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「自己満足的要素の強い、こぶしの効いたサービスをやめてみた」 東京會舘、お客様を引き付ける驚きの接客改革の中身

 丸の内LOVEWalker総編集長の玉置泰紀が、丸の内エリアのキーパーソンに丸の内という地への思い、今そこで実現しようとしていること、それらを通じて得た貴重なエピソードなどを聞いていく本連載。第17回のキーパーソンは、丸の内で100年以上の歴史を誇る「東京會舘」で常務取締役を務める星野昌宏さん。#4では星野さんの経歴、行ってきた接客改革、そして星野さんにとって丸の内とはどのような場所なのかを聞いた。 (#1 成り立ちと歴史はこちら#2 バーとレストランはこちら#3 3代目のホスピタリティはこちら

今回の丸の内びと/東京會舘 常務取締役営業本部長 兼 マーケティング戦略部長 兼 本舘営業部長 星野昌宏

博報堂、外資系コンサルから
縁が縁を繋いで東京會舘に

――ここからは星野さんについてうかがいます。まったくの外様である星野さんが東京會舘の常務取締役になった経緯は?

星野「ここに至るまでにはいろいろなご縁があったんですね。最初は新卒で博報堂に入って広告ビジネスに携わっていました。29歳の時にたまたまご縁があってコンサルティング会社ローランド・ベルガーに転職をして、その界隈に5年ほどいたんです。
 その後、上司だった方に誘われてコンサルティング会社をやっていました。いろいろなところからお仕事をいただいていた頃にリーマン・ショックが起きまして」

――歴史ですね

星野「そのとき考えたんです。このままコンサルタント時代のノウハウを切り売りして商売をしたとしても、今は良くても何年ももたないなと。
 たまたまローランド・ベルガー時代の上司が、スシロー(現・FOOD&LIFE COMPANIES)で最近まで社長を務められていた水留浩一さんでした。転職を考えた当時は、水留さんは企業再生支援機構の常務でJALの副社長を務めていました。安定が恋しくなり、新卒入社した博報堂のような大企業の経営企画に進もうか悩んでいると相談に伺ったところ、『何のために辛い思いをして経営コンサルタントをやってきたんだ。誰もが就ける仕事ではない。今まで得たことを糧に、最後まで経営に関わり続けなさい』と、怒られまして。若手でも経営に関われる会社はどこか…と調べていたら、Mid-Scale、所謂ベンチャーや中小企業などの数十~百億レベルの規模の企業には、私のようなキャリアを持った方は当時はまだ少なく、ここならチャンスがありそうだ…と思い、方々を当たっていたところ、ベクトルというPR会社との出会いがあり、転職しました。
 経営企画部長を拝命し、株式上場実務や事業開発のようなことを1年半ほど担当し、その後は、結婚式ウエディングやレストランのプロデュースを手掛ける新進の企業に管理部門のヘッドとして招聘されました。収益を伸ばすには出店が必要なのですが、成長途中で自己資金にも限りがある。であれば、ホテルの宴会場やレストランを運営受託するのが早い…となり、日本全国のホテルにどんどん営業に行きました。最初はうまくいきませんでしたが、ホテルを保有している外資系ファンドや金融機関さんが評価して下さるようになり、事業が拡大する中で出会ったのが、東京會舘の当時の総支配人で現社長の渡辺さんでした。
 2015年当時、彼らが建て替えのことで悩んでいたときに私がいろいろなホテルの立ち上げの分析をしてプレゼンをすると、『面白い。一緒にやろうか』となりまして。私はもともと数字に弱かったのですが、ベンチャーにいると何でも自分でやらなければなりませんから、気付いたら事業計画シミュレーション(モデリング)を基に、ファンドや投資銀行の方と議論ができるようになっていました。オペレーションや現場改善は以前から得意だったので、『事業計画と再生プランの納得度の高さ』がホテル業界で評判になりました。その評判から、アドバンテッジパートナーズという企業買収ファンドからディスカッションをしよう…とお誘い頂き、会いに行ったら投資先企業のプロ経営者のチームがあるんだが…とお仕事のチャンスを頂けることになりました。
 移籍を決意し、忘れもしない2015年12月30日ですよ。渡辺総支配人に、仕事を任せていただくのはありがたいけれど転職したい…と伝えに行ったら、『キミがやらないで誰がやるんだ!』ととても怒られて。一旦東京會舘とのご縁がなくなったのですが、渡辺総支配人の社長就任を知って年賀状を送ったら、『今度食事をしようか』と年賀状に書かれていて、お食事にお誘い頂いた席で、うちで仕事をする気はないかと誘われたんです」

――またご縁が繋がった!

