なぜ貴重なシャンデリアが目立たない階段に設置されている? 3代目東京會舘の建物に詰まったホスピタリティの物語
丸の内LOVEWalker総編集長の玉置泰紀が、丸の内エリアのキーパーソンに丸の内という地への思い、今そこで実現しようとしていること、それらを通じて得た貴重なエピソードなどを聞いていく本連載。第17回のキーパーソンは、丸の内で100年以上の歴史を誇る「東京會舘」で常務取締役を務める星野昌宏さん。#3では、2019年に誕生した3代目・東京會舘の変えたところと変えなかったところ、そして今後の展開について聞いた。(#1―東京會舘の成り立ちと歴史はこちら、#2―東京會舘のバーとレストランはこちら)
3代目の東京會舘には渡辺社長の
思いとこだわりが詰まっている
――波瀾万丈の歴史を経て、2019年には3代目の東京會舘が生まれたわけですけども、猪熊さんの壁画やシャンデリアなど昔からのものも大切に残されています。どういうコンセプトで作られたのですか?
星野「100年間の我々のいろいろな足跡をすべて新本舘にも注ぎ込む、もともとの雰囲気の良さを変えないということがあったと思います。
一番は現社長の渡辺のこだわりです。長年総支配人をやっていて、宴会支配人、婚礼支配人、食堂支配人も全部兼務した、たぶん歴代でも初めての人なんですが、建て替えの際の委員長に立候補しました。つまり、建物の端の端まで全部知り抜いている人なんです。
例えばエレベーターに、初代本舘のファサード(建物の正面)の一部の模様を入れるとか。この建物は本当にユニークで、庇の付き方などが初代本舘とほとんど一緒なんですよ。初代本舘をモチーフにしていたとはいえ、本当に似ています」
――本当によく似ていますね
星野「シャンデリアに対する社長のこだわりにも驚きました。貴重なものなので、普通に考えれば、一番人目につくロビーに付けたくなりますが、なぜ昔から結婚式では必ずシャンデリアの下で写真を撮っていたのかをご存命の方に確認するよう指示が出て、『あのシャンデリアの下で写真を撮ると、幸せになれると言われたそうです』と報告したら、『そんな素敵なエピソードがあるのであれば、新郎新婦のファーストミートの場所に付けなさい』と。結果、人目に付きづらい階段の途中にシャンデリアを設置し、その下で新郎新婦がファーストミートができるようになりました。建て替えるからにはどこよりも素敵な宴会場に、レストランにしなければいけないという思いがあったんですね。当時総支配人だった渡辺は、2代目の建物は少し時代に取り残されていると感じていたんだと思います。バブルぐらいまでの高度成長期にはよかったけれども、それ以降の時代には個々の宴会場が狭く、天井が低い。時代とともに宴会場のあり方も変わってきたんです。
また大宴会場はエスカレーターで行けなければいけない。偉い人がパーティーに来る。黒塗りの車で乗りつけたらそのままスッとエスカレーターで上がって、となると車寄せもなくてはならない。でも2代目の建物は車寄せがなく、目の前の丸の内4th通りに停めていた。そういったことを改善した1つ1つが“ニュー”の部分ですよね」
――ニューでもあり、初代のエッセンスもまた取り入れている
星野「そこを両方組み合わせていったのが、この3代目の建物です。2代目の建物の宴会やレストランでお客様来訪の妨げになっていた要素というのを可能な限り除去していった。改装中は多くの従業員が出向していたのですが、日本中の主要なホテルのホワイエのここからここまで何分、何歩かと歩測してレポートしたんです」
――徹底していますね
星野「やっぱりそこが総支配人たる所以なんじゃないですかね。それぞれのホテルの良いところ、もっとこうした方が良いところ、使った備品で良かったものなどを、皆が出向から戻ってきたときに全部集約する。これをまとめていこうとなったときに、たまたま前社長が病気になり社長継続が難しくなった。
そのときに渡辺が代表取締役に着任することになり、渡辺の思っていたものがより新事業計画や施工計画に反映されるようになっていきます。こういうこともひょっとしたら運命のいたずらだったのかもしれませんが、それが今の東京會舘に繋がったのかなと」
――本当に現場に精通している人のスピリットがこもっている
コロナ禍ではあえて結婚式を
施行して大成功。収益も爆上がり
――今の東京會舘を再開するのにだいたい4年、関東大震災後に再開するのに4年かかったということですが、なんかちょっと繋がるなと思ったり
