週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Xアイコン
  • RSSフィード

3カ月で製品! 8080を世界最速で実用化できた理由

1970年代、日本発マイコンベンチャー「ソード」を知っているか──椎名堯慶氏インタビュー(前編)

ソフトウェアとハードウェアで「ソード」

椎名 ソード(SORD)という社名は、ソフトウェアとハードウェアの両方を手がけるという意味を込めて、「ソフト・アンド・ハード」(Software and Hardware)から作りました。当時は「ソードシステム」だけでは分かりにくいと考え、「ソード電算機システム」という社名にしました。その後、10年ほど経って「電算機」という言葉は外しましたが、そうして会社を設立したんです。

―― 電算機のハード中心の時代に、ソフト、ハードでソードだったんですね。

椎名 最初は母と2人で細々と始めました。当時、コンピューターのメンテナンスには大きなオシロスコープが必要でしたが、それに代わるものとしてアメリカでロジックテスターというものがあるのを見つけまして、2、3台輸入しました。そのアイデアを持って國洋電機という電子部品の測定器を作っているところに行ったら、彼らも同じようなもの作っていて、それを販売させていただくことになりました。以前、お世話になった電総研、東京医科歯科大学、武田薬品、島津製作所など、LINC-8やLAB-8を使用していた企業にですね。それが、20台といった単位で購入してもらえ、これが最初のビジネスの足がかりとなりました。

―― 最初に売れたのはそうしたものだった。

ソードは、「ソフト」(SOFT)と「ハード」(HARD)からとった社名だった(ソードの1983年の会社案内より)。

椎名 しかし、どうしてもコンピューター関連の仕事をやりたかったんですね。HITAC 10のシステム開発に携わっていた経験があったので、それを活かせないかと考えていたんですけど。そうこうしているうちに、ハードウェアやソフトウェア、システム設計などさまざまなスキルを持った仲間が7人ほど集まってきてくれたんです。

―― その人たちはそれぞれ仕事してたんだけど、椎名さんが会社やってるって言うならと?

椎名 ええ。大学時代から私は将来会社を立ち上げると言っていたこともあり、シャープやユニバック、バロースかな、そういった企業にいた人が集まってきました。また、理経コンピューターセンター(RCC)を一緒に作った人たち、それ以外にもいたんですけど、合計7人ほどのメンバーが集まりました。こうしてようやく、ソード電算機システムとしての本格的な体制が整ったんです。

―― 社名のソードにふさわしいですね。HITAC 10のソフトを作るだけのような会社じゃない、ソフトウェアだけでなくハードウェアも開発できる体制が自然と整った。

椎名 72年5月頃、タケダ理研(現アドバンテスト)から大きな仕事を受注しました。LSIテスターのソフトウェア開発を5、6年にわたって継続的に担当することになったんです。社員が常駐して超高速カウンターソフトなど、マイクロ秒単位の精密な計測ソフトウェアを多数開発させていただきました。なんて言いますか、可愛がっていただいたという感じです。

 1973年頃になると、ミニコンのソフトウェア需要が急速に高まり、社員教育やソフトウェア開発の依頼が多数寄せられるようになりました。社員数も毎年倍増のペースで成長していったんですね。そんな中、インテルから最初の8ビットマイクロプロッサといわれる8008が登場し、これをベースにしたワンボードコンピューターとOSの開発を同時にスタートさせたのです。


タケダ理研:武田理研工業株式会社(現・株式会社アドバンテスト)。計測器や電子計測機器の開発・製造を行う半導体試験装置の大手メーカーとして知られる。
8008:1972年にインテルが発売した一般に世界初とされる8ビットマイクロプロセッサ。
8080:1974年にインテルが発売した8ビットのマイクロプロセッサで、マイコンブームの起爆剤となった。
國洋電機:國洋電機株式会社。電子計測機器・測定器などを開発製造していた企業。

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

S