80年代に日本は「電子立国」と言われるほど、エレクトロニクス分野で成功し、GNP世界第2位までのぼりつめる。この分野だけが理由ではないが、いまの我々はその成功の余韻の上に生活しているようなところがあると思う。
米国よりも10年、世界よりも数年遅れてスタートした日本のコンピューター開発は、1960年代頃には早くも世界と競争できるようになる。やがて、スーパーコンピューターで日米摩擦の原因となる実力を持ち、日本と米国以外のコンピューターメーカーは消え去った。
70年代中盤以降のマイクロエレクトロニクスの時代には、カメラや腕時計、電卓や楽器、炊飯器、産業機器にいたるまでマイコンを組み込んだ。元シャープの佐々木正さんによると、あまりに日本人がチップを買いに来るので、ある米国半導体メーカーは「日本人はチップを食べているのか?」と言ったそうだ。
日本にいるとそうは感じないが、日本の民生品が、世界の人々の生活を変えたのだ。その背景は、『チップに賭けた男たち』(ボブ・ジョンストン著、安原和見訳、講談社刊)などで語られているとおりだ。日本のエレクトロニクスは、必ずしも海外で日本株式会社と呼ばれた産業政策によるものではなく、ひとりひとりの人物の仕事にほかならないと書かれている。
月刊アスキーで1993年5月号〜1995年6月号まで連載した『新装版 計算機屋かく戦えり』は、そうした日本のエレクトロニクスの成功の立役者たち、当事者たちへのインタビュー集である。今回、その電子書籍版を刊行するにあたり、26人のインタビューのうち次の4人のお話を掲載する。
- 第1回「FUJIC/日本最初のコンピュータを1人で創り上げた男……岡崎文次」
- 第2回「パラメトロン/日本独自のコンピュータ素子を生んだ男……後藤英一」
- 第3回「FACOM100/国産コンピュータを世界にアピールした池田敏雄……山本卓眞」
- 第4回「指揮装置/戦時下で開発された機械式アナログ計算機……更田正彦」
はたして、日本のコンピューター、そしてエレクトロニクスは、どのようにして成功の道のりを歩むことができたのか? これを機会に知ることは、同じ日本人であるいまの我々のビジネスにも、大いなるヒントになると信じている。今回は、第2回として後藤英一氏へのインタビューをお届けする。
なお、本文は、2005年刊行の『新装版 計算機屋かく戦えり』の時点のものである。たとえば、注釈で出てくるスティーブン・ウルフラムといえば、いまや同氏がCEOをつとめるウルフラム・リサーチの子会社による応答システム“Wolfram Alpha”(Siriの答えの一部はこれが答えている)で名前を聞くことが多い。
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