星野「そう感じるものは本当に多かったですね。震災後の4年間がとても大変だったということは諸先輩方がおっしゃっておられましたけれども、建て替えとはいえ4年間は結構大変でした。 私は2017年、コロナ禍の少し前、建て替え中に入社しまして、何とか建て替えを上手くいかせて1年目にブレイク、黒字化だ!となったらいきなりコロナ禍に入って、その後も実は4年なんですよね。だからこの4年という数字に我々は何かすごく翻弄されているのかなっていうのは、よく社長とも話します」
――やっぱりそうですか。不思議だなと思っていました
星野「そういう逆風が吹いていたんですけど、コロナ禍の4年間は、逆に結婚式だけは止めなかったんですよ。 より正確に言えば、宴会や結婚式はお客様が主催者で、法的には我々は場所貸しもしくは施行支援者っていう位置付けになりますから、やるやらないは我々が決めることではないと。当時はお客様に主催自体を決めさせないホテルが多かったんですが、うちではお客様からやりたいと言われたら10人でも100人でもやりますっていう方針を出して、どうすれば安全にできるのかを考えながらやり続けたところ、それをやっている会場が東京會舘しかなかった。
式や宴会をやらない自由っていうのも選択肢として必要じゃないですか。これは渡辺と相談をして当時としては相当思い切っていて。宴会も同じなんですが、1か月前のタイミングでどうしますかとお客様に伺う。やらないとなれば招待状など実費がかかったものはご請求しますが、その他は全額無料で何回でも日程変更ができるようにしたんです。お客様の抱えている不安と同じリスクを我々も背負いますと。これがまた評判を呼んでコロナ禍の3年目、2022年度には結婚式は1271件という過去最高件数と売り上げがあった。平均列席人数は70人を大きく超えています」
――本当ですか、それはびっくりです。最近は人数も減っているイメージがあるし、70って多いですよ
星野「世の中では2024年の平均列席者数が50を下回っているんですね。東京會舘ではオープン時は80人、コロナ禍が73から75人。今では再び80名以上に回復しています。それは、お客様が式や宴会をやりたいとおっしゃったら安心安全な形で我々が100%コミットしてやってきたから。
正直いろいろな意見があったのも事実ですし、業界でもいろいろな言われ方をしたんですが、“大切なことはお客様が教えてくれる”と、渡辺が最後判断したことです。この社是がある以上、どんな状況でもどういう寄り添い方をすればいいかはお客様の中に答えがある、お客様が望むのであればやりなさいという指示がありました。
何をしたかというと、例えば結婚式では親族控え室を分けました。若い方と高齢の方、親族が皆一緒にいると不安を感じるかもしれないということから、高齢のお客様にはヴァイオレットという主に皇族のご来舘時に使用する貴賓室でお待ちいただきました。
また、宴会場って臭いがこもるんですよ。人が入れ替わるときにどうしても前の宴会の臭いが残るんですが、渡辺がそれをすごく嫌がって、換気性能をすごく高めました。15分に1回、内気と外気が完全に入れ替わるんです。これを建て替えの時に設備に組み込んでいたことが大いに役に立ちました」
――弊社のところざわサクラタウンにジャパンパビリオンというホールがあるんですが、そこもたまたま強力な換気装置を付けていたら、オープンからすぐにコロナ禍になって。その換気能力がものを言いました
星野「まったく同じパターンです。こんなに換気していいのかなっていう機能のものを入れていたおかげでコロナ禍も営業できた。お客様に安心安全を感じていただくことも大切なのでホームページに載せたうえで、一般宴会や結婚式の招待状の中にQRコード付きのカードを入れて伝えることにしました。『東京會舘では下記のような対策を施しております。来場の際は、ご安心いただけるよう最大限努めてまいります』というメッセージを書いたところ、これでも評判が良くなったんです」
――結局はそういう行き届いたサービスが人を呼ぶんですね
宿泊やバンケット、レストランの
ビジネス受託へ進出!?
――今、インバウンドもすごく増えてきていて景気の善し悪しは人それぞれだとは思うんですが、これから東京會舘さんがやっていこうと考えていることを、短期、長期で教えていただけますか
星野「短期の話からいくと、収益体制の維持ですね。おかげさまで結婚式から人気に火がついて、レストランの評判も良くなったんです。結果的にそういったものが重なって、昨年から一般宴会でのお客様もどんどん増えて、すでに全事業で建て替え前の水準を大幅に超えています。収益水準も営業利益で10億ベースっていうのが昨年度実現できたんですが、これが32年ぶりなんです」
――この時代に!
