「極力加工をしない」というUAレコードの大きな方針を端的に表しているのが「ワンテイク録音」。一般的な音源は同じ曲を何度か収録し、場合によっては部分的にやり直して良好なテイクへ差し替える、いわば“ベストテイクのつなぎ合わせ”だ。これに対してETRENNEの収録は、通しで演奏したもののみを使用している。しかしこれは情家さんには伝わっておらず、収録が始まってから聞かされたために「非常に戸惑った」という。
「クラシックの場合は楽譜が決まっているので、(一部分に不満があっても)そこを差し替えられます。でも(テイクごとにスタイルまで変わることもある)ジャズはそうはいきません。ましてやライブハウスで“やり直し”はあり得ないわけです。
ただし各曲とも4テイクくらいは録っています。唯一の例外はA面ラストの『You Don't Know Me』で、これだけ1発OKが出ました。情家さんとイベントをすると必ずこの話から始まるので、非常に恨まれているようですが(苦笑)」(麻倉氏)
「You Don't Know Meは2回目にいこうかと思ったら『もう良いよ』と言われたんです。ふわ~っとテスト、みたいな感じで歌ったら、そのテイクが採用されました。多分バンドもそんな感じだったと思いますよ」(情家さん)
収録が打ち合わせどおりとは限らない
ライブ感を大切にするというUAレコードの方針は、裏を返せば“本番中に想定外が発生しうる”ということでもある。
例えば1曲目の「Cheek To Cheek」は、情家さんの歌に対して山本剛さんがリフで合いの手を入れる。麻倉氏は「これがすごく効いていて気持ちいい」とし、情家さんも「(音楽の)空間に誰が入るかが、すごく楽しい」と語るが、「プレイヤーとしては気が抜けない」ともいう。
大きな“想定外”は、2曲目の「Moon River」と4曲目の「Fly Me To The Moon」だ。“月”をキーワードにメドレー形式とする予定だったこの2曲は、当日になって急遽個別収録に変わったのだという。
「最初の計画ではこの2曲はメドレーでした。リハーサルで実際やってみるといまひとつなんです。『もっと聴きたい!』と思った時には(前半が)終わってしまい、後半も分量が少なかった。ということで、この2曲は独立させました。
録音現場は人間がつくるものです。プロデューサーとしては当然みんなに一番良いパフォーマンスを発揮してほしいわけですが、でもやはり自分の意見もありますから」(麻倉氏)
そんな2曲の間には、作詞家のドロシー・フィールズがティファニーの前で若者が喋っているのを聴いて詩にしたという「I Can't Give You Anything but Love」が入っている。麻倉氏によると、Moon Riverは映画「ティファニーで朝食を」の主題歌であることから、“月”の代わりに“ティファニー”でつなげたという。
麻倉氏はこの曲の聴き所を、中間部からのテンポアップにあると指摘。曲を通してインテンポ(同じ速さ)ではだらけるが、最初ゆっくりのバラードで途中からパッと速く躍動的になると、対比感が出て面白いのだという。普段からよくセッションをしているという、情家さんと山本さんの2人ならではのアドリブだ。
ただしこういったアドリブは、アーティストの対応力も問われる。ピアノの“振り”に対する情家さんの“返し”は「喋るように歌う」ことだった。情家さんはこの時の演奏を「バンドのスイングにも助けられつつ、条件反射的に出た」と振り返っている。
「とっさの判断でしたが、幸いなことに後ろがスイングしているので、それで何とかなったのかなと思います」(情家さん)
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