週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Xアイコン
  • RSSフィード

格闘技ドクター 二重作拓也のプリンスLOVE 4EVER

ファーストコンタクト、『When Doves Cry』の衝撃

2024年03月14日 17時00分更新

When Doves Cry

 音楽の世界で自分のキャリアを始めたとき、僕が徹底的にこだわったのは「自由」についてだった。プロデュースする自由、全ての楽器を自分で演奏する自由、そして言いたいことはどんなことでも言える自由さ!(プリンス名言より)

プリンス講義

 あるプリンスファンの先輩のお話。

 その先輩はとってもオシャレで、華があって、しかも夜遊びが大好きな方でした。時間を見つけては遊び仲間を引き連れて、夜の街に繰り出して。ひととおり遊び終わった深夜2時から3時。遊び仲間たちは先輩の自宅に招かれ、鑑賞ルームに通されたそうです。

「さぁ、いまから映像を見ようぜ」

 ビデオをセットしてニコッと微笑む先輩。モニターに映し出されるのはプリンスの映像です。

「このシーンがいいんだよ!」「やっぱプリンス最高だわ」

 リモコン片手にお気に入りのシーンを何度もリプレイし、「いかにプリンスが素晴らしいか」というテーマで、長いときは6時間ほど語り続けたそうです。

「せ、先輩っ。プリンス推しのお気持ち、よーくわかります。でも、いくらなんでも6時間はさすがに逆効果じゃないですか? それじゃあ、プリンス地獄へ道づれですよー」

 後輩としては、大好きな先輩をつい心配してしまうのですが……。

 この先輩の名前は、フレディ・マーキュリー。

 不朽のロック・オペラ、「ボヘミアン・ラプソディ」はじめ、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「キラー・クイーン」などなど、数々の世界的ヒットを飛ばしたイギリスのロックバンド、あのクイーンのフロントマンです。ちなみにフレディは当時「プリンスは僕のことを知らないだろう」と発言していたそうです(いやいや、そんなはずはないでしょう!)。

 フレディ先輩による、プリンス講義。もし機会があるならば拝聴してみたかったですが。それにしても、あのフレディ・マーキュリーをここまで惹きつけるプリンス。

 ここは私より先輩に思いっ切り語ってもらったほうが、殿下熱が伝わる気がしますが……。先輩は殿下と一緒に、雲の上のスタジオでレコーディング中という噂ですから、先輩、ぜひまた「プリンス講義」をお願いいたします!

朝霞にあるプリンスリスペクトの発信基地

 フレディ先輩にあやかって、というわけではありませんが(笑)、私も「プリンスを感じられる場所をつくりたい」と考え、2009年に多目的スタジオを埼玉県朝霞市に建設しました。

「新しいパワーが生まれる場所…….。そうだ、“ニュー・パワー・スタジオ”で、どうだろう?」

 なんと命名してくれたのは、長年プリンスと苦楽を共にしてきたジョン・ブラックウェル。宇多田ヒカルさんのドラマーを務め、その後プリンスのバンドに加入、プリンスをしてThe Magnificent(最上級の賛辞)と言わしめたリズムの天才です。

ジョン・ブラックウェル ~ニュー・パワー・スタジオにて~

 コンセプトまで方向づけてくれたジョン・ブラックウェルのおかげで、アスリート、ミュージシャン、俳優などさまざまなバックグラウンドの人々が集い、パフォーマンスを磨く場となりました。

 ニュー・パワー・スタジオには、プリンスがライヴで使ったギターピック、レコーディングに使用したシンバル、横浜スタジアムでヒラリと投げられたイエローのスーツ、日本武道館でフリスビーのように空を切ったタンバリン、ジョンが置いていったスネアドラム、バンドメンバーからなぜか私に託された完全未発表音源まで保管されていて、ちょっとしたプリンス・ミュージアムになっています(有志のみなさんのおかげです)。

プリンスを学ぶPurple University

プリンスがレコーディングに使用したシンバル

 もちろん「プリンス講義」も。まだプリンスがほとんど日本で知られていない時代からずっと聴かれている音楽ジャーナリストの吉岡正晴氏、『嫌われる勇気(共著)』、『さみしい夜にはペンを持て』など数々の名著を世に出されているライターでプリンス好きの古賀史健氏、プリンスのエンジニアであるスーザン・ロジャースに直接師事したこともあるミュージシャン/音楽プロデューサーの塩田哲嗣氏、プリンスに影響を受けたイラストレーターのラジカル鈴木氏、プリンス好きが高じてミネアポリスに移住してしまったベーシストのMIHOさんなど、個性的な「殿下の達人」たちが登壇くださっています。