星野「結婚式やレストラン、宴会でも、丸の内の中の1つの有力会場という形でお客様に認知をしていただいた証ですし、今はものすごく幅広い方々に利用していただけるようになり安定収益を稼げるようになりました。
短期の目標は、引き続きこの収益体制を維持すること。おかげさまで建て替えの借財も想定以上に前倒しで返済ができそうな業績水準になっています。
建て替え前はどちらかというと時代の流れから取り残されていました。レストランと宿泊サービスがあることが価値になり、その後外資のホテルもどんどんできてレストラン・宴会・婚礼全ての面で存在感が希薄になってしまい、取り残された存在だったのに、またこの一角に名を馳せられるようになりつつある。
ただ、これもちょっと調子に乗ってミスをしたり何か雑なことをすれば、せっかく新たに手に入れたものも一瞬で吹き飛びかねない。だからとにかく今の形を継続することがお客様の信頼に繋がる。それを拡大、再生産できるような取り組みを愚直に続けていくっていうのをすごく大切にしています」
――具体的にはどんな取り組みですか
星野「渡辺は“ミスター総支配人”なので非常に細かくて厳しいんです。舘内の隅から隅まで、またお客様の反応をとにかくよく見ているので緊張感がありますね。
例えば宴会場のワイングラス磨き1つとっても、洗剤やクロスの素材もいろいろ試行錯誤を繰り返し、適切なタイミングで拭かないときれいになりません。営業の責任者の私は、現場でやっていることを1つ1つ全部把握しているのが当たり前。フロントラインに立つ人間は、いかに細部に魂を宿らせられるのかが大事だというのが渡辺のポリシーなんです。起こったことには必ずその裏に理由がある。例えばどんでん(宴会場の設置転換)の時間が切羽詰まっているのは受注の仕方に問題があるとか。裏の裏まできちんと全部確認していないと怒られますから」
――素晴らしい経営者ですね
星野「東京會舘には、その渡辺の思想や思いがすべて詰まっているんです。私のように途中から入った人間は現場の経験が少ないこともありますけど、そんな人が端から端までよく見ているなと評価してくれれば、従業員も聞く耳を持ってくれますから。渡辺の精神を若い人にも伝え、支配人を張れる人間をどれだけ育成できるのかっていうのが1つのポイントになってくるんじゃないのかなと思います」
――長期的な展望としてはいかがですか
星野「お客様の距離感に合わせて接客のスタイルを変えるというのも、我々の1つのカルチャーなので、宿泊に進出していく方向性はあり得ますね」
――それはビッグニュースです!
星野「もう1つはバンケットビジネス受託です。今業界では、外資のホテルを中心にバンケットビジネスやレストランビジネスを外部に委託するっていう潮流が生まれつつあるんですよ。宿泊は儲かりますが、バンケットビジネスやレストランビジネスは、接客する人間から調理の人間まで相当な人数を抱えなくてはいけないので、売り上げが一定程度取れないとすぐに赤字になる。世の中の一般的なフルラインホテルは、もうこのご時世なのでバンケットビジネスはできれば切り離したいみたいなところが増えているんですよ。
彼らからすると、100年前から“飯屋”であり宴会とレストランだけでやってきた東京會舘が2桁億円の営業利益を出せているのは不思議で仕方がないと思うんです。
ただ、いずれにしてもネックになるのが人員の確保ですね。ホテルを受託するにしてもバンケットを受託するにしても、一定の人数がいないと回せないので」
――やっぱり重要なのはマンパワーなんですね
これまで以上に、お客様のためにすてきな東京會舘でありたいとの思いから生まれた3代目東京會舘。星野さんは東京會舘が生まれ変わる様子を最も間近で見て、そして新たなビジネス展開も視野に入れている。#4では、そんな星野さんの経歴に迫る。
星野昌宏(ほしの・まさひろ)●1976年生まれ。一橋大学法学部私法課程 卒。博報堂を経てローランド・ベルガーをはじめとした複数の外資系戦略コンサルティングファームに所属し、金融・建設・運輸・消費財・エネルギー等の幅広い業界において、全社戦略、企業再生、ビジネス DD、M&A、PMI、法人営業改革、オペレーション改善等のプロジェクトに従事した後、事業会社に転身。ベクトル(経営企画部長)、ポジティブドリームパーソンズ(取締役 CFO)、投資ファンド:アドバンテッジパートナーズの投資先である株式会社エポック・ジャパン(現:株式会社きずなホールディングス:取締役 CFO 兼 マーケティング本部長)を経て、2017年10月に東京會舘に入社し、18年6月、取締役就任。20年6月、常務取締役営業本部副本部長就任。23年3月から常務取締役営業本部長 兼 マーケティング戦略部長 兼 本舘営業部長に就任、現在に至る。
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・戦略推進室。丸の内LOVEWalker総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。産経新聞~福武書店~角川4誌編集長。
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