゴールの大活躍を見せ、チームを州の決勝まで導いたのです。

 彼は同時にフットボールでキッカーも務め、50ヤード超の FG を決めて一躍注目されます。フロリダ州立大学からスカラシップを得て、ジャニコウスキーはフットボールのキッカーとして生きていくことを決意します。

 大学でも通算 324 得点( 同校で3位の記録 )を挙げ、3年生終了時にドラフトにエントリー。1年早いプロ入りを決意したのは、ポーランドから母親を呼び寄せるのが目的でした。

 プロ入り後も今年9月にリーグタイ記録となる 63 ヤード FG を成功させるなど、ジャニコウスキーはキッカーとしてトップクラスの成績を挙げます。そして今年、レイダーズと4年間16ミリオン(うち9ミリオン保証)という、キッカーとして史上最高の契約を結ぶに至ったのです。

今年のスーパーボウルでキッカーは注目されるか?

 そのジャニコウスキーはプロ3年目に第37回スーパーボウルに出場。ただこのときは FG の機会が1回しかなく(40ヤードを成功)、3回の TD ではいずれもトライ・フォー・ポイントで2点を狙ったため、PAT は一回も蹴っていませんでした。

 今年のレイダーズは AFC 西地区でブロンコズと7勝5敗で並んでおり、まだ地区優勝を狙えるポジション。ただプロボウルを勝ち抜いてスーパーボウルに進出するのは難しそうです。

 いっぽう、スーパーボウル進出の最有力候補とされるパッカーズでは、プロ5年目のメイソン・クロスビーがキッカーを務めています。さほど有名とは言えないクロスビーですが、彼がコロラド大学時代に決めた 58 ヤード FG は、海面レベルでの NCAA 記録なのです。

※米国には標高 1600 mのデンバーなど高地のチームが少なくないことから、FG 記録も海抜の高さで評価される。空気が薄い高地のほうがキックは遠くまで飛び、FG も決まりやすくなる。

 そのクロスビーはこれまで、試合を決する場面で5回 FG を蹴っており、その結果は2勝3敗。成功した2試合は彼にとってのデビュー戦、そして先週のジャイアンツ戦なのでした。その間の4年半は、K ノーウッドのように落胆を続けてきたのです。

 もしかしたら来年の2月5日、Kクロスビーはドーム球場のルーカスオイルスタジアムにおいて、スーパーボウルの決勝 FG に臨んでいるかもしれません。パッカーズファンの筆者としてはそんな冷や汗ものの展開はゴメンですが、ファンにとっては手を汗握る瞬間になるかもしれませんね。

今週の余談

 脚力で勝負するキッカーやパンターには、NFL には珍しい外国籍の選手が少なくありません。ポーランド出身のジャニコウスキーもそうですし、パンターではチャージャーズで活躍したダレン・ベネットがオーストラリア出身として有名でした。

 ベネットはオーストラリアン・フットボールの名選手として 12 年間活躍。74試合で215ゴールを決め、キックの名手として知られました。オーストラリアン・フットボールはラグビーやアメフトと同様のコンタクトスポーツで、ベネットはケガにより選手を断念します。

 しかし、キック・パントのみでも選手としてプレーできる NFL では、ベネットのケガは障害になりませんでした。1993年に新婚旅行でカリフォルニア州を訪れたベネットは、チャージャーズでトライアウトを受けます。

 ここで好感触を受け、1995年には NFL ヨーロッパのアムステルダム・アドミラルズに所属。十分な実績を積んで、同年からチャージャーズの正パンターとして活躍することになるのです。

 196cmの巨体から繰り出すパントは抜群の飛距離を誇り、この年にはいきなりプロボウルに選出。通算11年間 NFL でプレーし、1990年代のオールディケイドチームに選出される活躍を見せました。ベネットは高卒でプロ入りしたため、NFL 入りした時でまだ 30 歳。パンターとしてはまだ十分活躍できる年齢だったこともプラスに働いています。

 そのベネットがプレーしていたオーストラリアン・フットボールではパスが禁じられており、キックかパンチでボールを進め、得点はキックでゴールポストのあいだにボールをとおすことで得られます。

 そのキックには目的に応じていくつかの蹴り方があり、なかでも“チェックサイド・パント”はユニークです。これはボールの側面を蹴って積極的に回転をかけるもので、サッカーのバナナキックに似ています。

 このチェックサイド・パントは、アメフトのパントにも応用が可能です。とくに、短めでフィールドの隅を狙う際には有効な蹴り方になります。これを得意とするのが、現在レッドスキンズでプレーしている P サブ・ロッカや、カウボーイズの P マット・マクブライアーです。

 この2人はロッカがまさにオーストラリアン・フットボール出身で、マクブライアーも高校時代はオーストラリア在住でした(大学はハワイ大学)。ちなみにサブ・ロッカは33歳でイーグルス入りしており、これは NFL で最も年齢の高いルーキーという珍記録になっています。

■筆者 カゲ■
週アスの芸能デスクかつ NFL 担当。日テレ水曜深夜の NFL 中継でフットボールにハマり、1996年シーズンから現地観戦を開始(その試合でダレン・ベネットを見ました)。これまでレギュラーシーズンはファンとして 15 試合、取材では3試合を観戦。スーパーボウルは第40回大会から6回連続で取材している。好きなチームはグリーンベイ・パッカーズ。QBアーロン・ロジャーズが初めて公式戦に出場した瞬間をこの目で見たのがジマン。なお週刊アスキーは、専門誌を除く日本の雑誌メディアでは唯一、スーパーボウルを現地取材しています。

(了)

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