2010年9月に打ち上げられた、日本初の準天頂衛星初号機”みちびき”。このみちびきから送られてくるGPS信号を利用した、大規模な実証実験が北海道網走市の博物館 網走監獄で10月14~17日に行なわれた。実験を主導したのは、ソフトバンクモバイルと、衛星測位利用推進センター(SPAC)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)。
今やスマホでも日常的に使われるGPS機能。網走監獄でいったい何を実験するのか見極めるため、北海道へ行ってきたので、その模様をレポートする。
↑大正13年に建造された赤レンガ造りの正門を移築。厳めしい展示が並ぶ、独特の雰囲気の屋外博物館。 |
“博物館 網走監獄”とは、明治23年に開設された網走刑務所の前身“網走監獄”の歴史的施設を移築した屋外施設。赤レンガの正門を通ると、東京ドーム3.5個ぶんの広大な敷地に、獄舎や囚人が実際に作業した農場のようすを展示している。
まず、日本の測位衛星“みちびき”についておさらいしておこう。
(C)永野雅子 |
GPSは、衛星から届くいくつかの信号を組み合わせることで位置を測定している。これまでは米国衛星から送られてくる信号を借りて利用していたが、日本の真上に位置する衛星ではないため、ビルの谷間や山間部では電波が届かないことが多くあった。みちびきは日本~インドネシア~オーストラリア上空を8の字に回る独特の軌道を描いており、1日のうち8時間程度は日本のほぼ真上(準天頂)にくる。そのおかげで、米国の衛星では足りない信号を補う“測位補完”が可能になり、日本のどこにいてもGPS信号をより確実に受信できるようになる。
(C)永野雅子 |
加えて、GPS衛星とは方式の違う測位信号も送信できる機能を搭載している。これは、従来、平均10メートル程度と大きかった誤差を、1メートル以下、さらには数センチメートルまで低減できる”測位補強”の役割も併せもつ。実は今回の実験の目的は、この補強信号のひとつ“L1-SAIF”の実証にある。測位精度をサブメーター級(誤差1メートル以下)に高める機能で、これが受信できれば、より正確なパーソナルナビゲーションが可能になるという。ただし、測位補強信号は、みちびき独自の機能であり、現在はまだコンシューマーが利用できる民生用の受信機は販売されていないため、もっと地上での利用実験を重ね、実用的な環境を作り上げる必要がある。
ちなみに人工衛星からの測位信号は、屋内の場合、建物にさえぎられて測位ができない。点在する展示施設を出たり入ったりする網走監獄のような施設では、屋外の位置情報と、“どの展示施設内に入り、何の展示の前にいるのか”という建物内の情報とが、シームレスにつながる必要がある。そこで、測位信号と互換性をもち、屋内での位置情報を送信する新しい信号形式“IMES”の実験も同時に行なわれた。IMES信号自体は、建物の階数表示にも対応している。実用化されれば、ユーザーの位置が“何階のどの部屋”までナビゲートできるようになる技術だ。
↑扉の上に置かれた、IMES信号の送受信機。電源などは必要だが既存の建物に後付で設置できるので、屋内測位のサービスを後から用意することも可能だ。 |
つまり今回の実験では、「屋外での測位信号はすんなり受信できるか?」、「建物に入ったら屋外/屋内の切り替えはできるか?」、「屋内では構内案内が有効に利用できるか?」を、すべて確かめようというのである。
実験に用意された機器は、以下の3つ。
●L1-SAIF・IMES受信機付きPDA
●PDAからの信号をiPhoneに送信するポケットWiFi端末
●アプリ『ふらっと案内』がインストールされたiPhone 3GS端末
みちびきからのL1-SAIF・IMES信号の受信機は、SPACが主導して開発、準備したもの。SDカードスロットを利用する外付け型で、PDAに装着して使う。今回の実験だけでなく、日本全国の研究機関で行なわれている準天頂衛星の利用実証に使われているものだ。L1-SAIF形式の信号というのは、電子航法研究所(ENRI)が主導して開発した信号形式である。SPACはさらに測位可能になるまでの時間を短縮する“L1-SAIF+”技術を導入している。
