3カ月で製品! 8080を世界最速で実用化できた理由
1970年代、日本発マイコンベンチャー「ソード」を知っているか──椎名堯慶氏インタビュー(前編)
2025年03月22日 09時00分更新
5個だけ日本に届いた8080のうちの1個
―― ソードが8080を使って早い時期にマイコンを発売した話は、私もあちこちでお聞きしていたんですけど、その前のCPUである8008の段階ですか。
椎名 はい、8008でワンボードコンピュータを作り、OSの開発もやっているんです。ローダーってご存じだと思うんですが、さまざまなソフトウェアを読み込むためのプログラムの開発から始めて、そうした種類のオペレーティングシステムの開発まで行いました。
―― 8008の存在を知ったのは、当時のそういうニュースをウォッチしてたからですか。
椎名 そうですね。私は、1973年頃から頻繁にアメリカに行っていました。ナショナルコンピューターカンファレンスや後々のCOMDEXなどの展示会には必ず参加していましたので、アメリカの最新事情についてはその後も非常に詳しく把握していました。
―― で、8008が出てきた。コンピュータの心臓部がチップになったのは、コンピュータを作りたいと思っていた椎名さんにはたまらないですね。
椎名 8008をベースにワンボードコンピューターを開発したんですが。ローダーなどのソフトを実装して動作を確認したところ、遅くて遅くて、とても僕らの考えていたミニコンの代替としては使えないと判断しました。そんな時、インテルジャパンに行ったら、椎名さん、新しい8080というのが出ますよと教えてくれたのですよ。じゃすぐお願いしますと言いました。
8080は、最初に金メッキのやつが5個日本に入ってきたんですよ。そのうち1個が我が社に、残り4個がNTTや富士通、NECなどの大手企業に行ったそうですよ。うちはインテルにとってもたぶん一番開発が早いだろうと思ったんでしょうね。超特別の割り当てでした、本当の幸運でした。我々はその8080を、2月か3月に受け取り、74年5月には商品化にしたんです。
―― 8080のハードウェアとしても早いけど、3カ月ぐらいで商品化というのも凄いですね。
椎名 それも、ミニコンタイプです。メモリーも当時できたばかりの4KダイナミックRAMを採用しました。当時の一般的な1Kではなく、私たちは最低でも16Kから64Kのメモリーを搭載すべきだと。当時はね、4Kのコアメモリーは1枚50万円ほどしたんですよ。僕らはやっぱり本格的なシステムを作りたかったので、最低でも4K、できれば16Kは必要だと。そういう考えで、最初から大容量メモリーの搭載に取り組んだんですね。
―― 要するにミニコンがまだ4Kとか8Kとかいう時代。もっと積むべきだと。
椎名 OSを動かすためには4K、8Kのメモリではダメだと。我々は、8008の時からオペレーティングシステムの開発に取り組んでいましたが、8080では独自のアセンブラ言語を開発しました。データゼネラルのNOVAというミニコンに合わせたオペランドの順番にして、もちろんリロケータブルですよ。それと同時にBASIC言語も開発したんですよ。これは、うちが世界でも最も早いと思います。Microsoftが開発したのは、うちの後のことですから。
―― え、ちょっと待って。8080が出てから3カ月ほどで商品化された。その時点で製品として正式に発表もされていたのでしょうか。
椎名 ビジネスシヨウで発表しました。これがものすごい反響だったんです。松下電工さん、安川電機さん、日立さんなど、大手企業がほとんど買ってくれました。松下さんは、コダックの日本の現像所である東洋現像所から現像システムを依頼されていて、そのシステムに採用してくれたんです。その理由は、我々が、このコンピュータでもOSや開発環境を用意していたからなんです。
―― そうすると、ハードウェアを3カ月で開発されたわけですが、その時点で先ほどおっしゃったアセンブラやBASICも完成していたんですか?
椎名 8008のときほぼ出来上がってたものを、8080のコードに一部を置き換えていっただけですから。それで早くできたんです。
―― なるほど。そこはちょっとしたマジックですね。だって1974年ですよね。米国でようやくMITSのAltair 8800、年末にIMSAI 8080が出てくるという感じですよね。そうした中で、なぜソードがすぐに8080搭載のキットではなくミニコン相当のマシンを発売できたかの疑問も氷解しますね。8008に取り組んだのも無駄ではなかった。
椎名 そうですね。当時のアメリカのAltairやIMSAIはマイコンの一段手前の段階でした。TK-80のようなトレーニングキット的なものが主流だったんです。彼らはマイコンを目標にしていましたが、我々は企業が使えるミニコンのようなものを目標にしていました。つまり、開発の思想が全く異なっていたのです。

SMP80/X。1974年5月にソードが世界的に見ても最も早く発表した8080搭載のマシンとされる。写真は『計装』(1975年4月号)表紙の写真より(工業技術社のご厚意により写真提供いただいた)。本体下はFDS-8。印刷物のため本体ケースの色味がやや明るくみえている可能性がある。
SMP80/X:ソードが1974年に開発した8080搭載の初期マイクロコンピューター。ミニコン並みの機能を持ち、OSやBASIC言語を備え、業務用途として早期に実用化された。
データゼネラル:米国のミニコンピューターメーカー。1968年創業、代表的製品に「NOVA」がある。
アセンブラ(アセンブリ言語):コンピューターの機械語を人間が読み書きしやすい形で記述する低水準のプログラミング言語。
リロケータブル:プログラムを任意のメモリー領域に再配置可能にする機能。ソフトウェア開発を容易にした。
BASIC:初心者でも扱いやすく設計された高水準プログラミング言語。1970~80年代のマイコン普及の原動力となった。
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