 参加された方からは「ひとりしかいないはずのプリンスなのに、ひとりひとりのプリンスがいて、いろいろ違うのが面白くて」 「新しいパワーをもらえる。エネルギーが惜しみなく与えられる感じ」「音楽、そして人生の楽しみ方が広がった、これこそプリンスが贈ってくれたGIFT」といったご感想をいただいています。

 さらに嬉しいのは「プリンスあまり聴いてこなかった」「初めてプリンスを聴く」という方も積極的に参加されていることです。俳優の七味まゆ味さんは「ここに身を置くと、プリンスをもっと知れるような気がして。映像資料が豊富なので、ひとりで聴くだけだとわからない魅力を味わえる」とコメントをくださいました。

 朝霞駅前には和製マドンナと呼ばれ、ミュージカルでも活躍されたシンガー・本田美奈子.さんの歌声が流れるモニュメントもあり、音楽好きな人にとって憩いの場になっています。プリンスに興味をもってくれた人たちが、朝霞に集まってくれるのはとても嬉しいですね。

解析不能

 私が初めてプリンスの楽曲に触れたのは1985年、13歳の時でした。

「プリンスというミュージシャンがいる。マイケル・ジャクソンのライバルで、音楽的才能は彼以上と言われているらしい。海外でも日本でも凄い人気だ」

 洋楽好きな友人たちが、そんな話をしていました。今と違って、すぐに検索できたり、試聴できたりする時代ではなかったので、「へー、プリンスってどんな音楽をやる人なんだろう?」多少の引っかかりはあったものの、すぐに彼の曲を聴いたわけではありませんでした。

 少し経ったある日のこと。同じクラスの中森君がお薦めの洋楽カセットテープをつくってくれることになりました。そのB面の1曲目に入っていたのがプリンス&ザ・レボリューションの「When Doves Cry」。これがプリンスの楽曲とのファーストコンタクトでした。

 緊急速報のような心ざわめくイントロ。思いっ切りタイトで弾けるリズム。やたら能天気なピコピコ音。お経のような一本調子の低いボーカル。金属をクギで引っ搔いたような妖しいシャウト、心地好さと不協和音が同時進行するサウンド……。

「な、なんなんだ、これは?」

 衝撃そのものでした。

 それまでは「ああ、この曲いいな」とか、「カッコいいサウンドだなー」とか、「綺麗なメロディだなぁ」とか、「歌が上手いなぁ」とか、言葉にするとそんな感想を抱いていました。何かしらの判断基準が自分の内にあって、その範囲内でジャッジしているような。

 しかし「When Doves Cry」は全く違いました。

 好きとか嫌いとか、良いと良くないとか、上手いとか上手くないとか、そういうのを完全に超えた「解析不能な音の塊」がそこにありました。

 どうすごいのかを説明できないけれど、すごいってことはたしかにわかる。この音楽は何かが違う、しかも圧倒的に。そう直感した13歳の初夏でした。

5分54秒の100%

 初プリンスに衝撃を受けた私は、少ししてから、さらなる衝撃を受けることになります。

 当時、近所のショッピングセンターの中に「オカベ」というレコードショップがありました。大学生くらいのお兄ちゃんが働いていて、一緒にレコードを探してくれたり、私の知らない音楽について教えてくれたりしていました。

 まだ中学生でお金がなかった私は、お小遣いが貯まったら700円のシングルレコードを。もっと貯まった時には1,200円の12インチシングルのレコードを。財布が軽い時には、次に買いたいレコードを探しに。時間を見つけては、お兄ちゃんに会いに行ってました。私には兄がいなかったから、いろんな世界を教えてもらうのが嬉しかったんですね。

 殿下の洗礼を受けた私は、お兄ちゃんに報告にいきました。

「プリンス&ザ・レボリューションのWhen Doves Cryを聴いてビックリしたんです。すごいですね、プリンスって」

 すると、お兄さんはいつも以上の笑顔でこたえてくれました。

「ああ、ついにプリンス聴いたんだね! プリンスはすごいよ。そうそう、When Doves Cryって、全部プリンスひとりで演奏してるって知ってた?」

「は?????」

 頭の中がほとんど「?」で埋め尽くされました。

「え? たったひとりで全部?」

「うん、そうなんだよ。プリンスは作詞、作曲はもちろん、全部の楽器を自分で演奏してしまうんだ。プリンスこそ音楽の天才だよ」

 衝撃の音楽は衝撃的でした。

 お経ボーカル?はもちろん、重層的なバックコーラスも、効果音のような妖しい吐息も、全部プリンス自身の声。5分54秒の間、全てのサウンドは100%プリンスだったのです。たったひとりでつくりあげた「When Doves Cry」は全米チャート1位、カナダやオーストラリアでも1位を記録。全米年間チャートでも1位。アメリカではレコードで200万枚以上のセールスとなり、1984年にいちばん聴かれた曲となりました。

「ひとりの人間がここまでやれるんだ……」

 存在自体がショッキングですらありました。

「プリンス! もっと聴きたい! もっと知りたい!」

 中森君がプリンスの音楽を、お兄ちゃんがプリンスの天才性を運んでくれたおかけで、私にとってプリンスは特別な存在になったのです。
 

▼Prince & The Revolution – When Doves Cry 

(サウンドをお楽しみください。MVはラストで紹介!)