↑SPAC主導で開発したL1-SAIF・IMES受信機搭載のPDA。衛星の位置を表示するメニューでは、みちびき(赤丸)がほぼ天頂に近い位置にいることがわかる。他の表示はGPS衛星。GPS衛星のみの場合、数が多くても仰角(地上から見た衛星の角度)が低すぎるとうまく測位できない。 |
屋内で利用する測位信号、IMES方式は、今年メーカー推進団体IMESコンソーシアムが発足し、東京都内で利用実証を行なうなど、開発が進められているもの。GPSと互換性のある信号形式のため、既存GPS受信機のファームウェア改修などで対応することができ、屋内測位技術の方式として有望視されている。これらの2つの信号はPDAで受信後、WiFiを通じてiPhoneに送信される。なぜこんなめんどうな手順をふむかというと、現在市販のGPS受信機は、みちびきを知らない(GPS受信機チップに登録されているGPS衛星番号のリストの中にみちびきは含まれていない)ため。対応受信機チップを搭載した製品が登場するまで、みちびきを利用することはできないからだ。
↑人気アプリ『ふらっと案内』。エリア情報のほか、近隣Wi-Fiスポットやランドマークのほか、駅などを検索する機能もある。クーポンがある店舗も探せる。 |
『ふらっと案内』(iPhone用/Android用)は、すでに多くのファンがいるアプリで、GPSで取得した位置情報に合わせ、近くの観光施設やレジャー、グルメガイドを表示するというもの。実験に合わせ、現在地として網走市付近を認識すると、“網走監獄体験スタンプラリー(みちびき用)”という特別メニューが表示された。全部で20ヵ所設定された博物館内のチェックポイントに近づくと、デジタルスタンプが取得できるというもの。20個のスタンプをうまく集めれば、特典の“出獄許可証”をもらえる。
パーソナルナビゲーションはいずれユーザーが使うものなので、より実利用に近く、なじみやすい方法で実験しようということもあり、15日、16日の2日間、実験は市内小中学校の児童生徒と保護者40組、東京農大オホーツクキャンパスの大学生40人を招いて行なわれた。実験日のみちびきは、午前中で仰角45度程度、午後は80度以上の好条件の位置。はたして衛星からの信号は無事に参加者を導いてくれるだろうか。
初日は大学生チームから。
受信機セットを片手に、約1時間にわたって敷地をめぐる学生たちだが大苦戦。測位信号をうまく受信できず、現在地が海外になってしまったり、そのため、ふらっと案内アプリがうまく動作しないというケースが多発。
↑レンガ造り独居房施設の前でスタンプをチェックする東京農大の学生チーム。この程度にチェックポイントに近づけばスタンプ取得ができるはずだが、測位がうまくいかず苦戦する場面も。1~2歩移動すると条件が変わったりする。ちなみにオレンジ色のはっぴは、今回の実験参加者用に、囚人服を模して用意された。 |
また、チェックポイントに近づく→デジタルスタンプの取得画面が表示される→取得ボタンをタッチ→iPhoneがフリーズ、というトラブルが続出し、スタンプをためるところまでたどり着けないのだ。午前中はどのチームも、iPhone再起動に追われ、スタンプ取得は20個中、4つ前後という結果に終わった。
午後には、小中学生チームが挑戦。
↑市内小中学校の児童生徒40組も参加。iPhoneの扱いに子供たちが迷わないのはさすが。 |
宇宙や天文好き、スタンプラリー好きとさまざまなタイプの子供たちが集合。アプリの扱いにはすぐに慣れ、iPhoneそのものの扱いには特に苦戦していないようだ。午前よりも受信条件が整い、チェックポイントから少々離れていても、IMES送信機からのスタンプ取得ができるようになった。とはいえ、やはり午前と同様のトラブルが続出し、スタンプを取得できたのは20個中半分以下。