星野「ただ、ホテルに詳しいと言えど、いろいろなホテルで習得したノウハウをベースにしているに過ぎなかった自分が、100年の歴史がある東京會舘で建て替えのお手伝いなんて恐れ多くて。アドバイスぐらいなら無料でやりますよと一旦断ろうと思ったんですが、社外役員や株主の方からも『あなたが今まで見てきた結婚式や宴会、レストランと、東京會舘のそれとは全くの別物。数々のVIPが利用する東京會舘で仕事をすれば、必ずあなたのキャリアにもプラスになる』と仰ってくださって。親にその話をしたら、親は若い頃から東京會舘が何たるかを知っているのでいたく感動していました。それでもうこれは断れんぞと思って、渡辺社長に謹んでお受けいたしますとお答えしたんです」

――運命の出会いですね。星野さんにとっても渡辺さんにとっても

星野「本当に光栄な話で、こんなに歴史のあるところで働けることなんてないですから。それから東京會舘の歴史を勉強して、いろいろなホテルのノウハウを集約しながら、現代風に解釈をするのが私の仕事なんだろうと思っています」

星野さんの経験は東京會舘にも生かされている

「丸の内の宝石箱」たる
“推し”を作る接客改革

――波瀾万丈な職歴を経て、丸の内を代表する施設の1つ、東京會舘で働くようになった星野さんにとって、丸の内はどういう街に映っていますか

星野「外様なので、勉強のために首都圏の主要ホテルや専門式場、ゲストハウスなどで何百回とミステリーショッパーをしました。各ホテルのバーにも百回以上通いました。それぞれの施設にどういうお客様がいて、皆さんがどのような用途、目的で利用しているのかを徹底的に観察して。丸の内の素人なら、素人らしく現地現物で『お客様の嗜好をきちんと把握している』ことを強みにしようと思って。
 そのときに感じたのが、丸の内には丸の内の用途があるということ。六本木、恵比寿、渋谷、銀座とも違う。もうちょっとオフィシャルなんですよね。プライベートでも使うけれども、健全で背筋の伸びるような使い方。商談でも、親友や家族とも使える。飲食って、いろいろな遊びの要素もありますが、かなり健全な用途で比較的早い時間に使われることが多い。だから不健全になりすぎないということはビジネスをするうえですごく気をつけています。
 そうやって勉強をするうちに、とある言葉に行き着きました。それは三菱地所の元社長で丸の内再開発の足がかりを築いた福澤武氏の『東京會舘とは丸の内の宝石箱である』という言葉です」

――素敵な言葉ですね

星野「建て替えのときに渡辺が「NEWCLASSICS.」とは言いながら、古きものは変えないという意思決定をした。例えば、現代風のミシュランの星を取っているようなレストランでは、ちょっとクセがある接客を好む。要は、わかる人だけわかってくれればいいという。でも、それが好きな人もいれば、そうではない人もいると思うんです。
 では東京會舘の接客スタイルをどうしようかといったときに、プルニエはキッチンは松本シェフに任せますが、表の人員は大幅に若返らせました。入口にベテランのマネージャーが立ち、常連にはものすごく愛想が良いけれど、そうでない人には露骨に優先順位を落とすような対応を、有名レストランや名門ホテルでされた経験ってありませんか? 私自身、ミステリーショッパーでは、有名店で“けんもほろろ”な対応を受けたことも。お客様のメンツを潰してしまうような接客は、絶対に東京會舘ではしちゃダメだなと。東京會舘は、バブル崩壊後に採用を絞っていたせいで、50~60代の下は30代がメインです。どうせ若手を入れなければならないなら、若手を中心に愛想の良いベテランを要所に配置し、誰に対しても一生懸命接客するように切り替えた。例えば日本料理店の『八千代』では、常連のお客様が心配するぐらい、20代のスタッフ中心の体制に切り替えたんですよ」

――それは大胆というか冒険というか

星野「料理も、盛り付けなどは多少変えましたがエッセンスは変えない。接客のスタイルは、創業以来大切にされてきた『大切なことはお客様が教えてくれる』という理念です。怖がらずにどんどん接客に出て、大切なことは自分たちで自らつかみなさいという哲学を若いスタッフに教えている。実際、常連のお客様が本当に丁寧に教えてくださるんですよ。
 現代風の東京會舘とは何かと言われたときに、有名店にありがちな自己満足的要素の強い、こぶしの効いたサービスをやめてみることを戦略的に導入することになったのは、1つの大きなチャレンジでしたけれど、今でもお客様に一定の評価をいただけているのは、お客様が育てて下さったスタッフが、今でも一生懸命サービスに従事し続けているからだと思います」

