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平成の終わり、デジタル最大のトピックはやっぱりネットでしたよね。

2019年04月12日 09時00分更新

文● 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)

ネットワークがコンピューターの意味を変える

1989年2月28日発表の富士通FM TWONSの記事(『月刊アスキー』1989年4月号)。富士通は『NETTOWNに市場を築け』(ダイヤモンド社)などを読んでもコンセプトワークをかなりやっていていま読んでもそれほど陳腐化した内容ではない。

 平成元年(1989年)はIT業界にとっては割と大きな区切りになる年だった。私は、『月刊アスキー』の編集部にいて毎週パソコンやデジタル界隈のトレンドを追っていたわけだが、1989年は、次の3つの製品に代表される年だと思う。

2月 富士通 FM TOWNS
4月 任天堂 GAME BOY
6月 東芝 J-3100SS Dynabook

 1989年早々発表された富士通「FM TOWNS」は、世界で最初期に標準でCD-ROMを搭載したPCの1つ。つまり、日本はこのあと「CD-ROM」ブームが巻き起こることになる。1993年頃をピークに、秋葉原に、本屋さんみたいにCD-ROMの専門店までできた。

 4月には任天堂より『GAME BOY』が発売。小型カラー液晶は出てきていたが、1万2500円の価格優先でモノクロ液晶搭載。その一方、対戦プレイが可能、ヘッドホンはステレオだった。ゲームウォッチの生みの親である横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」というコンセプトをそのまま形にしたような製品といえる。

 そして、東芝がJ-3100SS Dynabookを6月に発表、7月に発売する。A4ファイルサイズ、19万8000円はインパクトがあった(CPUは貧弱とはいえパソコンは本体だけで40万円が当たり前の時代である)。同年10月、日本電気がPC-9801Nを発売。日本にノートPCブームが到来。日本はこれでWindowsの普及が遅れた可能性がある(MS-DOSはむしろ宣伝文句だった)。

T1100、T3100と海外で実績を作った東芝が、国内でJ-3100シリーズを展開。J-3100SSは、鈴木亜久里のテレビCMも注目された。

 平成は、こんな感じではじまったわけだが、これら3製品は、メディア性、パーソナル性、モバイル性というあたりで、それまでのデジタルとは少し違う傾向を示す製品だったと思う。そして、この1989年には、これらハードウェア製品とは違ったより大きな動きもあった。

 その動きとは、「インターネットの商用化」である。

 JPNIC(日本ネットワークインフォメーションセンター)の「インターネット歴史年表」にしたがえば、1989年「世界初の商用インターネット接続サービス提供事業者(ISP)である、PSINetが設立されました」とある。さらに、「HTMLの概念が初めて提案される」とある(文字だけだったネットを画像やリンクもあるWebの世界に変えることになる)。

 現在のネットに繋がる決定的な動きが、この年に期せずして起きているのである。

 私が入社した1980年代なかばの月刊アスキー編集部には、プラズマ搭載の端末が設置されていた。「ascwide.ascii」というドメインのメールアドレスを与えられて名刺にものせていたが、当時は、メールは商用には利用しないことになっていた。それが、やがて外資系メーカーなどからはメールで情報をいただくようになった。

 しかし、この「ネットの商用化」はユーザーにとってはあくまで年表上のことである。ここから、すぐにインターネットが人々にどんどん使われるようになったわけではない。

 1990年代前半には、日本でもパソコン通信を楽しんでいる人たちはたくさんいたし、社内LANもごく普通の話題になっていた。米国では、クリントン政権のゴア副大統領が「情報スーパーハイウェイ」構想を提唱したのもその頃ではある。つまり、コンピューターネットワークの価値が十分に認められていた時代ではある。

 しかし、有名な逸話としてマイクロソフトのビル・ゲイツCEOが、Windows95の出荷後すぐにインターネットの必要性に気づいたという話がある。ビル・ゲイツにしてそうなのか? とも思えるが、当時の感覚では遅れていたわけではない。

 その証拠に、世の中が「eコマース」とただ騒ぎたてているときに、彼は「eコマースとは電子商取引のことではない。いままでになかった新しい売り手と買い手の出会いのことだ」と英国の経済誌で喝破している。そのヤバさに気づいたというわけなのだ。

 1995年頃のようすがよくわかる資料を広告部長がスキャンしていてあるときそれをもらった。1995年11月に、Windows95の日本語版がでたばかりでこれからのパソコン業界はこれからどうなるのか? という取材をあるビジネス誌から受けたのだ。20年以上も前のものなので以下に引用させてもらいたい。

たしかデジタル業界の今後を20人くらいの業界人に丁寧に聞いて回ったなかなかいい記事だった。

  (前半略)96年のデジタルの世界の動きをどう見るか。

 「ウィンドウズ95が成功したことでパソコンの世界では大きな流れはほぼ決まった。パソコン市場は'96年も大きく伸びる。その主流となるOSは、やはりマイクロソフトのウィンドウズ95、CPUはインテルのペンティアムというウィンテルの組み合わせ。マッキントッシュは一般のマスコミが騒ぐほどではないが、押されぎみになる」

 「新しいビジネスを考える人は、むしろパソコンよりも通信関係に注目しなければいけない」と遠藤は言う。この分野では、インターネットのWWWサーバーのように、誰も知らなかった新しい技術が一気に世界的に普及する可能性が大きいからだ。この分野ではベンチャー企業でもマイクロソフトやインテルを出し抜くチャンスがある。

 「日本ではPHSの登場をきっかけに移動体通信が急速に伸びた。これは外出先でPDAやパソコンを使うモバイルコンピューティングの前提になる。インターネットもWWWブラウザ上で3D画像表示ができるようになるなど機能拡張が進む。ただし、通信の新技術が普及するには通話料の大幅値下げが必要」(遠藤)。

 遠藤は、PDA関係のほか、次世代のWWWブラウザでネットスケープが使うと決めたサン・マイクロシステムズのJava言語が「要注意」とみる。

 業界的には、もちろんネットやモバイルを見ていたが、世の中の意識がそちらに移るのは1996年以降のことなのだ。そして、コンピューターは、ネットワークによって意味が変わっていくというのが私の持論である。1999年には、モバイルインターネット(iモード)がやってきて、2000年代なかばには、動画配信やソーシャルメディアがきた。やがて、クラウドコンピューティングが来て、2007年には、iPhoneが登場する。2010年代の後半のいまは機械や人工知能がネットを使う時代が訪れている。

 ここで平成から令和と区切るのは分かりやすくていいタイミングなのかもしれない。

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。月刊アスキー編集長などを経て、2013年より現職。雑誌編集のかたわらミリオンセラーとなった『マーフィーの法則』など書籍の企画も手掛ける。アスキー入社前には80年代を代表するサブカル誌の1つ『東京おとなクラブ』を主宰。現在は、ネット・スマートフォン時代のライフスタイルについて調査・コンサルティングを行っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』、『ソーシャルネイティブの時代』など。趣味は、神保町から秋葉原にあるもの・香港・台湾、文房具作り。

Twitter:@hortense667
Mastodon:https://mstdn.jp/@hortense667


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