オール殿下のデビューアルバム

 プリンスはキャリアのスタートの時点で、他のミュージシャンとは一線を画していました。19歳の時、全曲の作詞、作曲、アレンジ、プロデュース、27種類の楽器演奏、ボーカル、バックコーラス、さらにはエンジニアリング、ミックス等のレコーディング作業まで、たったひとりで行ったアルバム『For You』でデビューします。

 この全てを、そしてそれ以上を、あなたに捧げる。愛と、誠実さと、心からの気持ちで、私の人生をあなたと分かち合う(「For You」)。

 このような宣言で始まるアルバム『For You』の特徴をひとことで表すならば「ジャンルレス」でしょう。荘厳なゴスペル「For You」、演奏能力の高さが際立つダンスナンバー「Just as long as We’re Together」、ドラマー・プリンスとギタリスト・プリンスが激しく火花を散らすハードロック「I’m Yours」、実はアコースティック・ギターの名手であることがよくわかる「Crazy You」、「So Blue」など、多重人格的に9曲が並んでいます。

 ポール・マッカートニーも、ミック・ジャガーも、デヴィッド・ボウイも、素晴らしいソロアルバムを世に送り出してきました。それらは実質、ソロ名義アルバムであり、他者の演奏や音楽的協力を得ながら完成したものでした。しかし19歳の無名の新人が提示したのは、「本人以外の音はひとつも入っていない、完全なるソロアルバム」だったのです。

 なぜプリンスは全部ひとりでやってしまうのでしょうか?

 10代半ば、ソロデビュー前のプリンスはバンド活動をしていました。主にギターとボーカル担当でしたが、リハーサルでは「こうやって弾くんだ」とキーボードをやってみせたり、ベーシストのベースを借りて演奏してみせたりしていたそうです。そんなプリンスは次第にフラストレーションを感じるようになります。なぜなら、他のメンバーの技量がプリンスに追いつかず、プリンスの求めるサウンドにならなかったからです。

 他者を自分のレベルまで引き上げるか、自分のレベルを他者に合わせるか。そんな状況の中、プリンスが選択したのは「自分で全部できるようになる」でした。

「以前にグループを組んでたんだけど、いろいろ気を遣わないといけなかったんだよね。コンセプトを伝えても、僕の思うようには動いてくれないしね。だったら、自分で弾いた方が早いって思った。その方が良いものが出来るんだ」

 当時のことをプリンスはこのように振り返っています。バンドメンバーをかばうわけではないですが、プリンスはバンドと毎日10時間のリハーサルをして、そのあとひとりで倉庫にこもって明け方までドラムの練習をするような人です。「プリンスの要求する水準にこたえられるのは、この時点ではプリンスだけだった」ということでしょう。

ひとりで、ふたりで、みんなで

 基本的にひとりで楽曲を制作できるプリンス・スタイルは、独自のアプローチを可能にしました。

 たとえば先ほどの「When Doves Cry」。

「立ち尽くす僕を、キミはどうして置き去りにするの?こんな冷たい世界で、僕はたったひとりきり(“How can you just leave me standing? Alone in a world that's so cold”)」

 と歌われる、孤独がテーマの楽曲です。ですから、みんなでワイワイとセッションするよりも、孤独に身を置いたひとりレコーディングの方が、リアリティがあるというわけです(MVではバンドが演奏するフリをしています)。

  「もし神の前で演奏するとしたらどの曲を選びますか?」との問いに、タイトルを即答した「GOD」は、神との対話が曲の主題です。静かに祈りを捧げる時のように、ひとりでレコーディングされています。

 プリンスは、「ひとりでできる」を追求している分、「誰かと何かやる」感性も、非常に鋭いアーティストです。

 彼のバンドにサックス、フルートを得意とするジャズマン、エリック・リーズが加わったときのことです。プリンスは1987年、自身の名前を完全に隠し、MADHOUSEというグループ名で『8』というタイトルのジャズアルバムを発表します。1曲目のタイトルは「ONE」、2曲目は「TWO」、3曲目は「THREE」ときて、8曲目は「EIGHT」で終わる(等差数列のような?)アルバムです。