↑『ふらっと案内』に用意されたデジタルスタンプラリー。20ヵ所のチェックポイントに近づいて測位信号を受信すると、デジタルスタンプが取得できる仕組み。 |
2回の実験を終え、実験スタッフらは、不具合を起こすのは屋外から屋内への測位切り替えがうまくいかないためと判断したようだ。スタンプ取得のキーになるのは、指定の展示に近づいてIMES信号を受信できたときだが、この信号のキャッチが実にシビアで、十分近づいたと思ってもうまく展示を認識できなかったりする。それでいて、1、2歩移動すると認識したり、障害物競走のようなスタンプラリーである。
↑参加者……ではなく、博物館のろう人形です。 |
↑iPhoneを片手に、興味深く博物館を探索する小学生、とお父さん。 |
2日目は、初日の結果を踏まえてスタッフが実験機器をチューニング。スタンプ取得時のアプリ誤動作が減り、小中学生チームではスタンプコンプリートが出る結果となった。
↑放射状の獄舎を移築した展示『五翼放射状平屋舎房』にて。独房の展示案内を見る東京農業大学オホーツクキャンパスの大学生、と、ふんどし一丁の脱獄囚。 |
午後の大学生チームは、屋外、屋内の切り替えもスムーズに動作。Googleマップを利用したマップ上で、現在地が建物内のどの位置なのかを忠実に表示したときには、ちょっとした感動が!! 大学生チームの中にも十数個のスタンプを集める人が出現。展示案内もスタンプラリーメニューの中に表示されるようになっているため、実際に展示を見て歩く余裕が生まれていた。ただし、空気のようにユーザーになじむシームレス測位の実現にはまだまだ改善が必要だろう。しかし、今回の実験で問題点を洗い出すことができたということであれば、本来の目的は達成したことになる。
↑こっちは悪いことして捕まって封筒をつくっている人(ろう人形です)。 |
↑明治45年に建造された庁舎にて、看守の展示の前で展示情報とスタンプをチェックする大学生。 |
すべての日程を終え、実証実験を主導したソフトバンクモバイルの永瀬氏は、実利用に即した実証実験ができ、子供たちがスタンプラリーを十分楽しんで参加したことを受けて「コーディングだけでは作れない、技術に命を吹き込んだ結果」と自信を見せた。
測位信号受信器開発にあたったソニー、IMES信号対応機器開発を進める日立の技術者は、「受信機をはじめとする機器のふるまい方に想定と違う部分があった。今後、コンシューマー向けの製品を各社がバラバラにつくると、ユーザーが戸惑うようなものができてしまうかもしれない。せっかく生まれたIMESコンソーシアムという枠組みを生かして、メーカー共通のガイドラインの上に製品を開発していけるとよいのではないか」と今後の課題について語った。
↑JAXAからは、みちびき開発チームの明神絵里香氏が講演し、衛星を使った測位の仕組みなどを解説。手がけた衛星が実際に地上での実利用を踏まえた実証実験を行なうことになり「とてもうれしい」とのこと。 |
日本では、24時間体制での受信実現を目指し、2010年代後半をめどに、合計4機の衛星整備を進める“準天頂衛星計画”が進められている。しかしながら、整備の計画は立ったものの、中国が今後打ち上げを進める測位衛星計画“コンパス”との競争にさらされているのも事実だ。屋内測位の技術ではまだ世界で主導権を握った方式はないため、どの国よりも早く屋外/屋内シームレス測位の技術を確立し、アジア圏でのサービス提供ができるよう、スピード感のある開発が求められている。
コンシューマー利用を想定したこうした実験が進み、より充実したナビ環境や観光案内が利用できる日を楽しみに待とう。週刊アスキーでは引き続き、GPS衛星の動きに着目し、伝えていくつもりだ。
↑おまけの囚人サービスショット(全員ろう人形です)。 |
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