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ホンダコレクションホールがリニューアル! 自転車から飛行機までホンダの歴史が濃縮!

2024年04月27日 15時00分更新

文● 栗原祥光(@yosh_kurihara) モデル●新 唯(@arata_yui_)編集●ASCII

技術力で世界に挑戦!
【2階南棟 -創業~1970年前後-】

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創業から1970年代までを振り返ります

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会場内のあちこちに本田宗一郎氏の金言が書かれたパネルがある

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本田宗一郎氏が残した名言のひとつ

 大きく変わったのは2階の展示。まずは創業から1970年代までの足跡を追いましょう。会場内のあちこちに、本田宗一郎氏の言葉が書かれたパネルがあります。これは今までのホンダコレクションホールにはなかったもの。

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Honda A型(左)と、その試作機

 本田宗一郎さんの「奥様の買い物を楽にさせたい」という想いから、旧陸軍が使っていた小型エンジンを自転車の補助動力として使ったことというのは有名な話です。これは下のフロアーにもありましたが、より際立たせる展示内容になっていました。

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ドリームC型(左)とドリームE型

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農耕器具用のエンジンなども制作した

 1948年、本田宗一郎さんは本田技研工業を設立。翌1949年に、のちに名参謀と呼ばれる藤澤武夫さんを常務として迎え入れます。そして、Honda初の4ストロークエンジン「E型」を制作。バイクメーカーとしての地位を確立するようになりました。ドリームE型は改良が進められ、2E、3E、4Eと仕様変更が進みました。また、農業用エンジンや耕運機も手掛けるようになります。

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マン島レースに参戦したマシンたち

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マン島レース出場宣言

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61年のロードレース世界選手権の第2戦ドイツGPで、高橋国光さんが日本人ライダーとして初優勝したマシンRC162。出場した10戦で全勝、初の世界制覇を達成した

 1954年、折からの不況といくつかの計算違いが重なり、Hondaは会社設立以来の最大の危機を迎えてしまいます。しかし死に物狂いで解決。そして2人は、従業員に希望を与えるとともに、自らの夢をかなえるべく、マン島TTレースに出場すると宣言。1959年に初出場。1961年に初優勝しました。

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角型のデザインから「神社仏閣デザイン」と言われたドリームC70

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「女性でも乗りやすく、扱いやすいバイクを」という思想で誕生したスーパーカブとその派生モデルたち

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ドリームCB750フォア。ナナハンという言葉はこのマシンから生まれました

 その後も様々なプロダクトを世に送り出していきました。その製品たちは独創的なものが多く、人々のココロを魅了しました。ドリームCB750フォアは、市販車初の直列4気筒、スーパーカブは誰もが扱いやすく便利な1台。アメリカ進出も果たし成功を納めます。

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レースにも積極的に参加

 その後もレースに積極的に参戦。そして来るべき高速時代に対応したクルマづくりと、安全な高速走行ができる場を作るのがメーカーの責務と考え、1962年に日本初の国際的なレーシングコース、鈴鹿サーキットを完成させました。

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初期の自動車。S500(左)とT360

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N360

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Z(手前)とバモス

 1962年、日本の経済自由化に先立って、共倒れを恐れた通産省は各業界の既存メーカーだけを残し、新規参入を禁ずる法案「特定産業進行臨時措置法案」を整備しようといました。この法案が通ると、四輪車を生産したことのないHondaは四輪車を作ることができなくなるのです。結局、この法案は廃案になるのですが、四輪への進出を考えていたHondaにとっては寝耳に水でした。

 そこでHondaは既成事実をつくるべく急遽四輪を制作。スポーツ360とT360を1962年の東京モーターショーに出品したのです。そして1963年、スポーツカーのS500と軽トラックのT360という両極端な2台の販売を開始。その後もN360、N360をベースにしたZ、TN360をベースにしたバモスなど、実用性だけじゃなく、オシャレで楽しいクルマを世に送り出していきました。

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Honda F1第1期を飾った名車たち

 翌1964年8月から世界最高峰の四輪レースカテゴリーであるF1に参戦。当初はロータス製シャーシに1500㏄ V型12気筒の自社製エンジンを搭載する予定でしたが、開幕直前に契約が破棄され、わずか半年でマシンを1から作り上げ、日本車として初のF1出走を果たしました。当初は完走すらおぼつかない状態でしたが、1500㏄エンジン規定最後の1965年メキシコGPで見事初優勝。デビュー14か月、僅か11戦目という快挙でした。

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