 管楽器が苦手なプリンスは、それらのパートをキーボードで代用して録音し、仮アルバムを制作。その後、管楽器のパートをエリック・リーズがレコーディングして本アルバムを完成させています。『8』は、「複数のメンバーによるアンサンブルで成り立ってきたジャズを、ふたりでやるとどうなるか?」に挑戦した作品です。私はTwitter(X)でMADHOUSEの「ONE」を紹介したことがあるのですが「え? これプリンス?」とかなりの驚きをもって拡散されました。

 同年にMADHOUSEの『16』が発表されますが、こちらはプリンスがバンドと一緒にレコーディングした作品となっており、1曲目は「NINE」、2曲目は「TEN」、8曲目は「SIXTEEN」で終わります(笑)。ふたりでジャズとみんなでジャズ、興味のある方はぜひ聴き比べてみてください。

MADHOUSE『8』

 一流ボクサーがパンチの届く距離を熟知しているように、自身の能力の範囲を把握していたプリンス。だからこそ「これはひとりでやるほうがいい」「これは誰かと組んだ方がよくなりそうだ」「バンドみんなの力をひとつに結集しよう」「これは他のグループが世に出した方がいい」など、音楽主体の判断ができたのでしょう。

 そして、このようにも言っていました。「誰とやるかを決めるのは僕だ」と。

 プリンスの流儀のおかげで、私も何かやるときには「これはひとりでやろう」「新企画は、あの人とあの人のトリオでやろう」「よくわからないから得意な人にお願いしてみよう」とテーマやプロジェクトを中心とした判断が少しずつできるようになりました。

王子から女王へ

 1991年11月24日、フレディ・マーキュリーが45歳の若さで旅立ちます。そのすぐ翌月、プリンスのスタジオでは「ある楽曲」がレコーディングされました。プリンスが作詞、作曲し、プリンスのバックバンド ニュー・パワー・ジェネレーション、そしてオーケストラと、多人数の音が収録された同曲のタイトルは“3 Chains O’ Gold”です。音を聴けばピンとくる方もいらっしゃると思いますが、同曲は「クイーンのボヘミアン・ラプソディのプリンスバージョン」と言っても差し支えないでしょう。

 「私たちは何もしませんが、それを愛と呼びましょう」と歌われる同曲は、次のステージに行ってしまったフレディを、プリンスたちが哀しみ、惜しみ、祈りを捧げ、祝福する、そんなロック・オペラにも聴こえます。プリンスも、フレディも、地球上ではもうライヴをやりませんが、彼らのライフはレコードに記録されています。彼らの音楽を次世代の伝えるのは、影響を受けた人たちのつとめなのでしょう。

 今聴いている音楽は、誰かが演奏し、誰かが発見し、誰かが選曲した結果、私たちに届いています。もし誰かと出逢っていなければ、私は素晴らしい音楽を知らないまま過ごしたことでしょう。

 人が音楽を運んできてくれるように、音楽もまた人との縁を運んでくれます。そう考えると、音楽とはギフト(才能)のギフト(贈り物)なのかも知れません。

 プリンスをキーワードに、ポジティヴな回線が増えていったら、プリンス殿下もフレディ先輩も喜んでくれる! かな?

 

【二重作 拓也(ふたえさく・たくや)】1973年福岡県北九州市生まれ。リングドクター、チームドクター、スポーツ医学の臨床経験から「格闘技医学」を提唱。進化形として「パフォーマンス医学」を追求している。『プリンスの言葉』、英語版『Words Of Prince』、『Words Of Prince Deluxe Edition』はAmazon.comのソウル部門でベストセラー1位を獲得。最新刊は『可能性にアクセスするパフォーマンス医学(星海社)』
Xアカウント @takuyafutaesaku
Facebook  https://www.facebook.com/takuya.futaesaku/

【プリンス・ロジャース・ネルソン】1958年6月7日-2016年4月21日 米国ミネアポリス出身 ミュージシャン、ソングライター、プロデューサー、ダンサー、俳優、映画監督。レコーディングされた楽曲は2,000曲を超え、ワンステージのギャラが史上最高額(1億5,000万円~2億円)、アルバム/シングルのセールスは累計1億枚を超えた唯一無二のミュージシャン。
Official Website prince.com
Instagram instagram.com/prince
 

【関連サイト】

▼Prince & The Revolution - When Doves Cry (Extended Version) (Official Music Video)

▼Prince – I Wanna Be Your Lover (Official Music Video)

【他の推し活記事】
“かつてプリンスと呼ばれたアーティスト”を知っていますか?

藤井風さんのアジアツアー、タイに行ってきました!!

藤井風さんファンの聖地、岡山県里庄町を巡ってきました!!

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

この連載の記事