――すごくオーセンティックなんだけど、接客の部分でフラットにしたってことですね

星野「若いスタッフが一生懸命サービスをするから応援して下さっている“推し”のような側面もあるとは思います。もちろん、それだけでは駄目で、より高度な接客スキルを身に着ける必要はありますが。レストランにはスタッフ目的で常連さんになってくださっているお客様もいらっしゃいます。あえて悪い意味での玄人っぽさを除去したことが、結婚式や宴会、レストランでも、東京會舘の今1つの売りになっているというのは、あるかもしれないですね」

通い慣れると面白くなる!
丸の内のバーの楽しみ方

――丸の内のおすすめのお店を教えてください

星野「ぜひチャレンジしていただきたいのは、メインバーとロッシニテラス。メインバーは、あえて1人で来ていただきたい。渡辺の教えなんですけれども、1人の方が店の空気がわかるから群れて行ってはダメと。オーセンティックバーは自分なりのスタイルを持って行くお店なので、本当は『何がおすすめですか』とか聞くのはNGなんです。でもメインバーは初めての方も『どういうお酒から飲めばいいかわからないので教えてください』と素直に言えば、おそらく一番価格的に良心的で、あまり偏屈じゃないカクテルを出してくれる。優しくて気のいいおじさんたちがうんちくも教えてくれるんです。だから最近では1人でいらっしゃる20代女性の常連さんも多いですよ。
 ロッシニテラスは、夜はバー的にも使えて、またレストランと繋がっているので三島由紀夫が好きだったピラフや名物のカレーなど、1人で頼める単品メニューが意外とあります。何度か通うとバーテンダーが裏メニューを教えてくれます」

――東京會舘以外のお気に入りのお店は?

星野「丸の内独自の雰囲気があるお店が個人的にはおすすめで、ここからすぐのビストロ、『ブラッスリーオザミ 丸の内』です。レストランには1つのスタイルがあるべきだと思うので、やっぱりビストロっていうのはワインをみんなでガバガバ飲みながら、しっかり味の付いた料理をシェアして楽しむスタイルが良いなと。オザミにはそういったビストロの原点がしっかり根付いており、お店の雰囲気が素敵だし、エッジが利いたお料理が多いところもポイントです。
 若い方や女性が行きやすいところでは、パレスホテル東京の『ラウンジバー プリヴェ』でしょうか。もともとは女性向けのオシャレなバーという感じでしたけど、渡部勝総支配人がいろいろと工夫されて、今はお食事・お酒ともとても高いレベルで提供しています。景色・雰囲気がとても素敵なので、早めの時間から行って、夕方から日没、ライトが際立つ夜景を堪能してほしいですね」

 激動する100年の歴史の中で、太平洋戦争後のGHQ接収、国際情勢や関東大震災、ヌーベル・キュイジーヌの台頭、建て替えやコロナ禍などに翻弄されながらも、変わらないことと顧客へのリスペクトを大切にしてきた東京會舘。時代遅れだの化石だのといわれたこともあったが、「大切なことはお客様が教えてくれる」の社是を貫いたからこそ、今はバンケットのトップランナーとして収益も爆上げしている。

 広告代理店から外資コンサルなどで実績を積む中で、ミスター総支配人・渡辺現社長との、切っても切れない縁で結ばれて常務になった星野さん。外様出身ながら東京會舘愛にあふれる星野さんが「丸の内の宝石箱」をこれからどう守り、またバンケット&レストランビジネス界でどう攻めていくのかに注目だ。

星野昌宏(ほしの・まさひろ)●1976年生まれ。一橋大学法学部私法課程卒。博報堂を経てローランド・ベルガーをはじめとした複数の外資系戦略コンサルティングファームに所属し、金融・建設・運輸・消費財・エネルギー等の幅広い業界において、全社戦略、企業再生、ビジネス DD、M&A、PMI、法人営業改革、オペレーション改善等のプロジェクトに従事した後、事業会社に転身。ベクトル(経営企画部長)、ポジティブドリームパーソンズ(取締役 CFO)、投資ファンド:アドバンテッジパートナーズの投資先である株式会社エポック・ジャパン(現:株式会社きずなホールディングス:取締役 CFO 兼 マーケティング本部長)を経て、2017年10月に東京會舘に入社し、18年6月、取締役就任。20年6月、常務取締役営業本部副本部長就任。23年3月から常務取締役営業本部長 兼 マーケティング戦略部長 兼 本舘営業部長に就任、現在に至る。

聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・戦略推進室。丸の内LOVEWalker総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。産経新聞~福武書店~角川4誌編集長。

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