【決定版・大阪城ベスト5】大河ドラマ『豊臣兄弟!』天下統一の象徴! 豊臣秀吉・秀長が夢見た「大坂城」おすすめスポット
2026年06月12日 17時00分更新
天下人の夢を歩く! 「大阪城」おすすめスポットベスト5
第5位:屋根の上の「桃」を探せ! 奇跡的に残った重要文化財「金明水井戸屋形」
小天守台にある「金明水井戸屋形(きんめいすいいどやかた)」は、城内に13棟ある国指定重要文化財のひとつだ。徳川時代に天守が築かれたのと同じ寛永3年(1626年)に作られ、天守焼失や大火災の際にも奇跡的に類焼を免れて今に残っている。
【胸熱トリビア】 屋根の四隅をよーく見てほしい。魔除け・厄除けの縁起物である「桃」の瓦が乗っていて、これがとっても可愛いのだ。血生ぐさい戦の要塞の中で、こうした遊び心や祈りのデザインを見つけるのも城歩きの醍醐味。実は大手門の屋根など城内のあちこちに桃瓦が隠れているので、探しながら歩くのも楽しい。
【アクセス】 大阪城天守閣のすぐ目の前(小天守台)。
【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★★
天守閣広場にあるため足元も平坦。天守入場の前後にサクッと見学できる最適スポットだ。
第4位:レトロモダンなロマネスク様式「ミライザ大阪城(旧第四師団司令部庁舎)」
天守閣のすぐ隣に建つ、褐色スクラッチタイルの外壁が特徴的な左右対称のロマネスク様式の洋館。これが「ミライザ大阪城」だ。市民寄付金の一部をもとに、復興天守閣と同じ昭和6年(1931年)に建てられた。
【胸熱トリビア】 現在はショップやレストランが入る複合施設として大人気。屋上には天守閣が目前に迫るバーベキューテラスがあり、地下1階には「海洋堂フィギュアミュージアム ミライザ大阪城」も。かつての厳格な軍事施設が笑顔あふれるエンタメ空間に生まれ変わったギャップがたまらない。
【アクセス】 大阪城天守閣のすぐ隣(本丸広場)。
【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★★
館内はエレベーター完備、空調も効いており、城歩きの最強休憩スポットである。
第3位:家康臣従の裏舞台! 秀長屋敷があった「西の丸庭園」
大阪城の西の丸庭園は、広大な芝生と約300本の桜が彩る美しいエリアだが、豊臣時代の大坂城においては、秀長や北政所(ねね)の屋敷があったとされる場所だ。
【胸熱トリビア】 リード文で触れた家康の大坂城訪問の舞台がここ。秀長邸に宿泊した家康のもとに、秀吉がお忍びで訪れ、翌日の諸大名の前での「深く頭を下げる芝居」を依頼したとされる。家康はこれを受け入れ、秀吉の陣羽織を所望して「二度と殿下に陣羽織を着させない(戦は自分が代わりに引き受ける)」と宣言したという逸話も残る。日本の歴史の分岐点となった夜のヒリヒリとした緊張感を、この庭園の風の中で感じ取ってほしい。
【アクセス】 大手門から入ってすぐ右手(※時期により有料)。
【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★☆
綺麗に整備された広大な芝生広場。のんびりピクニック気分で歴史ロマンに浸るには最高の場所だ。
第2位:戦国三英傑の因縁と巨大防衛線「大手門と千貫櫓(せんがんやぐら)」
城の表玄関である「大手門」と、大手口を北西から横矢で防御する「千貫櫓」の最強セット。どちらも徳川幕府によって創建された重要文化財だが、建てられた年が違う。千貫櫓は元和6年(1620年)、大手門はその後の寛永5年(1628年)に創建された。
【胸熱トリビア】 大手門の巨石群と枡形(四角い空間)は、「豊臣の城を完全に埋め立てて、さらにデカい城を作る!」という徳川の凄まじい執念の結晶。一方の「千貫櫓」は、なんと工事責任者を茶人の小堀遠州が務めた。武骨な防衛拠点を茶の湯の巨匠が手がけた意外性にしびれる。
「千貫」という名前は、石山本願寺を織田信長が攻めた際、「あの櫓を千貫文出しても奪い取りたい!」と兵士の間で噂された伝説に由来する。信長が欲しがり、秀吉が拠点とし、徳川(遠州)が再建した。戦国三英傑の因縁がこの入り口に凝縮されているのだ。
千貫櫓が造られたのは元和6年(1620)。乾櫓とともに大阪城内で最も古い建築物。元和6年は徳川による大坂城再築工事が始まった年になる。作事奉行は、小堀遠州だった。千貫櫓は、大手口を北東から横矢で防御する二の丸の隅櫓。名前の由来は、元々、大阪城の場所にあった石山本願寺を織田信長が攻めた際、横矢をかける隅櫓に苦戦し、あの櫓を千貫文の銭を出してでも奪い取りたい、と兵士の間で噂されたことからからきている、と言う。
【アクセス】 Osaka Metro谷町線「谷町四丁目駅」から徒歩約10分。
【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★☆
駅から少し歩くが、この圧倒的な石垣と門をくぐるアプローチこそが「入城」のワクワク感を最も高めてくれる。
第1位:大大阪時代の熱気と復興のシンボル「3代目・大阪城天守閣」
堂々の第1位は、やはりこの城の顔である「大阪城天守閣」。昭和6年(1931年)に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造の近代建築であり、内部はエレベーターを備えた歴史博物館だ。最上階の展望台からは、かつて秀吉や秀長が見下ろしたであろう広大な風景を、現代のビル群とともに一望できる。
【胸熱トリビア】 この復興天守が鉄骨鉄筋コンクリート造とされた背景には、関東大震災の教訓がある。デザインは「大坂夏の陣図屏風」に描かれた豊臣時代の天守をベースにしつつ、台座は徳川時代のもの。つまり「徳川の石垣の上に、豊臣デザインの天守を、昭和の市民が建てた」という奇跡のハイブリッド建築なのだ。エレベーター完備でバリアフリーにも先進的だった点も、昭和の名建築らしい。
【アクセス】 大阪城公園の各駅から徒歩約15〜20分。
【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★☆☆
公園の中心にあるため歩くが、館内はエレベーターがあり快適に歴史を学べる。
編集後記:真のシンボルは「自分たちで創る」もの
普通、城というものは時の権力者が民衆に造らせたものだ。しかし、この3代目天守閣は違う。100年前の「大大阪時代」の市民たちが、自らの誇りを自腹で創り上げたものなのだ。
実は、秀吉が建てた初代天守はわずか30年、徳川秀忠が再建した2代目天守も39年で姿を消している。だが、昭和の市民が建てたこの3代目天守は、すでに90年以上も建ち続けており、歴史上最も長く現役であり続けている天守なのである。
天守閣を見上げながらミライザでコーヒーを飲んでいると、秀吉・秀長の野望の上に、昭和大阪人の「自分らで建てたんやで」という誇らしげな顔が重なる。不確実な時代に必要なのは、まさにこの当事者意識なのかもしれない。
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